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2013/04/19

海産生物古記録集■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載

……ああっ! なんて楽しいんだろう……僕がしたかったことは……こういうことなんだなぁ……



「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載

 

[やぶちゃん注:国学者喜多村信節(きたむらのぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の随筆「筠庭雑録」に所収。底本は吉川弘文館昭和四九(一九七四)年刊「日本随筆大成 第二期 7」所収の「筠庭雑録(いんていざつろく)」(本書にある影印標題は「筠亭雜録」とする)を用いたが、恣意的に正字化した。踊り字「〱」は正字化した。]

 

   ○保夜

土佐日記に、ほやのつまのいすしといへり。いすしは、本草に出たる淡菜なり。主計式に、貽貝保夜ノ交鮨とみゆ。ほやは雨航雜錄に石勃卒とある是なり。九州に多くあり。筑前より例年江戸に獻上ありとぞ。奧州には春夏これを捕る、西國には秋冬あり。國によりて時節相違すとかや。播州姫路には、保夜にかならずほやを食ふならひなりとか。江戸にもたまたまあるは、いづくより來れるにか。予も是を食し事あり。其狀圓く口二つあり、色赤くして鬼畏ある事、沙巽(ナマコ)の如く、その間に紫色の龜甲紋あり。尻に根生て、石のうへにつきたるは蕈の生たるに似たり。うへの皮を剝ば中に白き肉あり。鹽醋に漬て食ふに、味も沙巽にひとし。寄生をほやといふ故、これにも其名ありとみゆ。能登にても多くとりて食料とすといへり。むかしは海つ物のかゝるたぐひをば、すしといひけるにや。枕雙紙に、名おそろしきもの、いすし、それを名のみならず、見るもおそろしといへるは海膽(ウニ)なるべし。いすしも此例と聞ゆ。

 

Hoyakitamura

 

[やぶちゃん注:「保夜」「海鞘」私の最も愛する海棲生物の一つである。知り合いの物理の大学教授や年季の入った寿司屋の大将、果ては町の魚屋でさえ、「ホヤガイ」と呼称して貝類だと思っていたり、イソギンチャクの仲間と言って見たりと、かなり最近は市民権を獲得して、市場に出回っているにも関わらず、誤認している人が多い生物である。ここで喜多村が図として掲げているものは、脊索動物門尾索動物亜門海鞘(ホヤ)綱壁性(側性ホヤ)目褶鰓亜目ピウラ(マボヤ)科マボヤ Halocynthia roretzi と考えてよい。ホヤは無脊椎動物と脊椎動物の狭間にいる、分類学的には極めて高等な生物である。オタマジャクシ型の幼生時に背部に脊索(脊椎の原型)がある。おまけに目もあれば、口もあり、オタマジャクシよろしく、尾部を振って元気に泳いでいる。しかし、口器部分は吸盤となっていて、その内に岩礁等にそれで吸着、尾部組織は全て頭部に吸収され、口器部分からは擬根が生じ、外皮が皮革化、全くの植物のように変身してしまう。因みに近年の研究によって、ホヤは生物体では珍しく極めて高濃度のバナジウムを血球中に濃縮していることが分かっている。海鞘(ホヤ)綱 Ascidiacea の学名アスキディアはギリシャ語の“askos”(皮袋)に由来、マボヤの属名 Halocynthia はギリシア語の「海」の意の“als”にギリシア神話の月の女神“Cynthia”(キュンティア:よく女性の名や洗礼名などで耳にする「シンシア」である。)の合成語。英名は触れると水を吹くさまから、“sea squirt”、「海の噴水」。仏語名“figue de mer”は「海のイチジク」形が似ているからと思われるが、外郎のような味の独特さも私は各群(果実と海産物)の中で相対的に似ているように思われる(南仏では革質部の色から“violet”(ヴィオレ:紫色。)と呼ばれる)。また、イチジクは母性や乳房という豊饒のシンボルでもあるから、性的な連想も働いているように(エッチな)私は推察する。イタリア語“tarufo di mare”は「海のトリュフ」やはり形状が似ているからであろうが、やはり(エッチな)私はトリュフの媚薬としての連想も禁じ得ない。さらに最後に。ドイツ語では“Seecheide”――「海の膣」――である(以上の名の由来は荒俣宏「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「ホヤ」の項他を参考にした)。

