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2013/04/26

中島敦漢詩全集 六

  六

狼星方爛々
參宿燦斜懸
凍夜疎林上
悠々世外天

[やぶちゃん注:底本では、以下のように、

狼星(シリウス)方爛々
參宿(オリオン)燦斜懸
凍夜疎林上
悠々世外天

と、
「狼星」の右に片仮名で「シリウス」
「參宿」の右に片仮名で「オリオン」
のルビが振られている。]

○やぶちゃんの訓読1(正格)

狼星(らうせい) 方(まさ)に 爛々
參宿(しんしゆく) 燦(さん)として斜めに懸る
凍夜 疎林の上
悠々たり 世外(せぐわい)の天

○やぶちゃんの訓読2(変格)

狼星(シりウス)は方(まさ)に爛々として――
參宿(オリオン)は燦(きらめ)いて斜めに懸かる――
凍(こご)れる夜(よる)の疎らな林の上――
悠々としてある――この世の外(ほか)の天が――

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈
・「狼星」シリウス。一月初旬には午前零時頃に、二月初旬には午後十時頃に南中する。
・「方」ここでは、まさに今、という意味。
・「爛爛」強く光り輝くさま、若しくは色彩が鮮やかなさま。ここは前者。
・「參宿」オリオン座の三ツ星のうち向かって最も左下の星を中心とした中国古代の星宿。現代でいうオリオン座の恒星計七つにより構成される。但し、ここで詩人が仰ぎ見ている「參宿」というのはこのオリオン座の星座全体ではない。ここで詩人にとっての「參宿」とは――その三ツ星――であったと考えてよい。そもそもそうとらないと、シリウス一顆と參宿の釣り合いが取りにくく、何より、それを形容する「斜懸」という表現もそぐわなくなってしまうからである。従って、この詩においては読者の目にオリオン座の三ツ星さえ輝いて見えておればよい。そしてこれらの星はシリウスのやや西側、視角にして二十度弱しか離れていないところに、輝いている。
・「燦」目を射るように煌(きら)めくさま。
・「斜懸」この二字の組み合わせは必ずしも熟語を構成するものではないが、ここは字義通り、斜めに天空に懸かっていることを言う。但し、三ツ星の並びが「斜め」なのか、參宿が西の空に沈みつつあるさまを「斜め」と表現したのか、については一考の価値がある。狼星は、強烈に光り輝いている、というのであるから、かなり高い位置にある(「狼星」の語釈参照)と想像されるが、そこから視角約二十度程度しか離れていない參宿を、天空において「斜めに懸かる」と表現するのは、やや無理があるように感じられる。従って、ここは――視覚的に纏まったものとして捉えられることが一般化しているところの――三ツ星が、夜空に「斜め」に懸かっている、の意で採るのが自然であると思われる。なお、オリオン座の三ツ星の並びは、東の地平から昇る際にはほぼ垂直であり、西の地平に沈む際にはほぼ水平に近くなる。南中する頃には、向かって左を下にして「斜め」に傾いていて、まさに我々が普通にイメージするところのオリオンの三ツ星の姿なのである。
・「凍夜」凍てつくような夜。今のところ、中国古典の中には特に典拠を見出し得ない。
・「疎林」それほど鬱蒼としていない樹影疎らな林。古来用例の多い語である。ここでは葉を全て落した樹々の寒々しい様子を「疎ら」と表現していると理解しても許されるであろう。
・「悠悠」古来の数多の詩人に愛用されてきた、非常に用例の多い語である。遥か長い、遥か遠い、悠然としたさま、数多いさま、ばかばかしい様子、翻るさま、凡庸なさま、憂愁を含んださま、悠然自在なさまなど、多くのニュアンスを有する。数多くの用例の中で真っ先に浮かぶのは、人口に膾炙した初唐陳子昂の雑言古詩「登幽州臺歌」である。
   *

