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2013/04/03

耳嚢 巻之六 賤商其器量ある事

 賤商其器量ある事

 

 文化元年の頃、築土下白金町(つくどしたしろがねちやう)に伊勢屋三四郎といへるありし。親代(おやだい)より搗米(つきごめ)を商賣いたし、男女大勢召(めし)仕ひて、所々屋敷がたの搗入(つきいれ)など引請(ひきうけ)けるが、此年七月盆前差詰(さしつま)り、ひしと差支(さしつかへ)けると也。元來三四郎、其身驕るにもあらず、遊興等なす人にもあらず、手代の引負(ひきおひ)、又は不時のもの入(いり)にて期(ご)差詰りしを、あたりにても憐みけるが、兄成(なる)者は下町にて豪家也、其外本家親類にも有德(うとく)のものありしが、是迄度々の合力(こうりよく)、助合(たすけあひ)もあれば、今更可申入(まうしいるべき)事もならず色々心腑(しんぷ)を勞しけるが、八月朔日、與風(ふと)家出して行衞不知(しれず)。親類豪家ども打寄(うちより)て所々手を分尋(わけたづね)けれど、三日までしれざれば如何(いかが)せんと周章(あはて)騷ぎけるに三日の日、四谷邊の町家(まちや)軒下倒れもの有(あり)て、懷中にいせや三四郎宛の仕切書付(しきりかきつけ)あり、一向言舌不分由(いつかうげんせつわからざるよし)、爲知(しらせ)來りし故、驚きて駕をもたせ彼(かの)所に至りつれ戻りしに、一向物いふ事なく、狐狸の爲にたぶらかされしか、天狗に抓(つまま)れしかともいふべき體(てい)故、兄はさらなり、親類共も打寄(うちより)、盆前の諸拂(はらひ)、搗入等の用向(ようむき)、金銀を出し取賄(とりまかなひ)、難なく盆も濟(すみ)て今以(いまもつて)醫者を懸け療治最中にて、此程は筆談のみならず、少々はものもいふ由。我等が許へも來(きた)る相學者栗原老人、其(その)相を見しに、聊か病氣の趣(おもむき)もなし。醫者にも内々聞(きき)しが、聊か病氣にあらずと言(いひ)しと語りぬ。親類に金銀をはたらかせ、盆前を凌げる一時の奇謀也と知りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:番町と築土下白金町は一キロメートル圏内にあり、極めて近いので、ロケーションで連関すると言える。しかし、これ本当に詐病であろうか? 伊勢屋三四郎は実直な商人であることは本文から十全に窺え、親類縁者に最終的に助力を受けるのに、こんな見え透いた芝居を打つとは私には思われない。寧ろ、盆前の炎暑の中、金作に奔走していた彼が、軽い脳卒中や脳梗塞に罹って倒れたが、処置が比較的早く、思ったよりも言語野の損傷も拡大せずに済んだことから、予後が良かった症例であったと読む方が、遙かに自然である。三四郎にはとんだ濡れ衣のようにしか私には思えず、見知らぬ御仁ながら、伊勢屋三四郎、「卷之六」の執筆推定下限文化元(一八〇四)年七月から実に二百有余年後の今日まで、詐病者の汚名を着せ続けるは、これ、如何にも哀れで御座る。――根岸先生、怪しい情報屋の栗原老人の言で満足せず、御自身で三四郎儀、検分訊問致すべきでは御座らなんだか?……伊勢屋殿、不肖、拙者藪野直史、貴殿の濡れ衣、確かにお雪ぎ申したぞ!……

・「築土下白金町」現在の新宿区の北東部に位置する新宿区白金町及びそこに接する筑土八幡町辺。地名の由来となっている筑土八幡社の下方の意。

・「伊勢屋三四郎」不詳。

・「搗米を商賣」搗米屋。江戸や大坂などにあった米穀を消費者に販売した小売商で、舂米(つきごめ)屋とも書いた。玄米を仕入れ、これを精白して白米を小売りした。江戸の搗米屋仲間には十八組があって各組に支配の行事がいた(吉川弘文館「国史大辞典」に拠る)。

・「引負」主家の金を奉公人が使い込むこと。

・「八月朔日」鈴木棠三先生に悪いが、この記載によって、実は巻六の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年七月ではなく、八月までであることが分かる(既に記載した部分を訂正することはしないが、以下では「八月」とする)。

