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2013/04/29

やぶちゃんのトンデモ仮説 「陳和卿唐船事件」の真相

先に「北條九代記」の「宋人陳和卿實朝卿に謁す 付 相撲守諫言 竝 唐船を造る」原文と注をブログ公開したところ、私の教え子が以下のような質問を送ってよこした。以下、それと私の返信を附して、私の「陳和卿唐船事件」の真相についてのトンデモ仮説をご披露して、注の最後としたい。

☆教え子の質問と添書

・陳和卿の言葉に実朝の心が動いたのはなぜか(真意はどこにあるかは別として)

・もし船の建造に成功したら、実朝には日本を離れる意思が本当にあったのかどうか

・陳和卿の胸には大船の竣工、進水のあてがあったのかどうか

・彼にもし確信なかったのなら、その真意はどこにあったか

・もし竣工、進水に成功したら、彼にはどのような目算があったのか、実朝とともに一緒に大陸へ戻ろうと考えていたのか

・陳和卿は、進水に失敗した場合に監督者としての責任追求はされなかったのか

・日宋貿易にも使われたような大船の建造技術があったはずの当時の日本で、なぜ進水失敗という噴飯物のミスを犯したか

・少なくとも大輪田泊に行けば、大陸へ渡る際に使用できるような船は調達できたはず。なぜわざわざ新造させたのか

 

由比ガ浜に打ち捨てられた大船の姿を想像すると、まるで悪夢を見ているようです。本当に事実だったのか、にわかには信じられません。


★やぶちゃんの回答

あなたのご質問は、どれも個別には私には明確に答え得ないものばかりです。歴史学者でも――いや――歴史学者だからこそいい加減には答えられない、とも思います。しかし私は実は、それらを一気に解決し得る仮説を持ってはいます。

それは私の若書きの大駄作「雪炎」でも臭わせてある、北条義時による極めて遠大なる謀略であったと仮定するのです。

それは例えば、あなたの疑問を逆に辿ることによって、そのシルエットの片鱗が見えてくるように思われるのです。

あなたの仰るように、おかしいのです、実におかしい。
 

「吾妻鏡」には進水しない記事を以って以降、陳和卿の名は登場しません。渡宋用のしかも将軍の乗る唐船です。莫大な資材と人件費がかかっていることは明白です。従って「進水に失敗した場合に監督者としての責任追求」は当然なされなくては噓で、普通なら、奉行となった結城(小山)朝光と実務責任者であった陳和卿には必ずなんらかの処分が下されねばならない。ところが、そうした記載が一切、現われない。そして、これ以降の和卿の行方は知れない。「大輪田泊」(現在の兵庫県神戸市兵庫区にあった港。現在の神戸港西側の一部に相当する。十二世紀後半に平清盛によって大修築されたのは有名。輪田泊(わだのとまり)ともいい、古くは務古水門(むこのみなと)とも称した。平安末期から鎌倉前期にかけて日宋貿易で栄えた。中世にあっては兵庫湊(ひょうご(の)みなと)と呼ばれた)「に行けば、大陸へ渡る際に使用できるような船は調達できた」にも拘わらず、「なぜわざわざ新造させたのか」が不審であり、また「日宋貿易にも使われたような大船の建造技術があったはずの当時の日本で、なぜ進水失敗という噴飯物のミスを犯したか」も説明出来ないのです。――それを納得させる答えは、ただ一つ――即ち、
 
ちゃんとした「浮かぶ」船を調達されてはまずかったし、もともと進水出来ない船を造ることが目的だったから

 
です。
 

誰にとって?

 
当然、それは北条義時にとってであり、最終局面に於ける陳和卿自身にとっても、そうだったのです。
 

即ち、私は、和卿はもともと義時の企画した謀略の道化役に過ぎなかったのではないか、と考えるのです。
 

だとすれば、誰も処分されないことの理由が腑に落ちます。

 
では、和卿は何時から義時の謀略に加担したのか?
 

私は、鎌倉へ下向し、対面を望んだその初めからであったと考えます。彼は東大寺の僧との領地争いによって京に居づらくなっており、鎌倉に伝手(つて)を求めていた。それを知った義時は、
 

――実朝の外的な意味での完璧な『権威の失墜』――
 

を企画するために、如何にもなパフォーマンスから進水失敗まで、総てのシナリオを事前に用意して、この和卿を誘い込んだと考えています。
 

但し、それが実は義時の謀略であることを和卿がちゃんと知っていて加担したのかどうかは留保しておきます。
 

そうです。
 

私が私の駄作で公暁の遺恨を高まらさせ、実朝暗殺へと導いた手法と同じです。

そこでは実は、公暁は謀略の張本人が義時であることを知らず、義時を殺そうとさえする。しかし直前に入れ替わった源仲章を公暁は義時と思って殺すわけです。

この、首魁自身がその謀略の中で殺されるかも知れないという自己の生命のリスクまで覚悟しているという遠大な謀略――こそ――「謀略」と呼ぶに相応しい「謀略」であるとさえ私は思っているのです。

なお、
 

――実朝の外的な意味での完璧な『権威の失墜』――
 

とは、荒っぽく言えば、
 

――東国武士団総体の将軍実朝に対する信頼感を失墜させること――
 

という意味です。

将軍が暗殺されても、その将軍を大勢(たいせい)が疎ましく思っていれば、政情の不安は起りにくい。和歌や官位昇進にうつつを抜かすのに加えて、決定的に人心が離れる事件――『暗殺』する/される事件――のためには是が非でも必要なのです。
 

すでに起動していた(と私は考える)公暁による暗殺のシナリオと平行した、別働隊による補強謀略こそが、この「陳和卿唐船事件」であったのではないか?
 

