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2013/04/01

一言芳談 一二〇

   一三〇

 

 乘願上人云、或人問うて云、色相觀(しきさうくわん)は觀經(くわんぎやう)の説なり。たとひ稱名の行人(ぎやうにん)といふとも、これを觀ずべく候ふか、如何に。上人答へて云、源空もはじめは、さるいたづら事したりき。今はしらず。但(ただ)、信稱名(しやうしやうをしんずる)なり。

 

〇色相觀、極樂の依正(ゑしやう)二種のありさまを觀ずる事なり。此の御返答の心は、尤も觀經の説にて正行なれども、人の心さはがしくして、その觀、成就し難し。かつは本願にもあらず。たゞ御名をとなふべしとなり。

〇さるいたづら事、そのやうな無益(むやく)の事といふ心なり。

〇但信稱名、うちかたふきて御名をとなふる事なり。

 

[やぶちゃん注:最後の「信稱名(しやうしやうをしんずる)」はⅡ・Ⅲを採りつつ、歴史的仮名遣の誤りを正した。Ⅰはそのまま、「信稱名(しんしやうしやう)なり」と読んでいる。これについては注の最後に私の考えを示した。

「色相觀」「色」は三十二相を具えた仏の生身のことを意味する「色身」のことであろうと思われ、Ⅱでも大橋氏は『仏のすがたかたちを観想すること』と注されておられる。但し、「色相觀」という語は、少なくとも現在では観法の一般的な称として、仏家でも用いられていないように思われる(疑義のある方はネット検索で「色相観」を掛けてご覧になられよ)。寧ろこれは引っ繰り返して「観仏」として、観法(瞑想法)の具体な一つというよりも、より上位概念で分類される観法の分類であるように私には思われる。観仏を行うところの観法群の一分類のように思われるのである(以下の引用を証左としたい)。「観仏」についてなら、例えば、「真言宗泉涌寺派大本山法楽寺」の公式サイトの「五停心観」に、『観仏とは、仏陀など勝れて徳あり優れた相好あるものを対象として観想する瞑想法で、口でただ「南無阿弥陀仏」などと唱えるだけのものでなく、本来的な意味での「念仏(心に仏を念じ留めること)」です。密教(金剛乗)で説かれる本尊観がそれであり、さらにいえば道場観なども観仏の一種です。分別説部でいうBuddha-anussati(仏随念)は、一応これにあたります』。『観仏は、止観のいずれかで言うならば正しく止(śamatha)の瞑想の範疇に入るものです。これは、密教の先徳たちが基本として観想を大変重要視したように、眼を閉じてもその対象がありありと現前するまでに修習しなければなりません』。『しばしばこの観において、光明を伴った対象が、すなわち光明を発する仏・菩薩の姿が現前する場合があります。これは観仏においてだけではなく、他の止に分類される瞑想法を修する中、仏・菩薩の姿などは現れなくとも、瞑想中に光を見ることがあります』。『しかし、それは瞑想を深める過程で当然現れるべき一体験に過ぎず、それは一応瞑想の深まりを示す兆候ではあるものの、初禅ですらありません。あるいは、瑜伽者のそれを見んとする強い願望に基づく、ただの妄想・幻想にすぎません。このような体験を何事か大層なものと捉え違えして囚われるのは、いわゆる魔境に陥ることとなりますので注意が必要です』。『補足となりますが、先に触れた分別説部でいうBuddha-anussati(仏随念)は観仏の一つではあるのですが、しかし、これはむしろ「南無阿弥陀仏」的なものとして行われています。なぜなら、分別説部では仏陀の姿を観想する、というのではなく、仏陀の徳を念じる、というように定義しているためです。具体的には仏陀の九徳(Buddha guā)、支那・日本でいう如來の十号を念じるものであるとして捉えています。実際には、ひたすら仏陀の九徳をただただ唱え続けるということになっていることから、ある意味で浄土宗の「南無阿弥陀仏」的なものと言えるのです』とある。……しかし、この解説に依るなら、称名念仏も「色相觀」となり、それも「いたづら事」として全否定される論理矛盾を引き起こす。とすれば、この法楽寺の仏随念=観仏の一つ=「南無阿弥陀仏」的なもの、という解説は法然は絶対に認めないものであろう。

「觀經」浄土三部経の一つである「観無量寿経」(「無量寿仏観経」ともいう)のこと。ウィキ・アーカイブ(今までもしばしば引用しているが、このウェブサイトは名称からは分からないが、浄土真宗という個別宗派の聖典とするものを電子化するプロジェクトであるので、閲覧に際してはウィキの閲覧以上に批判的視点を欠かさぬように見る必要がある)「仏説 観無量寿経」によれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、

   《引用開始》

この経は釈尊在世当時、王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、はじめに次のような事情が示される。悪友の提婆達多にそそのかされた阿闍世という王子が、父頻婆娑羅王を幽閉し、その王のために食物を運んだ王妃の韋提希夫人をも宮殿の奥に閉じこめた。夫人は遠く耆闍崛山におられる釈尊を心に念じ、仏弟子を遣わして説法してくださるよう求め、これに応じて釈尊みずから王宮の夫人の前に姿を現された。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、特に阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法を説かれるように請うた。