前不見古人
後不見來者
念天地之悠悠
獨愴然而涕下

 前に古人を見ず
 後に來者を見ず
 天地の悠々たるを念(おも)ひ
 獨り愴然として涕(なんだ)下(くだ)る

[T.S.君訳:古代の聖賢に会うことは出来ず、後世の賢君に会うことも叶わない。時の遥かな流れに比べて、この私の存在のなんと一刹那であることか。それを思うと凄愴たる思いに心が揺さぶられ、涙が流れる。]
   *
ここでは、天空が人界から遥か遠くに位置している感じ、星空が地上の瑣末な営みから超然としている感じ、広大な星空が拡がるさま、などの三つの感覚を同時に担っている語であろう。
・「世外天」世の外にある天。この世界の向こうにある宇宙、といった広大無辺のニュアンスである。

〇T.S.君による現代日本語訳

――静寂――
凍てつく夜
狼星が南の空高く輝いている
その横に參宿の三ツ星が斜めに懸かる
冬枯れの疎林の上
底なしの天空が広がる
――沈黙――
超然として…
何の不足もなく…
恐ろしく巨大な
しかし極めて密やかな
宇宙の
息遣い……

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈
 詩人は自ら、狼星と參宿に、シリウス、オリオンとルビを振った。
 なぜだろう。
 単なる遊び心なのだろうか。
 いや、中国名のみならず西洋名でも括りたくなるほど、彼は時空を超越して「在る」ところの星を、星座を、その「存在」を歌いたかったのだろう。強く描きたかったのだろう。
 では味読に際して、星の名は中国名で押し通すべきなのだろうか。それとも西洋名を使うべきなのだろうか。やはり、中国名を消し去ってはなるまい。なぜならこれは自由詩ではなく、あくまで漢詩という枠を借りて表現された世界だからである。また、母語としての日本語の「狼星(ロウセイ)」と「參宿(シンシュク)」という呼名(日本語としての音律)が完全に滅却された詩世界など、彼には始めからあり得なかったはずだから。
 ただし、西洋名を想起し、星に新時代の新たな彩りを添えることも意義深いと思われる。その時この詩は、東西の文明の差異を超えて、中国思想や西欧思想の、その淵源にある人事(人間)と自然の二項対立、
――『人世』対『宇宙』
という、より古くて新しい普遍的構図へ向かって、さらに純化されていくからである。

 では狼星と參宿は、どちらが主役なのだろうか? 否、その二つの関係は如何なるものなのだろうか?
 勿論、起句で真っ先に示され、輝きに於いては勝る狼星の存在感はすこぶる強烈である。
 しかし、參宿も決して負けてはいない。起句に拮抗して承句の五文字を完全に占拠したその存在は同等に揺るぎない。
 即ちここでは、狼星と參宿の両者が存在していなければ詩が成り立たないのである。
 この詩人の「星図」を我々が詩人とともに見る時、その広がるヴァーチャルな星空を正しく想い描くためには、狼星一つに焦点を合わせていては――いけない――のである。
 主役級のいぶし銀の老俳優の演ずるのが狼星とすれば、參宿の方は準主役である。
 ここでは神がかった狼星の名演技も參宿なしには――生きない――のである。
 さらに言うなら、量子力学よろしく、それを眺める「詩人」なしには、かの二星は――存在しない――のである。
 そこでふと気づく。
――「狼星と參宿と詩人」
という組み合わせは、あたかも、漱石の『こゝろ』に於いての
――「先生とKと私」
のようではないか……。

 転句における疎林の存在も見逃せない。
 この星空は、あくまで「この疎林の上」に広がる星空でなければならないからである。
 単に天空だけを描いたのでは、遥かな星々の姿が左右上下の安定を欠いて揺らいでしまう。疎林と、その上方の謎のように深い星空が、揺るぎないかっちりと固定した構図を形成させているのである。
 広大無辺な宇宙を描くためにこそ、卑小な疎林という定点が、いわば額縁が必要であったのである。
 試みに疎林に言及しない詩世界を想像してみてみればその重要性がよく分かる。近景としての疎林が、遠景無限遠としての深宇宙の奥行きを実感させるのに、どれほど大きな効果を与えているかが実感されるはずである。
 さらに言えば、前景に配された疎林は、宇宙が発する「非人情」の冷たい波動に化石されたかのように、枯れ枝の集合体として我々には映る。
 逆に言えば、一枚の葉も残されていない冬の疎林にしか、この「非人情」の星空の前景の役目を果たす資格はないのだ!

