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2013/04/21

耳嚢 巻之六 鄙僧に遺德ある事

 鄙僧に遺德ある事

 

 新御番(しんごばん)を勤(つとめ)し杉(すぎ)市右衞門といへるは、予若き時、近隣なりし故、昵(むつ)びし事もありき。彼(かの)市右衞門方に月見の夜、座敷の内に瓜の種交りし糞やうのものありしを、穢らはしき事とて侍女抔に命じ拭ひ捨(すて)んとせしに、段々先へ同樣にふへ、二三疊も同じく穢れける故、いかなる事にやと、いづれも奇成(きなる)を恐れけれど、兎角其後は格別の事はなかりしが、時々奇事(きじ)のみありし故、山伏抔招きて祈禱せしに、釋杖を奪(うばひ)とり、或は珠數(じゆず)すりきりなどせし故、山伏も面目を失ひて立歸りぬ。如何せんと思ひし内、或知人、本郷邊の裏店(うらだな)にかすかに住(すめ)る僧をつれ來りて祈禱を賴(たのみ)けるに、是は年古(としふる)狐なり、祈禱すべしとて暫く祈りしに、其(その)怪止みけるが、此(この)狐捨置(すておか)ば又害をやなさんとて、鎭守の稻荷の賽錢箱を取寄(とりよせ)、是へ封じ込(こむ)べしとて、何か暫く念じ、最早氣遣ひなし、猥(みだり)に此箱のふたを、暫くは取給ふなと云て歸りし故、主(あるじ)も嬉しき事に思ひて厚く禮を述(のべ)て、目錄やうのものとりもたせて、彼(かの)裏借屋(うらしやくや)をからうじて尋(たづね)當りしに、禮謝過分のよしにて不請(うけず)ありけるゆゑ、またまた手をかへて禮謝に至りしが、遠國へ廻國に出しとて其店(そのたな)にもあらざりし。其後尋(たづね)とへども、行衞しれずと也。無欲德行の聖(ひじり)にてありしや。かゝる德あるもの故、數年を經し妖獸も退散せしならん。年たちて彼(かの)賽錢箱の内に、狐骨(ここつ)などあるならんとひらき見しに、何もなく、たゞ白き毛夥敷(おびただしく)ありしと、杉氏の一類かたりぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:妖狐譚連関。

・「新御番」江戸城内に交替で勤め、将軍出行の際の先駆けなどの前衛の警護に当たった。近習番。新番。岩波版歯長谷川氏注には『平常は土圭(とけい)の間の衛所に詰める』とある「土圭の間」江戸城内の時計を置いた部屋で、坊主が勤務して時報の任に当たった。但し、平凡社「世界大百科事典」の「新番」の記載には、土圭間番(とけいのまばん)も別称というが、本来は別個のものといえようか、とある。

・「杉市右衞門」底本の鈴木氏注によれば、杉茸陣(すぎしげのぶ 正徳三(一七一三)年~寛政元(一七八九)年)とする。元文三(一七三八)年大盤、寛延二(一七四九)年に新番に移動、明和二(一七六五)年に同番を辞し、同四年致仕。但し、根岸と年配が同じなのは、むしろ養子の鎭喬(しずたか)であるが、大番で終始し、新番は勤めていないので該当しない、と注されておられる。根岸の生年は元文二(一七三七)年で茸陣とは二十四歳年上であるが、鎭衞が根岸家の家督を継いで二十一歳で勘定所御勘定となったのが宝暦八(一七五八)年のことで、その時、茸陣は既に四十六歳で新番であった。近所に住む有望なる若衆として、根岸のことを特に目をかけていた、ということででもあろう。されば、非常に珍しい青年時代の根岸の姿が冒頭にちらりと登場することになる。なお、茸陣が没したのは根岸が勘定奉行の時で、その翌年、南町奉行に就任している。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年八月であるから、それから十五年が経過しており、しかも根岸はこの執筆時は六十四になっている青春を回想したくなる齢(よわい)である……自分を可愛がって呉れた亡き先輩への追想……自身の若き日の思い出……「稲生物怪録」張りの室内の怪異……呪法が効かず翻弄される修験者……如何にもしょぼくれた僧によって、しかし、匣(はこ)に封じ込まれてしまう妖狐……一切の謝礼を断って霞の彼方へ去ってゆく、その行脚僧……匣の蓋を開いて見れば……ぎゅうっと詰まった白狐の累々たる毛……実に良質の綺談というべきであろう。私は頗る好きである。

・「瓜の種」底本は「瓜の積」。「瓜の種」でないと意味が通らない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も「瓜の種」であるので、補正した。

・「裏店にかすかに」この「かすかに」(幽・微かに)は、その町屋の長屋にあって、生活ぶりなどが弱々しく、細々として、具体に貧しいという謂いに加えて、人目につかず、ひっそりと暮らしている、さまをも言っているように思われる。

・「彼裏借屋をからうじて」底本では右に『(尊經閣本「彼裏店へをくりからうじて」)』と補注する。補注の文も参考にしつつ、訳した。

・「目錄」進物をする際、実物の代わりに、同時に若しくは事前に、その品目を記したものを贈るもの。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 貧僧にも後世に残るような人徳のある事

 

 新御番(しんごばん)を勤めておられた杉(すぎ)市右衛門茸陣(しげのぶ)殿と申さるる御方は、私が若き日、近隣にお住まいで御座ったゆえ、頗る昵懇にさせて頂いたことのある御仁で御座る。

