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2013/05/28

明恵上人夢記 16

16

一、同二月、此の事を聞きて後、此の郡の諸人を不便(ふびん)に思ふ。夢に云はく、屏風の如き大盤石の纔少(ざんせう)の尖(とが)りを歩みて、石に取り付きて過ぐ。此の義林房等、前に過ぐ。成辨、又、同じく之を過ぐ。糸野の御前は、成辨とかさなりて、手も一つの石に取り付き、足も一つの石の面を踏みて過ぎらる。成辨、あまりに危ふく思ひて、能々(よくよく)之を喜びて過ぐ。安穩に之を過ぎ了りて行き、海邊に出づ。成辨、服を脱ぎ、將に沐浴せむとす。善友の御前、服を取りて樹に懸く。沐浴し畢りて後に、二枝の桃の枝を設けて、其の桃を折れば、普通の桃に非ず、都(すべ)て希(まれ)に奇(あや)しく未曾有之桃也。白き毛三寸許りなる、枝に生ひ聚(あつま)りて、毛の端そろひなびきて、其の形、手の如し。尾、其の毛、幷に其の中にひたる如くなる桃あり。之を取りて之を食ふ。今一枝をば、向ひの方を見遣(みや)りたれば、三丁許り去りて、殿原おはします。一番に、彌太郎殿、見らる。彼の處に之を遣はし了んぬ。

一、同月、夢に云はく、

 

[やぶちゃん注:「同二月」これが連続していて脱落のない記載ならば、「元久元年」西暦一二〇四年である。

「此の事」「15」の注で述べた通り、この具体な内容が分からない。夢の意味を解く鍵もそこにあればこそ、識者の御教授を乞うものである。

「義林房」明恵の高弟喜海(治承二(一一七八)年~建長二(一二五一)年)の号。山城国栂尾高山寺に入って明恵に師事して華厳教学を学び、明恵とともに華厳教学やその注釈書「華厳経探玄記」の書写校合に携わった。明恵の置文に高山寺久住の一人として高山寺の学頭と定められ、明恵の没後も高山寺十無尽院に住した。明恵一次資料として重要な明恵の行状を記した「高山寺明恵上人行状」は彼の手になる。弟子には静海・弁清などがいる(以上はウィキ喜海に拠る)。

「善友の御前」糸野の御前(「15」注参照)のことと採る。春日大明神の神託を受ける人物でるから善友(善知識)と称されても何の不思議もない。

「善友の御前、服を取りて樹に懸く」これを私は、天女のような糸野の御前が服を脱いで美しい裸身となり、羽衣のように自分の衣を木に懸ける、というシーンを激しく想起してしまうのであるが、文脈からは、やや無理があるようにも思えるので、訳では沐浴は明恵だけにした。但し、その私の気持ちは、人によっては御理解戴けるものと思う。

「尾」不詳。外して訳した。

「三寸」約九センチメートル。

「三丁」約三二七メートル。「三」は明恵の神聖数であろう。

「彌太郎」底本注に、『湯浅宗弘。明恵の従兄弟』とある。ウィキ湯浅宗弘には、生没年未詳として『紀伊国在田郡湯浅荘の地頭。通称として弥太郎、太郎、兵衛入道など。湯浅宗重の孫。湯浅宗景の子。湯浅宗良、湯浅宗直、湯浅朝弘の父』とある。

「一、同月、夢に云はく、」底本注に『以下欠文』とある。本文がないのでこれは「17」とはせず、訳でも省略した。]

 

■やぶちゃん現代語訳

 

16

一、同年二月のこと、例の事実を聞いて後は、しきりに、この有田郡(こほり)の諸人(もろびと)らが不便(ふびん)に思われて仕方がなかった。そんな中で見た夢。

「屏風の如き大盤石(だいばんじゃく)が幾つも聳え立っている。

 私はその頂きの、猫の額ほどもない、その屹立した巌の尖頭を踏み歩んで、やっとの思いで岩にとりついて峨々たる山嶺を渡ってゆくのであった。

 私の弟子の義林房喜海らも、私の前を、同じようにして踏み歩んでいるのであった。

 私もまた、同じく彼らの行った後を踏み越えてゆくのである。

 しかし、私は独りではなかった。

 糸野の御前も、私と一緒になって――手も同じ一つの石に添えてとりついては引き支え、足も同じ一つの石の平らなところを踏みしめて――私と同行二人、歩まれているのであった。

 私は断崖絶壁なれば、あまりに危うきことと理窟では思うのであったが、糸野の御前がこうして一緒に歩んで下さっていることが、とても嬉しく、何故か実に不思議なことに、恐ろしいとも思わず安心していられ、嬉々として御前さまとともに歩んでゆくのであった。

 難なく無事、この列岩を通り抜けることが出来、海辺に出た。

 私は服を脱ぎ、まさに沐浴をしようとした。

 善知識たる糸野の御前が私の脱いだ服をお取りになって、そこにあった樹にお懸け下された。

 沐浴をし終えて後、浜へと上がってみると、浜辺に二枝の大きな桃の枝が挿し設(しつら)えてあった。

 その桃の一枝を折りとってよく見て見ると、これが、普通の桃では、ない。

 なんと表現してよいか――ともかく――そのすべてが稀にして奇(く)しきもの――見たことも聞いたこともない未曾有(みぞう)の桃――なのであった。

 長くて三寸ばかりもある白い毛が枝にびっしりと束を成して生えており、それぞれの毛の端が皆、綺麗に揃って靡いている。

 その靡く形は、まるで人の手が何かを招くようであった。

 その無数の毛、並びにその手の形の毛の中に、浸る如くにして――未曾有の桃の実が――あるのであった。

 私は取って、この実を食った。

 今一枝を如何にせんものか――と思うたと同時に、私は、真向いの浜辺の方を見やった。

 すると三町許り向こうに、有田郡の殿方たちがいらっしゃった。

 一番に湯浅彌太郎宗弘殿を見つけた。

 私は、彼のところに、その、今一枝の桃を持ってゆき、そして、渡した。

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