 

「土佐日記に、ほやのつまのいすしといへり」船出した十二月の翌一月十三日の条を指す(紀貫之の事蹟に基づくならば承平五(九三五)年になる)。底本は一九八八年刊の新潮古典集成版「土佐日記 貫之集」(木村正中校注)を用いたが、恣意的に正字化し、一部に私の読みを追加して示した。

十三日(とをかあまりみか)の曉(あかつき)にいささかに雨降る。しばしありてやみぬ。女(をむな)これかれ、沐浴(ゆあみ)などせむとて、あたりのよろしきところにおりてゆく。海を見やれば、

 雲もみな波とぞ見ゆる海人(あま)もがな

   いづれか海ととひて知るべく

となむ歌よめる。さて、十日あまりなれば、月おもしろし。船に乘りはじめし日より、船には、紅(くれなゐ)濃(こ)くよき衣(きぬ)着ず。それは「海の神に怖(お)ぢて」といひて、なにのあしかげにことづけて、老海鼠(ほや)のつまの貽鮨(いずし)、鮨鮑(すしあはび)をぞ、心にもあらぬ脛(はぎ)に上げて見せける。

・「月おもしろし」(十日過ぎて十五夜が近いから)明け方に残る月が美しい。

・「紅濃くよき衣着ず」派手な衣装を身に着けていると、海神(男神)に魅入られ、船諸共に水底に引き込まれるとして恐れたことを指している。

・「海の神に怖ぢて」底本の頭注で木村氏は、『女たちが紅濃く美しい衣を着なかった理由であるとともに、後文へつながり、性器の露出が邪気悪霊を祓う呪的機能をもつとする民俗信仰にもとづき、海神の心を鎮めようとして、の意味をももつ(松本寧至氏)』と注されておられる。非常によい注である。ここは、私のホヤとの最初の接触点であるという稀有の邂逅であったと同時に、深いしみじみとした因縁のある部分なれば、少し私の話にお付き合い願おう。

 そもそも知られた「土佐日記」でも、このシーンを知らない方は多いと思う。まず高校の授業ではやらない。私が持っていた「土佐日記(全)」の高校生向け参考書で、高校二年生の時にこの下りを発見した時には、何となくどきどきしたものだ。ところが訳を読んでも生硬な逐語訳で全く意味が分からない。また、かつての専門的なアカデミックな評釈書でさえも、国文学者の大半がシャイであったがために、最後の部分の語注や評釈が十全になされていなかった。

 悶々としたまま私は大学に入った私は、お蔭で「日本文学演習(中古)」の授業のテーマに、この一条に表われた性的象徴関係を研究に選んだ。

 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて」したはずのものの中に描かれた、「老海鼠のつまの貽鮨、鮨鮑」に似た『あそこ』をぱっくりと海に見せている女たち――それを「心にもあらぬ」――思わず、いや、不用意にも――「脛に上げて見せ」ているじゃないかと、それこそ思わず吐露してしまう筆者は、やはり女ではない――では何故、額縁を壊してまでこのエロチックなシーンを挟む必要があったのか?――それは恐らく、アメノウズメノミコトに象徴される、世界を決定的に転換し得る女性の生殖器の持つ呪的パワーが、この海路の下りにシステムとして求められたからである。――更に言えば――精神の女装化を図った貫之の中の女性性(アニマ)が海―太母(グレート・マザー)への回帰願望として表出したのではなかったか――

というトンデモ論文が、一九七五年に私が書いたオリジナル「土佐日記」論であったのだ。質問に行った講義担当教授は私の話を聴くなり、「君もまあ、その、変なところをいじりたがるんだねえ」と、如何にもいい台詞を一言を呟いておられた(評価の厳しい部類の先生であったが、それでも最後にしっかりと「優」を下さったことには深く感謝している)。