[やぶちゃん注:ここで私とT.S.君が何を思い出しているか、最早、お気づきであろう、それは――「こゝろ」のあのシーンである。
「止めて呉れつて、僕が云ひ出した事ぢやない、もともと君の方から持ち出した話ぢやないか。然し君が止めたければ、止めても可いが、たゞ口の先で止めたつて仕方があるまい。君の心でそれを止める丈の覺悟がなければ。一體君は君の平生の主張を何うする積なのか」
 私が斯う云つた時、脊の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるやうな感じがしました。彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、一方では又人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される塲合には、決して平氣でゐられない質だつたのです。私は彼の樣子を見て漸やく安心しました。すると彼は卒然「覺悟?」と聞きました。さうして私がまだ何とも答へない先に「覺悟、――覺悟ならない事もない」と付け加へました。彼の調子は獨言のやうでした。又夢の中の言葉のやうでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。ことに霜に打たれて蒼味を失つた杉の木立の茶褐色が、薄黑い空の中に、梢を並べて聳えてゐるのを振り返つて見た時は、寒さが脊中へ嚙り付いたやうな心持がしました。]

 そうしてまた、私はここで、『人世』と『宇宙』の対峙について、抽象的ながら、しかし、丁寧に説明した文章を想起するのである。「四」にも引用した佐藤春夫の「星」、その第四十八折である。
[やぶちゃん注:底本と書誌及び引用ポリシーについては「四」の当該作引用の前に附した私の注を参照されたい。一部の難読箇所には岩波書店一九九二年刊の岩波文庫池内紀編「美しき町・西班牙犬の家 他六篇」を参考にしつつ、オリジナルに読みを入れた。]。
    《引用開始》
 日と月とは人間の爲めに動くのではない。
 人間の禍福などには一向冷淡な日と月とはただ彼等自身の爲めに動いてゐるのかもしれない。さうして彼等自身でさへその行方を知らないために、恆(つね)に不断の徂(ゆ)き徠(き)をつづけて同じ道をさ迷うてゐるのかも知れない。それらの事を我我は一切知らない。ただ我我は日と月とが東から來て西へ去るのを見る。さうしてこの同じことが果してどれだけ度度繰り返されるか、それを人間は何人も、どんな方法ででも、數へ盡すことは出來ない。ただ人間の出來ることはその無限の徂徠(ゆきき)をつづける日と月との下で、それぞれに、さまざまな思ひで、刻刻に生きてゆくこと――乃至(ないし)は刻刻に死んで行くことだけである。さうして、益春は彼の女の生甲斐としてその愛する子――死んだ夫の生きてゆく思ひ出をしつかりと守つた。この母の目にはその男の子は生育するに從つてだんだん彼の父にそつくりに見えるのも嬉しく悲しい。
   《引用終了》
 さて、まだ触れていないことがある。
 実は、私は幽かに、しかし、確かに感じているのだ。それは……
――この詩の孕む緊張感
と、恐らくは
――この詩人の深いところで渦巻く激情
と、である。
 未熟な言葉を連ねるのは避け、最後に一枚の絵を掲げる。
 知られたゴッホの「星月夜」である。
 画家は宇宙に呑み込まれ、画家自身さえも宇宙の一部分として凝結している。あくまで自分と星空との対峙という構造を失わない中島敦の詩とは、決定的に異なる世界ではあろう――しかし――ゴッホが画面に定着した緊張感、そしてその激情を――中島敦もまた、しっかりと蔵しているのではないか?
 画家は、
「僕らは死によって星へと到達するのだ」
と語ったという。同じ言葉が詩人の口から漏れないなどと、誰が言い切れるだろうか……。

