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2013/05/30

漠然たる敵 萩原朔太郎

       ●漠然たる敵

 

 すべての偉大な人物等は、避けがたく皆その敵を持つてゐる。より偉大なものほど、より力の強い、恐るへき敵を持つであらう。單純な人物――政治家や、軍人や、社會主義者や――は、いつでも正體のはつきりしてゐる、単純な目標の敵を持つてる。だがより性格の複雜した、意識の深いところに生活する人々は、社会のずつと内部に隱れてゐる、目に見えない原動力の敵を持つてる。しばしばそれは、概念によつて抽象されない、一つの大きなエネルギイで、地球の全体をさへ動かすところの、根本のものでさえもあるだろう。彼等は敵の居る事を心に感ずる。だが敵の實體が何であり、どこに挑戰されるものであるかを、容易に自ら知覺し得ない。彼等はずつと長い間――おそらくは生涯を通じて――敵の名前さえも知らないところの、漠然たる戰鬪に殉じて居る。死後になつて見れば、初めてそれが解るのである。

   何所(いづこ)にか我が敵のある如し

 

   敵のある如し………           北原白秋斷章

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十月第一書房刊のアフォリズム集「虚妄の正義」の最終章「思想と爭鬪」より。「はつきり」「より」は底本では傍点「ヽ」、「原動力」は底本では傍点「●」。引用の白秋の詩は、詩集「思ひ出」に載る以下の詩の冒頭と思われるが、底本校異に、朔太郎は『記憶によって記したものと思われる』とある。

 

   敵

 

いづこにか敵のゐて、

敵のゐてかくるるごとし。

酒倉(さかぐら)のかげをゆく日も、

街(まち)の問屋に

銀紙(ぎんがみ)買ひに行くときも、

うつし繪を手の甲に捺(お)し、

手の甲に捺し、

夕日の水路見るときも、

ただひとりさまよふ街の

いづこにか敵のゐて

つけねらふ、つけねらふ、靜(しづ)こころなく。

 

以上は、昭和四二(一九六七)年新潮社刊「日本詩人全集7 北原白秋」所載のものを恣意的に正字化して示した。]

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