 なお、実は、喜多村先生、まっこと、目から鱗の書きっぷりで、この「筠庭雑録」の「保夜」の次の条は「土佐日記」、しかもこの「保夜」の条の記載をダイレクトに受けてのそれなんである! からして、引用せずんばならず! 長い注になり、ホヤから遠く離れてゆくのは私の授業の脱線と同じ宿命――お付き合いあれ――(一部の表記法を変えて〔 〕で割注。を示した(底本では割注部分に『割注』とあり、鍵括弧でその終了を示している)。本文同様に正字化し、漢文部分は私が底本の訓点を参考にしながらもオリジナルに書き下したものを直後に( )で配した。なお、非常に長い割注部は改行して読み易くした)。

 

   ○土佐日記

土佐日記に、男女これかれゆあみなんどせんとて、あたりのよろしき所におりて行く。〔中略〕。ふねにのりはじめし日より、舟には、くれなゐこくよきゝぬきず。それは海のかみにおぢてといひて、なにのあしかげにことづけて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、心にもあらぬはぎにあげて見せける。といへる条。諸抄ともに分曉ならず。今按るに、男女ともに船よりおりたちて、便宜なる所にて行水なんどする事と見へたり。抑ふねに乘そめし日より、けやけき色なる衣をだに着ぬは、海神を恐れ憚りてなり。この日記は、女のかけるやうに物せるにかなへり。〔今も海上ゆく舟には、か一る忌事多し。〕何のあしかげにことづけては、海上にていみじく怖れつゝしみしかど、船岸邊によすれば、さり氣もなく打興じて湯あみするは、蘆の蔭あればおそれなしとおもふにや。なにのはいかに也。〔今俗に、何の事ぞなどいふ意なり。〕ことづけては、今俗にかこつけてなどいふ意也。ほやのつまのいずしあはび、〔是にても聞ゆれど、恐らくは、いずしの下、すしといふ文字、誤りて重なりしか。〕これらの海物(ウミツモノ)を、とりあへず湯あみし男女の陰し處にたとへて興ずるにや。鮑を女陰に準へし事もあれば、ほやを男根に比(タグ)へんこと論なし。こゝは專ら女のかたをいふ。そはほやのつまのと、かの交鮓を妻の意とせるにて明らか也。胎貝は、もとより漢名にも東海夫人といふ名もありて、その肉のかたちよく似たるもの也。鮑をよそへし事は、明衡が新猿樂記に、野干(キツネ)坂伊賀專之男祭。叩蚫苦舞。稻荷山阿小町之愛法。鼿鰹破前喜。(野干坂(きつねさか)の伊賀專(いがとうめ)の男祭(をとこまつり)には、蚫(あはび)が苦本(くぼ)を叩(たた)きて舞ふ。稻荷山の阿小町(あこまち)の愛法には、鰹破前(かつをはぜ)を鼿(ごつ)して喜ぶ。)

〔狐坂。京師在松崎北越北岩倉路(京師は松崎北越北岩倉路に在り)。伊賀專は、もと狐の事なれども、こゝは媒の老女などをいふ。男祭は女に逢はんとて祭るなるべし。蚫苦本はあはびの介のくぼきを女陰にたとへし也。阿小町はむすめをいふ。阿はしたしむ言葉、小町は女をいふ。小野小町、三條小町などおもふべし。愛法は愛染の法などにて、男におもはれむとて祈る也。鼿は、和名抄に宇世流と訓じ、説文を引て、以鼻動物也(鼻を以つて物を動かすなり)といへり。鰹破前はかつをぶし、破前とはその狀なり。和名抄に、玉莖を破前ともいへり。野干坂稻荷山は地名なり。くはしくとき盡さば、事繁く且はこゝにえうなければ、たゞおほむねをいふのみ。〕

とあり。これ雌雄(メヲ)の二根にたとへしもの也。心にもあらぬはぎにあけて見せけるとは、脛高くかゝげしかば、心にもあらで藏しどころを人に見られたるなり。かの湯あみせし人々のかへり來るさまなるべし。[やぶちゃん注:本文はここで終わっている。以下は全部割注である。]

