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2013/05/17

大和田建樹「散文韻文 雪月花」より「鎌倉の海」(明治二九(一八九六)年の鎌倉風景) 4~了 

磯におりては、我もまた蟻になりて貝あさりゆくを、山より見る人ありやなしや。後よりさくら見えたりと叫び、帆立貝ひろへりと呼ぶ。辨當はおのおの結びつけて腰にあり。あの岩蔭やよからん、此木蔭はいかにとて、つひに森戸の明神まで來にけり。はじめ江の島の右に見つるふじ、今ははるかにわかれて江の嶋の左に立てり。鎌倉の海はわがすむ光明寺のあたりをのこして、親しくわれと相對す。木のもとに茶店あり、田舍娘ゐて茶をすゝむ。此磯には酢貝多しとて子供は渚に下りぬ。父は賴朝の遊びしといふ菜嶋ながめつゝ、茶碗を取りぬ。歌いまだ成らざるに、貝は手に手にはこばれて前にあり。あはれ足をいためてかまくらにのこれる母上に、早くこれをみせばやと、かれもこれもいふ。

[やぶちゃん注:「酢貝」正式な標準和名としては現在、ニシキウズガイ超科 Trochoidea サザエ科 Turbinidae のスガイTurbo (Lunella) coronatus coreensis に与えられている。本種の蓋(厳密には褐色のクチクラ層の部分が真の蓋で、盛り上がった石灰質の部分は炭酸カルシウムが二次的に沈着したもの)の外側(半球側)を下にして皿等に入れた酢の中に置くと、酸で炭酸カルシウムが溶解して二酸化炭素が発生、旋回することが和名の由来であるが、ここでは広義に通常のサザエなどの死骸から脱落した上記と同じ石灰質の円盤状の遺物を指している。これについては民俗誌なども含み、私の和漢三才圖會 介貝部 四十七 寺島良安の「郎君子(すがひ)」の本文及び私の注を参照されたい。

「菜嶋」「新編鎌倉志卷之七」の「杜戸明神」の項の最後に、

名島(なじま) 杜戸(もりど)の西の海濵、六町ばかりにあり。賴朝、遊興の所なりと云傳ふ。賴朝の腰掛石とてあり。賴朝卿杜戸へ遊興の事、【東鑑】に往々見へたり。

とある。現在は大和田の記すように「菜島」と地図上に明記されてある。]

光明寺はものしつかなる大寺なれば、朝飯まつとてもあそび、夕飯をはるとてもまづあそびしところ、山門高く松の木の間に聳えて、日ぐらしの聲遠く、苔むす石佛の前には風のもてこし落葉かさなりて、夏秋しらぬ世界にも似たり。さはいへど本堂は陸軍幼年學校生徒にかりとられて、今は讀經の聲よりも喇叭の響く處となりぬ。夕日かげれば、いでゝ相撲取るもあり、擊劍つかふもあり。これを見るとて集まり來る女子供は、撞樓のあたりをみたしぬ。夜に入れば濱涼し。兵士は多く砂ふみに出でゝ佛前の燈ひとり寺を守る。

[やぶちゃん注:「撞樓」私の記憶に誤りがなければ、この鐘はこの後の太平洋戦争に供出されて鋳潰されたはずである。それだけに私はこの場面がひどくリアルに読まれて仕方がないのである。

以下、この「鎌倉の海」と題した紀行は、大和田の短歌群を以って擱筆される。以下では有意に行空けを行った。]

 

   鎌倉にてよめる歌ども八月ばかり

 

前に見し島は後になりにけり

     はまづたひして貝ひろふまに

 

たちいでゝいざ我かげをくらべみん

     あさ日は杉のうへにのぼれり

 

朝霧にぬれつゝ行くもうれしきは

     まめのはなさく畑のなかみち

 

人ひとりすむとも見えぬ大寺の

     松くれそめて日ぐらしのなく

 

日にいくたび出でゝ見るらん心なく

     よせてはかへる波のけしきを

 

[やぶちゃん注:底本「いくたひ」。]

 

今日もまた人よりさきにふみにけり

     ねれたる磯の朝月のかげ

 

[やぶちゃん注:「ねれたる」はママ。「ぬ」の誤植とも考えられる。]

 

にぎはひし濱邊も人の跡たえて

     夕立くらしかまくらのうみ

 

墨筆をなげちらしたる心地して

     すごくも雲のちる夕かな

 

波の上をちぎれちぎれに行く雲の

     なでてはみがく月のかげかな

 

[やぶちゃん注:「ちぎれちぎれ」底本では後半は踊り字「〱」。]

 

行けば行きとまればとまる我影も

     月のさづけし友にぞありける

 

あら波のよせてかへりし砂の上に

     くだけぬ月のかげぞのこれる

 

鎌倉のはかめぐりして今日もまた

     折りくらしけり夏草のはな

 

浦波はいざとまねけど鶴が岡

     とりゐのかげもたちうかりけり

 

[やぶちゃん注:「たちうかりけり」は鳥居が「立つ」と「浮かれ立つ」を掛けたものであろう。荘厳な鳥居が立っていて、その面白さにも心奪われることよ、の謂いと読む。]

 

磯寺のせがきの鉦もひゞき來て

     夜かぜ身にしむ波のうへかな

 

月は入りぬ月は登りぬ濱にいでゝ

     海みつゝ居れば物おもひもなし

 

名殘をば濱にのこしてかへりしを

     閨にまちをる月もありけり

 

ともし火を吹きけされても中々に

     うれしかりけり月にとはれて

 

ちる浪にぬれて沖ゆくわが舟を

     けしきのうちに人やみるらん

 

夕日かげ片帆にうけてくる舟を

     いつまでおのがものと見るらん

 

くれにけりひる遊びつる江の島の

     あたりに見ゆるともし火のかげ

 

別れつゝ人は濱路やたどるらん

     あさ月たかしいなむらがさき

 

いにしへの夕日は今ものこるなり

     まつばがやつの松のこずゑに

 

ひるもなほ虫の聲きく古寺の

     きしの秋草さきそめにけり

 

[やぶちゃん注:「きし」崖。これは泊まっているから夜の虫の音(ね)も知っての「ひるもなほ」を含意すると私は考えるので、宿の正面の光明寺での詠と考えてよかろう。]

 

砂の上に指のさきしてかく歌を

     直すとならし波の洗ふは

 

小壺坂のぼれば涼し松かげに

     沖の帆舟も見えかくれして

 

[やぶちゃん注:「小壺坂」小坪に抜ける飯島ヶ崎の鼻の部分を通った道と思われる。私の電子テクスト鎌倉攬勝考卷之九の「古城址」に載せた「三浦陸奧守義同人道道寸城跡分圖」を参照されたい。今は失われたその雄大なロケーションがお分かり戴けるものと思う。]

 

折り持ちし花はいづくにすてつらん

     海見えそむるやまごえのみち

 

寺山に賤のをとめが刈る草の

     にほひすゞしき朝風ぞふく

 

[やぶちゃん注:掉尾に相応しい飾らぬよい和歌である。]


この大和田建樹の「散文韻文 雪月花」、その文体が大いに気に入った。向後も鎌倉とは無関係にご紹介したいと考えている。

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