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« 夏帽子 萩原朔太郎 | トップページ | 耳嚢 巻之七 夢に亡友の連歌を得し事 »

2013/05/12

大和田建樹「散文韻文 雪月花」より「汐なれごろも」(明治二七(一八九四)年及び二九(一八九六)年の鎌倉・江の島風景) 5

僕はこの紀行文、電子化を終るのが惜しくなるくらい、気に入ってしまっている……



廿五日は、舟にて小坪より逗子のあたりに遊ばんと約したるに、風出でたればせんかたなく、汽車にてする事に議をかへたり。逗子にて休みたる處は、入江を隔てゝ養神亭といふ旅館と相對し、風景やゝ晴れやかなるを肴にして、携へたる瓢箪を傾け握飯の包を打開く。心まづうかれたり。それより徒歩にて磯におりたち、帆立貝の殼をさがすもあれば、歌の種や落ちてあると、波打際を見あるくもあり。子供は傍の松陰に外國婦人が風景を油繪に寫してゐたるに見とれつゝ行かんともせず。かくて葉山を過ぎ御用邸の前を通りて長者園に着きたるは五時にやありけん、園は眺望最もすぐれたる處に位置を占め、右には葉山の浦里より、逗子の出鼻を隔てゝ鎌倉の山つゞき、七里濱片瀨までも烟の中に姿を見せ、藍一色に畫がゝれたる江の島は近く白波の末に立ちたり。左のかた漫々たる海上に、雲の如く霞の如く見え隱れする影を認め得たるは、伊豆なるべし。夕陽漸く落ちて殘紅雲を染め、又水を色どるも美しきに、墨繪の富士こそ水か空かの間にあらはれたれ。少女浴衣を持ち來りて風呂にめせといへば、我まづ入りつ。膳を運びて銚子を向くれば、猪口をも取りつ。海老は皿に盛られて新しく、鯛は椀に浮びてあざやかなり。波いよいよ高うして、風ます涼しく、少女が捧げ出だせる燈を吹き消すこと、幾度なるを知らず。

[やぶちゃん注:「養神亭」先に公開した田山花袋の「一日の行楽」の「逗子の海岸」に既出。「現在の逗子市新宿一丁目六-一五(現在の京浜急行新逗子駅から徒歩十分ほどの田越川に架かる河口近くの渚橋とその上流にある富士見橋の西岸一帯と推測される)にかつてあった旅館。徳富蘆花が「不如帰」を執筆した宿として知られた。逗子の保養地としての開発に熱心であった元海軍軍医大監で帝国生命取締役矢野義徹の出資で、明治二二(一八八九)年に内海用御召船蒼龍丸の司厨長であった丸富次郎が逗子初の近代旅館として創業したもの。昭和五九(一九八四)年に廃業し、建築物は現存しない。庭園だけで千坪余りあったといい、花袋が「一日の行楽」を発表した大正七(一九一八)年前後には『高級旅館として名を馳せ、名刺あるいは紹介がなければ宿泊ができない存在となっていたという』とある(主にウィキの「養神亭」に拠った)。ここで大和田は「入江を隔てゝ養神亭といふ旅館と相對し、風景やゝ晴れやかなる」とあるから、彼らが休憩したのは位置関係から見て、現在の逗子市桜山に現存する、やはり「一日の行楽」に出る柳屋旅館が有力な候補のようには思われる。

「長者園」葉山長者ヶ崎にあった旅館兼料亭。山野光正氏のブログ「Kousyoublog」の三浦半島八景のひとつ、葉山の長者ヶ崎海岸に、『現在の長者ヶ崎海岸に併設する県営駐車場の付近に明治に入って長者園という旅館兼料亭があり、葉山御用邸の建設頃から観光客や天皇行幸の際の随行団のお泊り所として繁盛しており、いつしか、その長者園の名にちなんで長者ヶ崎と呼ばれるようになったという』。『長者園は長蛇園とも呼ばれ、それにあわせて長蛇ヶ崎と呼ばれたこともあった。その長蛇園の方の由来として、当初長蛇園と名づけたが気持ち悪いので長者園に改めたとされ、その名付の基として東宮侍講として明治天皇に仕えた漢学者三島中洲の詠んだ漢詩に由来するともいう。また、その岬が大蛇の蛇の背のように見え、大蛇が棲んでいたという伝承もあり、そこに由来するとも呼ばれる』とあり、この『長者園には志賀直哉も泊まったといい、与謝野晶子もこの地を歌に詠んでいる』とある。リンク先には山野氏の撮影になる美しい風景写真の他、長者ヶ崎の伝承やここを舞台とした泉鏡花の「草迷宮」についての記載などがあり、すこぶる附きで必見である。

夜半に目ざめて時計を見れば、一時も過ぎぬ。いでや起き出でゝ月の出を待たんとて、戸を開き庭に出づるに、虫の聲しげく聞えて、星の光に黑く見えすく小松原も面白し。海上には一點の漁火もなく、唯目前に碎くる汲の白くきらめくあるのみ。

夜も鎖さぬ門を出でゝ露ふみあるくほどに、うしろの山際あからみたるは、月の出でんとするなるべし。松の枝ぶりまでよくわかれて、銀の雲に金の光をこきまぜつゝ、やうやう舟形の月はさしのぼれり。海か山か岩か島か、見わたすかぎり月の夜霧に包まれて江の島も知られず、鎌倉も知られず、興に乘じて山道づたひを吟じ來れば、月はますます親しみて我と共に遊び我と共に語る。天地六合わが外に又人間の影もなし。紫の霞は潮と空との境を隈どりて夜は明けんとす。江の島は薄墨色に又あらはれたり。葉山の漁村は煙の絶間に見えかくれたり。きのふに引きかへて波おだやかなる海の上、箱庭に似たりとて小兒も喜ぶ。群靑の上に胡粉もて畫がきしやうなる帆の影は、幾つともなく波に浮びて、日ははや島のあたりを彩色せり。こなたにも小舟のりいだして生簀の魚を捕りにゆくは、我等が今朝の命なるらし。いざ朝飯前に一潮あびてこん。子供よ母の髮むすび終るまで砂に手習して暫し待て。

[やぶちゃん注:「天地六合」「てんちりくがふ(てんちりくごう)」と読み、天地と上下四方。天下・世界・全宇宙の意。六極(りっきょく)ともいう。]

歸りの道も又徒歩と定めたり。園のあるじは妻と共に門まで送り、下婦は蠣幅傘を一つに持ち出でゝ一々にわたす。是等の愛相は東京に似たれど、似もつかぬものは浦のながめなり。茶店あるごとに必ず休みて、父は山の名を問ひ、子は舟の數をかぞふ。店は富士を窗に入れて作れるもあり。松と岩とを軒にして葺きおろしたるもあり。芦の壁黑木の柱、いたる處に趣味多し。汽車は煙を噴きて横須賀より逗子に來り、我はトンネルをくぐりて逗子より鎌倉に向ふ。今朝は遠かりし鎌倉山もわがものとなりて、砂踏み遊びし長者園はまた霞の外になりぬ。

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