〔さきに岸本※園が[やぶちゃん注:「※」=「木」+「在」。]、土佐日記標註を刻みしころの事なりき。この草稿を※園にも見せ。また高田松屋にも見せ置たるを、人のみつるにや、今茲天保三年後言(シリウゴト)といふ草子三巻子のしつるは、妙々奇談を學びて和學者を批評して、いとおかしく書なしたり。其中に、岸本※園が土佐日記標註を難じたる條、全く予が此説なり。但異なる處は、何のあしかげといへる何は、河字の誤りなるべしと※園がいへるをとれり。此しりうごとといふ草子は、大黒常是の雇人にて、川崎源三千鳥庵琴彦といふもの也。平田篤胤が門人にて有ながら、篤胤をも草子の内に謗れり。其答書に烏おどしといふあり。板行にはならず。是も同人の作なりとぞ。〕

 

以上の詳細注を附すと、いつまでたっても注が終わらなくなってしまうので、要所のみの注とするが、この考証、すこぶる面白い。全く以って、これ、正統なる(エッチな)私好みと言わざるを得ない。

・「分曉」「ぶんげう(ぶんぎょう)」と読み、夜が明ける原義から、明瞭なことを言う。まさに性を抑圧したクソ・アカデミズムへの指弾である。(エッチな)私は頗る小気味よい。

・「明衡」儒学者藤原明衡(あきひら 永祚元(九八九)年?~治暦二(一〇六六)年)。後冷泉天皇朝に於いて式部少輔・文章博士・東宮学士・大学頭などを歴任、従四位下まで上った。詩文に秀で、「本朝文粋」「本朝秀句」を編修、「新猿楽記」「明衡往来」などを著している(ウィキの「藤原明衡」に拠る)。

・「新猿樂記」ある晩、京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物で、その内容から往来物の祖ともいわれる。参照したウィキの「新猿楽記」には、以下の記載部分について、猿楽見物に訪れた登場人物の一人である右衛門尉の、二十歳も年上の老妻(第一の本妻)が、夫の愛を受けるために信仰している神々の一つとして、この『野干坂の伊賀専の男祭(きつねざかのいがとうめのおまつり)』が挙げられており、『野干坂は山城国愛宕郡松が崎村(現京都市左京区)の西から北岩倉に抜ける路』で、『伊賀専は男女の仲を取り持つ神として祀られた老狐。その狐の、男に逢うための祭で、アワビ(女陰)を叩いて踊った』とし、更に、『稲荷山の阿小町の愛の法』として、『伏見稲荷大社に祀られた稲荷明神の眷属となった狐』『に、男の愛を得るための祈りを、鰹節を陰茎の勃起したものに見立てて振り回し行った』とある。私は「新猿楽記」は未読で所持しないが、頗る読みたくなってきた。

・「鼿鰹破前喜」「鼿」の字は、動物が鼻先で以って獲物などを動かすことを意味する字であるから、前の注の引用を考えると、これはファルスに見立てた鰹節(先の『「立路随筆」に表われたるカツオノエボシの記載』で、イタリア語の隠語では男性器を「鰹(カツオ)」と言う事実を記したが、本邦でも同じだったわけだ!)を両手で握って自分の鼻先まで掲げた上で、振り回す仕草を言っているように思われる。「新猿楽記」をお持ちの方、よろしければ注などお教え下さると嬉しい。なお、割注「宇世流」とある訓は「うせる」で、「さっさと失せろ」の「うせろ」は元は「鼿せろ」と書くらしい。確かに「失せろ」という時、我々は鼻で相手を使っている訳だ。目から鱗、目から鼻に抜けた。

・「岸本※園」国学者岸本由豆流(きしもとゆずる 天明八(一七八八)年~弘化三(一八四六)年)の号で、「※園」で「やまぶきぞの」と訓ずる。幕府弓弦師(ゆみづるし)岸本讃岐(さぬき)の子(一説に養子)。三万巻の蔵書を駆使して平安朝から中世文学の文献学的考証を行った。ここで喜多村がヤリ玉に挙げられているのは彼の「土佐日記考証」である(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。

・「後言」はこれが川崎源三千鳥庵琴彦なる人物(未詳)の書いた本の書名らしいが(未詳)、現代仮名遣では「しりゅうごと」で、陰口の意である。師であった篤胤を誹謗しているというから、これ、私好みのトンデモ男である。知りたい。識者の御教授を乞う。

