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2013/04/20

靑色のさびしい光線 萩原朔太郎 (「パノラマ館にて」初出形)

 靑色のさびしい光線

 

 あふげば高い蒼空があり、遠く地平に穹窿は連なつてゐる。見渡す限りの平野のかなた、仄かに遠い山脈の雪が光つて、地平に低く夢のやうな雲が浮んでゐる。ああこの自然をながれゆく靜かな情緒をかんず。遠く眺望の消えて盡きるところは雲か山か。私の幻想は涙ぐましく、遙かな遙かな風景の涯を追うて夢にさまよふ。

 聽け、あの悲しげなオルゴルはどこに起るか。忘れた世紀の夢をよび起す、あの古めかしい音樂の音色はどこに。さびしく、かなしく、物あはれに‥‥‥。どこにまた遠く、遠方からの喇叭のやうに、錆ある朗らかのベースは鳴りわたる。げにかの物倦げなベースは夢を語る。

『ああ、ああ、歴史は忘れゆく夢のごとし。時は千八百十五年。所はワータルローの平原。あちらに遠く見える一葦の水はマース河。こなた一圓の人家は佛蘭西の村落にございます。史をひもとけば六月十八日。佛蘭西の皇帝ナポレオン一世は、この所にて英獨聯合軍と最後の決戰をいたされました。こなた一帶は佛蘭西軍の砲兵陣地、あれなる小高き丘に立てる馬上の人は、これぞ即ち蓋世の英雄ナポレオン・ボナパルト。その側らに立てるはネー將軍、ナポレオン麾下の名將にして、鬼と呼ばれた人でございます。あれなる平野の大軍は英將ウエリントンの一隊。こちらの麥畑に累々と倒れて居ますのは、皆之れ佛蘭西兵の死骸でございます。無慘やあまたの砲車は敵彈に撃ち碎かれ、鮮血あたりの草を染めるありさま。ああ悲風蕭蕭たるかなワータルロー。さすが千古の英雄ナポレオン一世も、この戰ひの敗軍によりまして、遠くセントヘレナの孤島に幽囚の身となりました。こちらをご覽なさい。こちらの間道に劍をかざして突撃する騎兵はナポレオンの近衞兵。その側面を射擊せるはブリユーヘル將軍の遊擊隊でございます。あなたに遙か遠く山脈の連なるところ、雲のやうに見えます一隊の軍馬は、これぞ即ち普魯西の援軍にして、今や戰場を指して急ぎ來るところ‥‥‥ああ、ああ、歷史は忘れゆく夢のごとし‥‥‥』

 明るい日光の野景の涯を、わびしい砲煙の白くただよふ。靜かな白日の夢の中で、幻聽の砲聲は空に轟ろく。いづこぞ、いづこぞ、かなしいオルゴルの音の地下にきこゆる。あはれこの古びたパノラマ館! 幼ない日の遠き追憶のパノラマ館! かしこに時劫の昔はただよひゐる。ああかの暗い隧路の向うに、天幕(てんと)の靑い幕の影に、いつもさびしい光線のただよひゐる。

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年四月アルス刊のアフォリズム集「新しき欲情」の「第三放射線」より。次に掲げるように、これは七年後の詩集「宿命」に「パノラマ館にて」と題名を変えて所収されるものの初出である。私の底本とした筑摩書房版全集の第四巻のこの詩の末尾には、鍵括弧(トジル)の( 」 )のような擦れたものが見られるが、これは珍しい植字版の枠のスレと思われるので無視した。

「時は千八百十五年……」一八一五年六月十八日、ワーテルローでイギリス・オランダ連合軍及びプロイセン軍が、百日天下を樹立していたナポレオン一世のフランス軍を破った、ナポレオン最後の戦い。連合軍はこれを追撃してフランスに侵攻、ルイ十八世を復位させ、退位したナポレオンはイギリスに降伏、セントヘレナ島に流されて一八二一年、この地で死去した。本詩作時からは百七年前、朔太郎幼年期の記憶であるから詩中の実体験は明治三〇(一八九七)年前後(朔太郎の生年は明治一九(一八八六)年)の出来事とすれば、凡そ八十年前となる。

「所はワータルローの平原」ワーテルロー“Waterloo”(ベルギーのワロン地方及び北部フランスの一部で話されるロマンス語の一つであるワロン語では“Waterlô”)は現在のベルギーのブラバン・ワロン州にある湿潤な草原地帯(現在は基礎自治体名でもある)。但し、ワーテルローは戦場ではなく、イギリス軍の司令部の所在地であり、「ワーテルローの戦い」という命名者も、そこのイギリス軍司令官ウェリントンである。実際の戦場であった地名を取り、「モン・サン・ジャンの戦い」又は「ラ・ベル・アリアンスの戦い」(ドイツでの呼称。後注参照)とも呼ぶ(ウィキワーテルローに拠る)。

「マース川」フランス北東部を水源とし、ベルギーを流れ、オランダで北海へ注ぐ川。九世紀頃よりアルザス・ロレーヌ地方がフランスに併合されることとなるヴェストファーレン条約が締結された一六四八年まで、神聖ローマ帝国の西の国境線がこの河川であった。このことからドイツ国歌「ドイツの歌」の歌詞の一番で「マース川からメーメル川まで」とその領土範囲を郷愁的に歌っていることでも有名である。但し、この一番は現在のドイツでは国歌とされていない(ウィキマース川」に拠る)。

「英將ウエリントン」“Field Marshal Arthur Wellesley”(初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー元帥 一七六九年~一八五二年)。トーリー党(保守党)の政治家としても活躍し、ジョージ四世とウィリアム四世の治世中、二度に亙って首相を務め、ヴィクトリア朝前期にも政界の長老として活躍、『鉄の公爵』“Iron Duke”の異名で呼ばれた。詩中の弁士の「鬼と呼ばれた」はこの畏称を言う(ウィキアーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)に拠る)。

「ブリユーヘル將軍」ワールシュタット大公“Gebhard Leberecht von Blücher”(ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル 一七四二年~一八一九年)。プロイセン王国陸軍元帥で、ナポレオン戦争後半のプロイセン軍総司令官。攻撃的な性格から前進元帥“Marschall Vorwärts”(マルシャル・フォアヴェルツ)と渾名された。戦後に彼は主戦場となったラ・ベル・アリアンス(“La Belle Aliance”。「良き同盟」という意味のフランス語)から、本戦を両軍の「同盟」(alliance)の意味にも掛けた「ラ・ベル・アリアンスの戦い」と命名しようと提案したが、ウェリントンは英語での発音と自身の英国軍司令部に固執し、戦場とはやや離れているにも拘わらず、「ワーテルローの戦い」と命名した。ブリュッヘルは暫くパリに駐留していたが、老齢を理由に退役し、シレジアに戻った(以上はウィキのゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル「ワーテルローの戦い」に拠った)。]

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