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2013/05/25

明恵上人夢記 14

14

一、同八日、初夜の行法已(をは)る。出でて後、眠り入りたる夢に云はく、一つの野の如き處有り。而るに、野に非ずして、古き家の跡の如し。以ての外に廣くして、其の四方に大きなる獅子の形像(ぎやうざう)有り。而るに、行動(ぎやうどう)して生身(しやうじん)の如く也。成辨、彼のひげなんどの整ほらざるを切りそろふ。怖畏すること極り無けれども、之を整ふ。小さき犬等あまた有りて、此の獅子之腹の下の毛の中に聚(あつま)り伏(ふ)す。心に思はく、此の小さき犬等、此の獅子を以て我が母と思へり。二方をそろへて、今二方をば同じき事也と思ひて、思ひ止まりぬと云々。案じて曰はく、文殊、此の郡を守護し給ふ也。小さき犬は此の殿原也。古き家の跡の如くなるは、當時、此の郡に人無き故也。後に案じて云はく、崎山の糸野(いとの)の家は、四方に鎭護の呪(じゆ)を懸く。後に湯淺に遣はすと思ふに、同じき事也と思ふは此の事也。

 

[やぶちゃん注:「初夜の行法」この夢の「同八日」の「同」は記載時系列の前後があったとしても九月以降のことになるから以下の記載が無化される可能性はあるが(実際には次の15が「二月十日」のこととあるから必ずしも無効とは言えない)、東大寺で旧暦二月行われた修二会について、東大寺公式サイトでは、平日は十九時に東大寺の大鐘がならされ、それを合図に「おたいまつ」が点火され、練行衆が上堂すると、初夜の行法として、まず読経(法華音曲)・初夜の時・神名帳・初夜大導師の祈り・初夜咒師作法が行われる、というのが一つの参考にはなろうと思われる。この場合の初夜は、六時の一つである戌の刻(現在の午後八時頃)に行う勤行。

「崎山の糸野の家」底本の「歌集」の注記によれば、現在の和歌山県有田郡金屋町糸野上人谷にあった明恵の伯父湯浅宗光の館とする。湯浅宗光(生没年不詳)は鎌倉前期の武士で宗重(紀伊国湯浅城(現在の和歌山県有田郡湯浅町青木)を領した平清盛配下の有力武将。清盛の死後、平重盛の子忠房を擁して湯浅城に立て籠もるも源頼朝に降伏して文治二(一一八六)年に所領を安堵される。以後、順調に所領を増やして紀の川流域まで勢力を広げ、後に湯浅党と呼ばれた)の七男(養子とも)。七郎左衛門尉と称した。後に出家して浄心と号した。当初は父と共に平氏に仕えたが、やがて源氏に味方するようになり、鎌倉幕府御家人となった。父から紀伊国保田荘(現在の和歌山県有田市)を譲られて保田氏を名乗るようになる。嫡流でなかったにも拘わらず、湯浅一族の中での最有力者となり、保田氏が湯浅一族全体の主導的立場に立つ基礎を築いた。甥に当たる明恵の後援者でもあった(以上は主に「朝日日本歴史人物事典」に拠った)但し、「崎山」というのは有田郡有田川町井口にある。因みにこの井口の法蔵寺境内には明恵が三十六歳から三十八歳頃まで修行を行った崎山遺跡があり、有田川町公式サイトの「崎山遺跡(町指定史跡)」記載には、『明恵上人が幼少の頃に養育を受けた叔母が夫の菩提供養のために寺を建て、明恵を迎え』『明恵は寺の後方に庵を造って居住し』たが、『現在、明恵上人紀州八所遺跡の中で、この崎山遺跡のみが卒塔婆の所在が不明となっており、遺跡の正確な位置は明らかではな』く、顕彰のために、『田殿橋の北詰、通称大師山と呼ばれる法蔵寺境内に復興された卒塔婆が立てられている』とあるので、この「夢記」の「崎山」こそが実は、最早、同定は出来なくなった正しい地名を指しているのかも知れない。ともかくもこの最後の辺りの解釈は私にはすこぶる難解でお手上げの感がある。力技の牽強付会の訳なれば、よろしく識者の御教授を乞うものである。]

 

■やぶちゃん現代語訳

 

14

同八日、初夜の行法を終えて、退出した後、眠りに入って見た夢。

「ある野原のようなところである――と思ったが、いや、そうではない――自然の野原ではなくて――古い屋敷が滅んで何も無くなった跡――のようである。ただ、それが、途轍もなく広いもので、その遺跡の四方には大きな獅子の姿を彫った像があるのである――と思ったが――像には像なのだが――これ――生きた獅子の如く――動く――のである。

 私は――その獅子の髭なんどが、これ如何にも疎らになって不揃いなのが気になって――切り調えている――のである。

 勿論、生きた獅子同様なれば――我らは大いに恐れ戦いておるのであるが――それでも――これを切り調えている――のである。

 そんな中、ふと見ると、小さな犬どもが数多おって、そ奴らが、これまた、この獅子の腹の下のふさふさした毛の中にびっしりと集まって頭を突き合わせ、眠っておるのであった。

 私は内心、思った。

『……この小さな犬どもは、この獅子のことを我が母と思っている。……』

と。

 その遺跡の四方の獅子像の内、二つの髭を切り揃え終え、残る二つも……同じ如、致そうと思ったが――そこで私は――何故か――思い止まった。……

〈私明恵の夢解釈〉

 幾つかの事柄を考え合せてみると、この夢は、文殊菩薩が、この有田郡(ありたのこおり)を守護なさっておらるる、ということを意味している。

 「小さな犬」というのは、今現在、この郡内にあられる主だった有力なる他所(よそ)から移入なされてこられた御仁らを象徴するものである。

 「古い家の跡のようなもの」というのは、この有田郡には、元来は人が住んでは居らなかった土地柄であったことに基づくものである。

〈後日の附記〉

 さらに後の再考してみたのであるが、有田の崎山(さきやま)の家に繋がるところの御前様の実家湯浅宗光殿の御屋敷は、これ、普段より、その四方に鎮護の呪符を懸けておらるることを実は知っていた。

 後日のある時のことであるが、私はその伯父なる湯浅の屋敷に宛てて、私の製した護符を贈ろうと考えたことがあった。

 ところがその時、私は

『待てよ? それは結局――もう、既に呪符のあるところに護符を贈るとは――同じこと、無駄なこと、ではないか!』

と、はっと気がつくという、如何にも恥ずかしいことがあったのである。

 この夢の最後の部分は、後に私に起こったところの、その失敗を予兆していた、のである。

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