「いすし」貽鮨(いずし)。貽貝(いがい)の肉(軟体部)を漬けて発酵させた熟(な)れ鮨。貽貝は二枚貝綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ属イガイ Mytilus coruscus。ムール貝(イガイ属の正式和名ムラサキイガイ Mytilus galloprovincialis)の仲間の、イガイの国産標準種と言った方が通りがよいだろう。

「淡菜」イガイの別名。また、イガイやムラサキイガイを煮て干した食品を指す。イガイは古くからニタリガイの異名を持ち、これ自体も女性生殖器に非常に似ているとされ、かつて江の島などの海浜に近い土産物店では透明樹脂で固定した半開きのイガイの如何にもな標本を売っていたものである。

「主計式」全五十巻の「延喜式」の内、巻二十四及び二十五を主計式(上・下)と呼ぶ。主計寮(しゅけいりょう/かずえのつかさ:現在の財務省主計局。)関連の記載で、主計寮は当年の調庸その他の貢納分を計算して来年の収支の予算を立てることを任務とする。ここで言っているのは、全国への庸・調などの割り当てや当時の全国の農産物・漁獲物・特産物を伝える巻二十四に載る記載である。

「貽貝保夜ノ交鮨」「土佐日記」に出る「鮨鮑」を「日本国語大辞典」でひくと、その使用例に「延喜式」の「九二七」二四の主計が引かれており、そこには『鮨鰒、貽貝、冨耶交鮨各 六斤』とある。「冨耶交鮨」は「ほやのまぜずし」で、まさにこの引用とも一致する。

「雨航雜錄」明代後期の文人馮時可(ひょうじか)が撰した雑文集。魚類の漢名典拠としてよく用いられる。四庫全書に含まれている。

「石勃卒」この古表現は平安初期の本邦の記載に既に見られるらしい。

「九州に多くあり。筑前より例年江戸に獻上ありとぞ。奧州には春夏これを捕る、西國には秋冬あり」ホヤ類は本邦では広く分布するが、ウィキの「ホヤ」にある「食材としてのホヤ」には、『ホヤは日本、韓国、フランスやチリなどで食材として用いられて』おり(韓国では食べかけたが、案内してくれた教え子の韓国大使館事務官に「肝炎になって日本に帰らないつもりなら食べて下さい」と言われて涙を呑んだ)、『日本では主にマボヤ科のマボヤ(Halocynthia roretzi)とアカボヤ(H. aurantium)が食用にされている。古くからホヤの食用が広く行われ多く流通するのは主に東北地方沿岸部であり、水揚げ量の多い石巻漁港がある宮城県では酒の肴として一般的である。また北海道でも一般的に食用の流通がある。多いのはマボヤであり、アカボヤの食用流通は北海道などであるが少ない。東京圏で食用が広まり多く流通するようになったのは近年である。中部地方以西・西日本各地では、今なおごく少ない』(最後の部分には「近年」の部分に時期記載要請、「今なお」の部分にも記載時要請がなされているが省略した)。西日本での需要が今一つであるのは、『食用に供される種であるマボヤは、日本では太平洋側は牡鹿半島、日本海側は男鹿半島以北の近海産が知られる。天然物と養殖により供給されている。鮮度落ちが早く、新鮮なものは臭わないが、鮮度が落ちると金属臭のような独特の臭いがあり、好き嫌いが分かれる。この臭いは鮮度が落ちると特に強くなる。鮮度の管理が難しい』点にあると考えてよいが、この本文の記載等を見ると、産地を九州とし、献上先の筆頭に筑前(福岡)が挙げられている。現在、マボヤは宮城県と岩手県を産地とする。

「播州姫路には、保夜にかならずほやを食ふならひなりとか」「保夜」という一般名詞は、ホヤの当て字として以外にはないので、意味が解らない。叙述からは「夜を保つ」で宿直(とのい)番のことのようにもとれる。そこで同じ字を宛てるホヤにあやかって、警護の無事を祈るということか? いずれにせよ、ホヤに「保夜」の漢字を当てたのは後のことと考えてよく(後注「寄生」参照)、この意味不明の習慣は後付けである。姫路でのホヤの儀礼食の記載にも出逢わない。御存じの方、是非、御教授を!