 こうして、まず精神を統一して浄土と阿弥陀仏や菩薩たちを観想する十三の観法が説かれる。この観法の中心は第九の真身観(阿弥陀仏の相好を観ずること)である。

 さらに、釈尊はみずから精神を統一しないままで修する善について、上品上生から下品下生までの九品に分けて説かれる。まず、上品には大乗の善が説かれ、中品には小乗の善や世間の善が説かれる。そして下品にはこれらの善を修することができない悪人のために念仏の教えが説かれるのである。

 ところが、このようなさまざまな観法や善を説き終ったあとで、最後に阿難に対して無量寿仏の名号を心にとどめよと説かれている。

   《引用終了》

なお、引用分の最後には、『そこで親鸞聖人は、釈尊の本意がこれまで説かれてきた観法や諸善にはなく、他力念仏の一行を勧めることにあると見られた』という親鸞の(現在の浄土真宗の)解釈が示されている。その本文では(編者による〔 〕補塡部もそのまま用い、恣意的に正字化した)、「眞身觀(念佛衆生攝取不捨)」として、

『無量壽佛を觀ぜんものは、〔佛の〕一つの相好より入れ。ただ眉間の白毫を觀じて、きはめて明了ならしめよ。眉間の白毫を見たてまつれば、八萬四千の相好、自然にまさに現ずべし。無量壽佛を見たてまつれば、すなはち十方無量の諸佛を見たてまつる。無量の諸佛を見たてまつることを得るがゆゑに、諸佛は現前に授記す。これをあまねく一切の色身を觀ずる想とし、第九の觀と名づく。この觀をなすをば、名づけて正觀とす。もし他觀するをば、名づけて邪觀とす』

また、「觀音觀」として、

『一々の色に八萬四千の光あり。その光柔軟にしてあまねく一切を照らし、この寶手をもつて衆生を接引したまふ。足を擧ぐるとき、足の下に千輻輪の相あり、自然に化して五百億の光明の臺と成る。足を下ろすとき、金剛摩尼の華あり、一切に布散して彌滿せずといふことなし。その餘の身相・衆好、具足せること佛のごとくして異なし。ただ頂上の肉髻および無見頂の相、世尊に及ばず。これを觀世音菩薩の眞實色身を觀ずる想とし、第十の觀と名づく』

次に、「勢至觀」として、

この觀をなすをば名づけて正觀とし、もし他觀するをば、名づけて邪觀とす。大勢至菩薩を見る。これを大勢至の色身を觀ずる想とし、第十一の觀と名づく。この菩薩を觀ずるものは、無數劫阿僧祇の生死の罪を除く。この觀をなすものは胞胎に處せず、つねに諸佛の淨妙の國土に遊ぶ。この觀成じをはるをば、名づけて具足して觀世音・大勢至を觀ずとす。

の三つの「色身を観ずる想」が示されてある。

「上人答へて云、源空もはじめは、さるいたづら事したりき。今はしらず。但、信稱名なり。」「源空」は勿論、答えている本人、法然。Ⅱの大橋氏の注に、「和語燈録」(既注)の『巻五「諸人伝説の詞」』にある旨の注がある。ウィキ・アーカイブの「和語燈録」より当該部分({ }で挿入された注釈箇所を含む)を恣意的に正字化して、以下に引用しておく。

   《引用開始》

乘願上人のいはく、ある人問ていはく、色相觀は、觀經の説也。たとひ稱名の行人なりといふとも、これは觀ずべ候かいかん。

上人答ての給はく。源空もはじめはさるいたづら事をしたりき。いまはしからず、但信の稱名也と。{授手印决答よりいでたり}

 又人目をかざらずして、徃生の業を相續すれば、自然に三心は具足する也。

 たとへば葦のしげき池に、十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見えねども、よくよくたちよりてみれば、あしまをわけてやどるなり。妄念のあしはしげげれとも、三心の月はやどる也。これは故上人のつねにたとへにおほせられし事也と。{かの二十八問答よりいでたり}

   《引用終了》

なお、引用元では「たとへば……」以下、「おほせられし事也と。」まで点線下線が附されている(意味不明。底本である「真宗聖教全書」にある巻圏点か)。

「但、信稱名」実はⅠもⅡ「但信稱名」として句点を打たず、その意味では「但信稱名」という四字熟語として意識されている。実際に「但信称名(ただしんしょうみょう)」「但信の称名」という読みや文字列は良忠「授手印決答」などに現われてはいる。しかし、尚且つ、私にはⅠのような読みは如何にも衒学的であり、そもそもが凡夫の愚智を排し、観想さえも「いたづら事」と喝破する本書や本条の読みとして相応しくないと考えるのである。素直に読むならこれはどう読んだってやはり、「ただ只管、称名をのみ信ずるものである」という謂いで――しかなく/でのみある――と私は思うのである。因みにⅡのこの部分の注で、大橋氏は、『十念の念仏においても、かならず往生すると信じて、称名すること』と解説された上で、法然の「無量寿経釈」の中に、『「たとへ観念なくとも、但(ただ)称名を信ずる、また往生を得」と説いている』と記しておられる。法然も『但だ称名を信ずる』と読んでいたことは、これで明らかである。]

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