・「仕切書付」現在の商品受渡明細書である仕切書(しきりしょ)。商品の明細・数量・単価合計金額などを書き込むことが出来、納品書・請求書・受領書として使う事が出来る文書のことを言う。仕切書には当該品目の買主である相手先の名・受渡日付・品名・数量・合計金額などを記す(株式会社ゴーガの「マネー事典」に拠る)。

・「相學者栗原老人」本巻でも「孝傑女の事」に既出の、「耳嚢 巻之四 疱瘡神狆に恐れし事」に初出する根岸の情報通の軍書読み。ただ、この男、今まで読んでくると結構、針小棒大型の性格の持主のように感じられてしょうがない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 賤しき商人にもとんだ企略がある事

 

 文化元年の頃、築土下白金町(つくどしたしろがねちょう)に伊勢屋三四郎と申す者が御座った。

 親の代より搗米(つきごめ)を生業(なりわい)と致し、男女大勢、召し使(つこ)うて、各所の屋敷方の米搗き入れなんどを引き請けて御座ったと申す。

 ところが、今年の七月、盆を前にして、突如、金繰りが悪うなって、二進(にっち)も三進(さっち)も行かずなり、商売そのものが、これ、いっかな、行き詰って御座ったと申す。

 元来、この三四郎儀、その身は、驕る者にてもあらず、遊興なんども、これ、一切なさざる御仁にて、何でも――手代による莫大な使い込みやら――またそれに加えての、不意の多額の物入りなんどが――これ、続いたがゆえ、かくも進退窮まるほどに、差し迫って御座った、とか申す。

 されば、周囲や縁者の者らも、勿論、気の毒に思うては御座った。

 三四郎の兄なる者は、これ、下町にては、かなり知られた豪家(ごうけ)で御座ったし、本家や親類の者の中にも、相応の資産を有して御座る者もあったが、三四郎儀、

「……彼らよりは、今までも、度々の合力(こうりょく)や助け合いを受けて御座ったれば……今更、借財や援助を申し入るること、これ、致し難いことじゃ……」

と、殊更に彼らの方へ足を向けることものう、いろいろと自身にて算段致いてはみたものの、心痛ばかりが重なる一方で御座ったと申す。

 さても、三四郎、八月一日のこと、ふと、家を出たっきり――これ、行方知れずとなってしもうた。

 親類・豪家ども、知らせを聴いて打ち寄り、方々、手分け致いて尋ねたれども、三日経っても、行方、これ、分からず、

「……さても……どうしたものか?……」

と、誰も慌てふためいて、騒いでおるばかりで御座った。……

 ところが、その三日目の午後のこと……

――四谷辺の町屋の軒下に一人の男が倒れており、

――この男、懐中に伊勢屋三四郎宛の仕切書付(しきりかきつけ)を所持しておったものの、

――介抱致いて、一応、正気に戻ったかのように見えながらも、

――これ

――一向に、

――その申すこと、よう分からぬことばかりなれば……

とて、知らせを受けたによって、一同驚き、駕籠を手配致いて、四谷へと至り、ようやっと連れ帰ったところが……

……これ

……一向にものを言う様子も

……御座ない。……

 されば、者ども、

「……これは狐狸(こり)のために誑(たぶら)かされたものか?……」

「……いや……この様子は天狗に抓(つまま)れたに違いない……」

なんどと噂致すような状態で御座ったゆえ、かの豪家の兄は勿論のこと、親類どもも再びうち集って、盆の前から滞って御座った伊勢屋の諸払い、諸屋敷搗き入れ等の既に契約の終わって御座る仕事なんど、皆して、金子(きんす)を拠出致いて、支払いやら搗き入れなど、総てとり賄(まかな)って、難なく、盆も済まして御座ったと申す。……

 今、以って医師を頼んで療治の最中とのことで御座るが、最近では筆談のみならず、少しは言葉を喋ることも出来るようになった、と申す。

 私のところへ、しばしば訪ねて参る相学者の栗原老人は、この伊勢屋三四郎に面会致す機会が御座って、その人相を実検致いたところが、

「……いや、これ聊かも病気の「び」の字も感じられませぬゆえ、内々に、かの担当の医師にも聞いてみ申したが――『これ、聊かも病気にては御座らぬ。』――と明言致いて御座った。……」

とのこと。

 親族の者に金子を出させ、危急の山で御座ったところの盆の前を、巧みに凌ぐための、これ――一時の奇謀であった――ということは、これ、拙者にも分かって御座ったよ。

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