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2013/05/18

耳嚢 巻之七 俠女の事

 俠女の事

 去る御旗本の次男にて部屋住(へやずみ)の徒然(つれづれ)、召仕(めしつか)ふ女に通じけるが、某容儀美成(びな)るにはあらず、淨瑠璃三味線抔わ能(よく)なしける。然るに彼女、子細や有けん、暇出(いとまいだし)て宿へ下りしに、彼(かの)次男も其跡をしたひて家出せしが、彼女、店(たな)をかりて母幷(ならびに)右の男三人にて暮し、三味せん淨瑠璃指南をなし、屋敷方へも立入(たちいり)、右女壹人にて母夫を養ひ、遖(あつぱ)れにくらしけるが、彼男の親元より、何共(なんとも)町方におきては他の批判外分も不宜敷(よろしからず)とて、長や内へ三人とも引取(ひきとり)女は是迄の通り通ひ弟子、出張稽古、座敷勤(ざしきづとめ)なしけるが、子供兩人出生なしけるを、右女の働にて相應に夫々え片付(かたづけ)ける。然るに彼男、生德(しやうとく)樂弱成(なる)性質なれども、他へ遊興等は彼(かの)女防ぎける樣、其養育にや恥けん愼居つつしみゐ)たりし。親元へ立歸りし後、例のだじやくの病(やまひ)再發(さいほつ)して、内藤宿成(なる)喰賣女(めしうりをんな)に馴染(なじみ)、度々通ひて歸らざりしを、彼(かの)女が不憤(いきどほらず)、彼(かの)座しき勤(づとめ)、三味せん師匠の所德や金五十兩才覺して、右喰賣の身受をさせて彼(かの)男へ與へ、御身最早我にあきて遊興なし給ふ事、心も變じたれば、此女を召仕ひて、我には緣を切給へとて再應申ければ、男も恥入ながら其旨にまかせ、今は町宅(まちたく)して專ら右の師範をなし、至(いたつ)ての座持(ざもち)にて諸家へ立入(たちいり)、母を養ひ立派にくらし居(をり)ける。則(すなはち)、我知れる人も知る人も一座なし、委細譯もしりけると語りぬ。彼(かの)男は名幷親元も當時は兄の代にて、名も知りければあからさまに語(かたら)んも面流しと、あからさまにあかさざりける。

□やぶちゃん注
○前項連関:特になし。義理に厚いしっかりものの粋な姐さんと旗本惰弱男の物語である。
・「部屋住」次男以下で分家独立をせず、親または兄の家に留まっている者をいう。但し、この語自体は家督相続前の嫡男のことを指す場合もある。
・「某容儀」底本には「某」の右に『(其カ)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『其容儀』。「其」で採る。
・「遖(あつぱ)れ」は底本のルビ。
・「外分」底本には「某」の右に『(外聞)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『外見』。
・「樂弱」底本には「某」の右に『(惰弱カ)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『柔弱』。「惰弱」「柔弱」ともに、気持ちに張りがなく、だらけていること、意気地のないことをいう。
・「喰賣女(めしうりをんな)」若しくは単にこれで「女」を読まずに「めしうり」とも呼んだ。飯盛女(めしもりおんな)。旅籠(はたご)で客に飯を盛る給仕女の謂いながら実態は売春婦であった。幕府が各宿場に遊女を置くことを禁じたため、非合法に発生した私娼である。幕府公文書では本文同様、殆んどがこの「食売女(めしうり)」で表現されている。
・「彼女が不憤」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『彼女聊不憤(いささかいきどおらず)』。ここは後者を採る。
・「我知れる人も知る人も一座なし」底本には「知る人」の右に『(ママ)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『我知れる人も知る人にて一坐もなし』。ここもバークレー校版に準じて訳す。
・「面流し」底本には右に『(汚カ)』と傍注する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も『面泥し』で右に『(汚)』と傍注する。「面汚(つらよごし)」で採る。