これが私の説です。

そうして、これに従うなら、あなたの前半の疑問も一挙に氷塊します。

「陳和卿の言葉に実朝の心が動いたのは」例の夢告と陳の言の一致によるものですよね。実朝はこの六年前の夢を今まで誰にも語っていない、と実朝は語っている(ことになっている)のですが、この六年前というと、実朝は未だ満十八歳です。鮮烈な霊的な夢を見た彼が、それを母や近習、後に来た妻に「話さない」ことの方が、遥かに不自然でしょう。若しくは百歩譲って、誰にも語らなかったとしても、日時と時刻まで明確に記されているというのは、この夢を、実朝は何らかの備忘録に記していたに違いないと言えないでしょうか? それを誰かが見た、盗み見たと仮定してもよい。ともかく北条義時はその恐るべき謀略大プロジェクトの中で、その情報を入手し、和卿グループ別働隊による一芝居のシナリオの大事な素材として採用したことは(義時を翳のフィクサーと確信している私にとっては)想像にかたくないのであります。

因みに、従って義時の諫言はポーカー・フェイスの完璧なお芝居ということになります。
 

但し、「もし船の建造に成功したら、実朝には日本を離れる意思が本当にあったのかどうか」という疑義の答えだけは分かりません。ここは実朝の側の問題、しかも実朝がどこまで義時による(私の仮説するところの)大謀略プロジェクトに気づいていたかという問題と深く関わることだからです。

あえて言うなら、実朝は謀略の意図やその巧妙さをかなり知っていたと私は思っています。

義時の諫言を広元が代わって伝えた際の、その答えに、それがよく現われているとは思いませんか?
 

「彼に言ってやりなさい。――『私は、そなたが企んだことも、その目的がなんであるかも、いや――私がいつ殺されるかさえも、皆、分かっているのです。分かっていながら――あなたの思い通りに――私も――演じているのですよ』とね」
 

とでも言いたそうな口ぶりではありませんか。
 

なお、私は駄作でも示した通り、広元は政子サイド(二人は頼朝死後若しくはその前後から恋愛関係にあったのだと確信しています、その証左は長くなりますからここでは語りません。何時かまたお話しましょう)の人間で、義時のこの陰謀には全く加担していないと考えています。陰謀の成就には、味方でも敵でもない何も知らない実直で真面目な人間がどうしても必要なのです。

(なお、以上の仮説に立てば、残るあなたの「陳和卿の胸には大船の竣工、進水のあてがあったのかどうか」「彼にもし確信なかったのなら、その真意はどこにあったか」「もし竣工、進水に成功したら、彼にはどのような目算があったのか、実朝とともに一緒に大陸へ戻ろうと考えていたのか」という疑義は一切意味を成さないということになります)
 

しかし、強引で余りに複雑過ぎる謀略ですから――私だったら、思いついても、実行しませんね。いや、それほど噴飯ものの仮説かも知れません。

――が――実質的な北条執権得宗政治を起動させる義時には是が非でもこれを成功させる――という強烈な意志が働いていたのではないか――とも私は思うのです。
 

なんともトンデモ仮説ですが、これでお許し願えますか。

 

☆以上の回答への教え子の返事の極一部

……ただし、「執権」という権力の出所である「征夷大将軍」の権威を傷つける、非常に危ない芝居ですね。自分の体重をも預けているザイルを切断するような……。

 

★教え子の二信への返事

あなたのこの言葉を心に、現代語訳をしているうちに、あることに気付きました。それは大江広元の口を借りて、幕府体制の保守的代弁者が記している故実めいた「臣は己を量りて職を受く」という台詞です。

文脈から見ると、この「臣」とは、元征夷大将軍の「職」の「主」であった父頼朝から、その「職」を「享け」継いだところの実朝を指しているものとしか読めません。そしこの後の叙述でも「征夷大将軍」は実際権力のための、意味付けのために「過ぎない」「将軍職」であることが分かるように思います(ここに限るなら、「吾妻鏡」と「北條九代記」に思想の相違はないように思われます)。

則ち、最早、この当時の幕府にとってさえ、個人の武士(もののふ)の英雄としての「征夷大将軍」はもう「いない」し、もう「不要」なのであって、それはあたかも例の美濃部達吉の天皇機関説と同様、そうしたお墨付きの「将軍」という「張子の虎」としての存在と、それによって起動する機関的運動作用によって、幕府は正常に動作する、「在る」。それをに操るのは現実的には執権、後の得宗というその実権存在であり、その確立のみが幕府を永く保てる方法であると義時は考えたのではないでしょうか。

結局は高時の代に至って、その得宗システム自体も時代遅れの装置として、腐食して錆びつき、遂にはその運動を停止することとなるのですが。

ここでも永久機関は物理的に否定される訳で、如何にも私には愉快です。
ただの、つまらぬ思いつきです。読み流して下さい。 

 

ともかくも私の駄作は話にならないが、太宰治でさえ、このシーンには惹かれた。「右大臣実朝」では、廃船となった唐船での公暁も登場するロケーション・パートが、頗る好きである。(リンク先は私のやぶちゃん恣意的原稿推定版電子テクスト)。

 

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