「鬼畏」不詳。音で「キヰ」と読んでいるか。識者の御教授を乞う。当初は「つの」と読んで入水管と出水管を畏ろしい鬼の角に模して言ったものかとも推測したが、それらは直前で「口二つあり」と表現している以上、違う。すると、後述のようにナマコにもあるとすると、ホヤの外皮の皮革化いた部分にやや突出する疣状の突起物を指しているいるように思われて来、『あれは……そういえば……鬼の持っている金棒――鉄榨(てっさく:「榨」は絞りとる具。)のイボイボに、これ、似てるよなあ……』などと思ったり……。するとこの「鬼畏」はこれで「おどろ」とか「とげ」とか読んでいるのかも知れないなどと思ったり……。どんな情報でも結構である。よろしくお願いしたい。なお、荒俣宏「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「ホヤ」の項にはマボヤには『「イボボヤ」という異名もある』とある。現代語訳では、「やや尖った疣」とした。

「蕈」「きのこ」と訓じていよう。

「鹽醋」「エンソ」又は「しほず」と訓じていよう。塩酢。

「寄生」これは「ほや」と読んでいるものと思われる。双子葉植物綱ビャクダン目ヤドリギ科ヤドリギ属ヤドリギ Viscum album に代表される植物のことを言っている。実はこの現在は「寄生木(やどりぎ)」と和名漢字表記するヤドリギ類は、古くは「寄生」と書いて「ほや」「ほよ」と呼称していた(呼名語源は不詳。識者の御教授を乞う)。

「むかしは海つ物のかゝるたぐひをば、すしといひけるにや」の部分は、ホヤを離れた「すし」「いすし」考となっている(こういう脱線が私藪野直史的で頗る楽しくなってくるのである!)。「すし」(現在の漢字表記「寿司」は京都で朝廷へ献上することを考慮したものとされ、江戸では「鮨」の、大坂では「鮓」の字が使用が主流である)。既に「延喜式」の中に年魚鮓・阿米魚鮓などの字が見える。「すし」の語源については江戸中期に編まれた「日本釈名」「東雅」などに載る、『その味が酸っぱいから「酸し(すし)」である』とする説が有力とされている(以上の部分はウィキの「寿司を参照した)。即ち、鮮度の落ちやすい海産物は酢締めにされ、それを食したり、呼称したりする際に、大衆が「海産物」を広く「すし」と呼んだとすれば、この喜多村の説は頗る説得力があるように思われる。末尾の「いすしも此例と聞ゆ」の「この例」とはまさにこうした汎用例のことを言っているのではあるまいか?(そのように現代語訳はした)

 

「枕雙紙に、名おそろしきもの、いすし、それを名のみならず、見るもおそろしといへるは海膽なるべし。いすしも此例と聞ゆ」「いすし」は「飯寿司」「飯鮨」で、本邦では非常に古くからあった乳酸発酵させて作る「なれずし」の一種である。海産物をある程度の期間、腐敗を防いで可食化するためには、こうした処理は頗る有効であるから、ある意味で、前注同様、「飯寿司化された海産物」=「海産物」(「今昔物語集」の私の好きなエピソードの一つに鮎のなれずしの話が登場するから水産物全般と言うべきとも思われる)の意味で用いられたと考えてよかろう。「枕草子」の当該箇所は、所謂、『ものづくし』の章段中の「名おそろしきもの」である、以下に示す(諸本により章段数が異なる。一四六又は一五三・一四八周辺を探られたい。私は萩谷朴校注の新潮日本古典集成本の第一四六段を底本とし、底本の各個改行特殊字配(段々に下がるよう表記されている)を大半無視して繫げ(グループ化されているところで改行としたが、やや疑問がある「生靈」は独立させた)、更に恣意的に正字化した)。

 