■やぶちゃん現代語訳

 侠女(きょうじょ)の事

 さる御旗本の次男にて部屋住みの徒然(つれづれ)に、召し仕(つこ)うておった下女に馴染んで御座った。
 しかしその容儀は、これ、お世辞にも美しくもあらなんだ。
 ただ、浄瑠璃や三味線等なんどは、これ、なかなか巧みにこなす才を持って御座った。
 ところがこの女、何か子細があったものか、暇(いと)まを申し出て、町方の実家へと下がったところが、あろうことか、かの次男坊もその後を慕って、これ、家を出でてしもうたと申す。
 そこでかの女は、お店(たな)を借り、実の母とその次男坊の三人にて暮らし、
――三味線浄瑠璃指南――
の看板を掲げて才覚なし、たちまち、その技の評判となったればこそ、お武家の屋敷方へもしばしば出入りをなすに至り、かの女一人で母と夫を養い、まっこと、しっかと、ちゃあんとちゃちゃんと暮しなして御座ったと申す。
 ところが、かの次男坊の親元より、
「……なんとも……町方にかくなしておったのでは……噂や外聞、これ、宜しからざれば……」
と、屋敷内の長屋へ、三人ともに引き取ったと申す。
 女はこれまで通り、通い弟子や出張稽古及び座敷勤めを致いて御座った。
 そのうちに子供が二人生まれた。されど――部屋住みの次男に賤婢の母の三人の経済――なればこそ、また、かの女一人の才覚にて、二人とも相応の方へと養子に出してやり、片付けて御座ったと申す。
 ところが……かの次男坊……この男、生得、惰弱なる性質(たち)なれども、町方にあった折りまでは、他所(よそ)へ遊興なんど致すこと、かの女がなんとか防いで御座って、その骨身を惜しまぬ働きやら心配りやらに、これ、男も恥じる思いがあったものか……自(おの)ずから慎んで静かにしては御座ったようであった。……ところが、じゃ……親元へと立ち帰った後は……またしても例の惰弱の病いが再発致いて……今度は内藤新宿とか申すところの……なんとまあ、飯盛女(めしもりおんな)に馴染み……度々通って……遂にはとんと家にも帰らずなったと申す。
 ところが、かの女は、これをいささかも憤ることなく、今まで通りの座敷勤めに三味線師匠の所得を、これ、こつこつこつこつと貯めに溜めたものでもあったものか――何と――金五十両を揃え、その飯盛女の身受をさせた上、夫へその女を与えて、
「――御身は最早、我らに飽きて遊興なされしこと、これ、我らへの心も変じたものなれば、この女を召し仕われて、我らには緣を切るとの仰せを給え!――」
と、何度も申したによって――男も内心、己れの不甲斐なさに恥じ入りながらも、そのおいしい申し出の儘に任せて――離縁して御座った。
 されば彼女は、今は町屋に暮して、専ら、かの三味線浄瑠璃の師範をなし、その技の上手なは勿論のこと、酒席宴席にては、これ、すこぶる座持ち上手にても御座ったればこそ、ますます諸家へ出入り致いては、実母を養い、町方にても随分、立派に暮して御座ると申す。……

 私の知っている御方の話しによれば、その我らが知人の知人と申す御方の実談として、
「……この女とは、確かに、その女の招かれたる座興の席にて逢(お)うて、その愚かなる次男坊や養子に出だいた二人の子(こお)のその後、内藤新宿の飯盛女身受けの顛末なんど……これ、その委細の訳も皆、訊いて御座いました。……」
とのことで御座った。
 その次男坊なる駄目男についても、名並びに親元も、実はその知人の知人なる人物は、これ、訊いて御座ったようであるが、今現在、その武家、まさにその男の兄の代となって御座ればこそ……実名、これ、口に出ださば……『ええッツ?! あの○×様の!?』……ということになりかねるような、すこぶる附きに知られたる、さろ名家で御座るによって……あからさまに名を語らんも、これ、先様への面汚しとなればこそ……と、あからさまには私の知人には明かさなんだ、とのことで御座ったよ。

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