 かの市右衛門方にて、その昔、月見を催された夜のことである。

 ふと見ると、座敷の内に、瓜の種が交った獣の糞(くそ)のようなものが、これ、べっとりと落ちておった。

 市右衛門殿、それを見て、

『……何かは分からぬが……何ともはや、汚いものじゃ……侍女などに命じて拭ひ捨てさせねば……』

と思うた。

 ところが……そう思うた傍から……そのおぞましいねばついたものが……これ……だんだんにじわじわと……市衛門殿の現に見て御座る座敷内の……その……先へ先へと……みるみる同じように増えてゆき……瞬く間に、その泥ついて白きものを交えた粘体(ねんたい)……これ、畳二、三畳分にまで広がって……同じように、見るもえげつなきほどに穢れ広がってゆく。

「……こ、これは……一体?……何じゃ?……」

と、その正体不明のどろどろの気持ちの悪いそのもの自体も、また、それが見る見るうちに畳何畳分にも広がるという奇怪(きっかい)なる現象も、これ、いずも妖なることなればこそ、家内の者どもも皆、すこぶる恐れ戦いたと申す。

 まあ、ともかくも、その後(のち)は格別、大きなる変事は御座らなんだものの、それでも時々、何気ないことながらも、後で考えると如何にも奇なることのみがやはりしばしば御座った。

 さればこそ、山伏なんどを招いて、悪霊退散の祈禱など、させてみた。

 ところが、いざ、山伏が祈禱を始める、その傍から、

――山伏の錫杖が、これ、目に見えぬ何者かに奪い取られ、空(くう)を切って、庭や隣りの部屋へと落ちるわ……

――祈禱に使う数珠が突然、

パチン!

と音を立てたかと思うと、丈夫な紐が、これ、擦り切れ、部屋中に

パチ! パチ! パチ! パチ!

と数珠玉が飛び散るわ……

という始末。

 山伏も面目(めんぼく)を失(うしの)うて、ほうほうの体(てい)で逃げ帰って御座った。

 かくなる上は、如何(いかが)致いたらよいものかと、市右衛門殿も思案に暮れた。

 と――ある市右衛門殿の知人が、本郷辺りの裏店(うらだな)に如何にも貧しく住みなしておると申す僧――

……これ、見た目、如何にもしょぼくれており、凡そ、頼りになりそうには見えなんだが……いや、これ、何でも、その手の怪異の呪法を施させれば天下一と、知人は申して御座ったが……

――を連れて参ったゆえ、藁にも縋る思いで祈禱を頼んで御座った。

 貧僧は、まず、少しばかり静かに瞑想致いて、屋敷内の何かを探っておる様子であったが、ぱっと目を開くと、

「――これは――年古る狐の仕業で御座る。――祈禱致しましょうぞ。――」

と、暫くの間、日参致いては、祈りを続けた。

 すると、その僧の参った日より、あの数多の怪異、これ、ぴたりと止んだ。

 最後の日、参った僧は、しかし、

「――この狐――捨て置くならば、これまた、害をなさぬとも言い難きものなれば……そうさ――この辺りの鎮守の稲荷の賽銭箱を、一つ、取り寄せて下さらぬか?」

と申したによって、下男の者を呼んで、即座に賽銭箱の新しきもの作らせると、近くに稲荷に御座った賽銭箱と替えて持って来させた。

 すると僧は、

「――如何にも――これでよろしゅう御座る。――この内へ、かの妖狐を封じ込んでしまいましょうぞ。」

と、何事か暫く念じたかと思うと、

「――さても、最早、気遣い御無用。――但し、濫りにこの賽銭箱の蓋を――まあ、暫くの間は――お開けなされぬように――」

と告げたかと思うと、そのままふらっと帰ってしもうた。

 主人市右衛門殿も、すこぶる喜んで、

「これは、目録なんどを用意致いて、しっかと手厚き礼を述ぶるが筋じゃ。」

と、下男に目録を持たせて、知人から聴いた、かの僧の住むと申す裏店(うらだな)の借家を、やっとこ、捜し当てた。

 ところが、かの僧、目録を差し出だいた下男に向かって、

「――この礼謝――過分なればこそ平にご容赦――」

と固辞致いたと申す。

 その態度に心打たれた市右衛門殿は、その後も何度も、手を変え品を変えては礼謝に及ばんと致いたものの、悉く辞退された。

 とある日、またしても訪ねさせてみたところが、隣家の者が、

「……あの坊(ぼん)さんなら、遠国へ廻国に出なすったで……」

と、かつての店(たな)には、もうおらずなって御座った。

 その後も、いろいろと手を尽くして方々尋ねさせて見たものの、遂に、行方知れずと相い成って御座ったと申す。

 いや、これ、まっこと、無欲徳行(とくぎょう)の聖(ひじり)では御座らぬか!

 このように稀なる徳を持っておられたゆえ、数十年を経て変化(へんげ)となった妖獣も、僅かの間に退散致いて御座ったものであろう。

 

 因みに――数年経った後のこと、市右衛門殿、

「……そういえば……あの賽銭箱の中……さても……狐……骨なんどになってあるものか?……」

と、おっかなびっくり開いて見て御座ったと申す。

すると――

箱の内には――これ――何もなく――

……ただ

――夥しい量の

――白い毛ばかりが御座った……

……とのことで、御座る。

 

 以上は、杉氏の親族の御方が私に語って下さった話で御座る。

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