名恐ろしきもの。

靑淵(あをぶち)。谷の洞(ほら)。

鰭板(はたいた)。鐡(くろがね)。土塊(つちくれ)。

雷(いかづち)は、名のみにもあらず、いみじう恐ろし。暴風(はやち)。不祥雲(ふさうぐも)。戈星(ほこぼし)。

肘笠雨(ひぢかさあめ)。荒野(あらの)ら。

強盗(がうだう)、また萬づに恐ろし。濫僧(らんそう)、おほかた恐ろし。金持(かなもち)、また萬づに恐ろし。

生靈(いきすだま)。

蛇苺(くちなはいちご)。鬼蕨(おにわらび)。鬼野老(おにところ)。薔薇(むばら)。唐竹(からたけ)。

黥(いれずみ)。牛鬼(うしおに)。碇(いかり)、名よりも見るは恐ろし。

 

以上から分かるように、喜多村は最後の部分を誤って引用しているとしか思えない。清少納言は「恐ろしきもの」の最後に(但し、ここまではその名称が「恐ろしい」のであるが、この三つに限っては、その名称ではなく、そのものの具体な実態イメージが「恐ろしい」と言っている点で特異点である)、としては、「名前よりそのものの絵や実物を見るのがとっても怖い」ものとして、処罰としての「黥」、顔面に彫られた隈取のような刺青、牛頭人身で角を生やした地獄の獄卒牛頭(ごず)、そして両側に返しの鉤を持ったあの船の碇を挙げているのである。これらの形象への生理的嫌悪感は素直に理解出来る。

 ところが、これが喜多村の言うように「いすし」であるとすると、これは頗る意味不明となる。

 管見した限りでは、ここを「いすし」とするテクストを知らない(御存じの方は御教授を乞う)。喜多村氏には悪いが、草書の「か」「り」は「す」「し」に似る。これはもしかすると、「いかり」の崩し字を「いすし」と読み違えたものではあるまいか?

 

 なお、図の左には「長け五寸許」(たけごすんばかり:ホヤの高さ約十五センチメートル程)とある。]

 

◆やぶちゃん現代語訳

 

   ○保夜(ホヤ)

「土佐日記」に、『ほやのつまのいすし』という語句が登場する。「いすし」とは、本草書に載るところの「淡菜(たんさい)」のことを指している。「延喜式」の「主計式」の記載にも既に、『貽貝(いがい)と保夜(ほや)の交鮨(まぜずし)』と記されている。ホヤは明の博物書「雨航雜録」に「石勃卒(せきぼっそつ)」とあるのが本種である。九州沿岸に多く産する。筑前より例年、江戸に献上があると聴く。奧州では春から夏にかけてこのホヤを獲り、西国では秋から冬にかけて漁し、国によって漁獲する時節が相違すると聴いている。播州の姫路にては、各家などの宿直(とのい)の際には、必ず、このホヤを食う習慣があるとも聞く。江戸でも、たまに魚河岸にて見かけることがあるのは、あれは、どこの地方から来たれるものなのであろう。私も以前、これを食したことがある。その形状は全体に鞠のように丸く、上部に突出した口が二つあり、全体に色が赤く、また、各所にやや尖った疣(いぼ)があるのは、ちょうど海鼠(なまこ)のようで、その疣の間には紫色を帯びた硬い皮で出来た亀甲紋(きっこうもん)がある。株の下方には根が生えており、石の上に附着した個体などを管見すると、これはあたかも陸の茸(きのこ)が生ているのに似ている。上の皮を剥ぐと、中には白い肉がある。塩・酢に漬けて食うと、味も、これは海鼠と同じい。陸生植物である寄生木(やどりぎ)のことを古くより「ほや」と呼称するから――この根を張って丸い感じが如何にも寄生木と似ているがゆえに――この生物にも、同じ「ホヤ」という名を附けたものと考えられる。能登でも多く漁獲されて食料としていると聴き及んでいる。昔は海産の生物の、このような――魚とは形態の異なるところの有象無象の類いを――これ、「すし」と呼称していたのではなかろうか? 清少納言の「枕草子」にも、『名おそろしきもの、いすし、それを名のみならず、見るもおそろし』と述べる部分があるが、あれは察するに無数の刺を突きだした異形(いぎょう)の海胆(うに)を指して言っているのであろうと思われる。この「土佐日記」等に表われる「いすし」という語も、私はこれと同じ使用法であると考えている。

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