 

Vangogh_starry_night

 

[やぶちゃん補注:ゴッホの手紙の中でも、しばしばいろいろな場面で引用される以上の部分について、私の私淑する瀧口修造氏の訳になる「ファン・ゴッホ書簡全集」(一九七〇年みすず書房刊)の第四巻から、当該書信(同書簡番号506)の相当箇所の前後を正確に引用しておく。弟テオ宛のアルル発信書簡である。クレジットはないが、書簡集の前後から判断すると一八八八年七月中と推定し得る。当該部分は書簡の末尾に現われる。ゴッホに『日本にいるような気がする』(469書簡)とまで新鮮な感動を与えたアルル到着は、同年二月二十一日のことであった。
  《引用開始》
 すべての芸術家、詩人、音楽家、画家が、物質的に不幸なのは――幸福な人がいても――たしかに奇妙な現象だ。前便でギ・ド・モーパッサンについてきみがいっていることがまたその新しい証拠だ。それは永遠の問題に関わることだ。すなわちわれわれには生の全体が眼に見えるだろうか。それとも死なないうちはわれわれにはただその半球だけしか知れないのであろうか。
 画家は――他の連中はさておき――死に、埋葬されるが、その作品によって次の世代に、相次ぐ幾世代に話しかける。
 それだけなのかそれともさらにそれ以上のことがあるのか。画家の生涯にとっては、死は多分最大の困難ではないだろう。
 いずれにしてもそれを知るよしはないとぼくはいわねばならないが、地図の上で町や村をあらわす黒い点がぼくを夢想させるのと同様にただ星を見ていると、ぼくはわけもなく夢想するのだ。なぜ蒼穹に光り輝くあの点が、フランスの地図の黒い点より近づきにくいのだろうか、ぼくはそう思う。
 汽車に乗ってタラスコンやルーアンに行けるなら、死に乗ってどこかの星へ行けるはずだ。
 この推論のなかで絶対間違いのないことは、死んでしまえば汽車に乗れないのと同様に生きている限りは、星に行けないということだ。
 詮ずるところ、コレラや尿石や肺結核や癌は、蒸汽船や乗合馬車や鉄道が地上の交通機関であるように、天上の交通機関であると考えられないでもない。
 老衰して静かに死ぬのは歩いてゆくようなものだろう。
 夜が更けたから、それでは寝よう。おやすみ、いいことがあるように。
 元気で
       きみのフィンセント
   《引用終了》
下線部は、底本では傍点「ヽ」。
 この死について語る部分は、知られたところの、切り出されて純化美化されたアフォリズムのようになった言葉以上に――凄絶に我々の胸を衝く――

追記1:私はこの補注によって、評釈の議論の中で「僕らは死によって星へと到達するのだ」を最初に引用したT.S.君を揶揄しようとしているのでは毛頭ない。実際に「僕らは死によって星へと到達する」で検索をかけて見られるがよい。この格言のような文句が、ゴッホが、何時、誰へ、どんな文脈で書いたかという大切なデーティルを語ることなく(一部の記載にはそうした試みがない訳ではないが、私が心からこれならばと思われる記載は、二〇一三年四月二十六日現在、本格的美術系サイトでも殆んどと言ってよいほど、ない)、単品切り出し伝家の宝刀よろしく、そこら中に転がっているのである。そうした私にとって少しだけ気になる世間的な事実について、本評釈を読んで下さる奇特な方々(は恐らくゴッホがお好きな方も多いと類推する)に是非知って戴きたく――実は、軽率に引用したことを恥ずかしいとして書き換えを望んだT.S.君の要求を退け、敢えてそのままにすることを――私が望んだのである。
追記2:因みに、我々日本人の多くは恐らく、このゴッホの述懐に、いやがおうにも、同じように孤独であった今ひとりの詩人の、ある世界を想起するであろう――言わずもがな――宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」――である。]

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