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2013/05/17

公益財団法人文楽協会創立五〇周年記念・竹本義太夫三〇〇回忌記念平成二十五年五月公演についての雑感

12日に第二部、昨日13日に第一部を観劇した。特に昨日の第一部がいろいろな意味で印象深かった。

「一谷嫩軍記」は私の好きな熊谷直実の出家に纏わる真相譚で、実は敦盛は後白河院の落胤で、直実は自分の長男小次郎直家を身代わりとした、それを命じたのは判官贔屓のチャンピオン義経であったという浄瑠璃にありがちな設定が如何にも面白い(このやはり判官贔屓の敦盛不死伝説については実際に広島県庄原市に『古くから「敦盛さん」という民謡(市の無形民俗文化財)が伝わっている。それによると敦盛の室(玉織姫、庄原では「姫御さん」と呼ばれる)が、敦盛は生きているとの言い伝えを頼りに各地を巡り歩き、庄原に至ってそこに住んだ、という。庄原市春田にはその玉織姫の墓といわれるものが残ってる』。これが『どのような経緯で伝承が生まれたのかは定かではなく、全国各地に見られる平家の落人伝説の一種と見られる。しかし敦盛を討ったとされる熊谷直実は安芸国に所領を与えられており、また熊谷氏は戦国時代に至るまで安芸に土着していることから、その点と何らかの関係がある可能性も考えられる』とウィキの「平敦盛」にある)。事実は父直実が大叔父久下直光との所領争いに敗れて尻捲くりして出家した後、家督が直家に安堵されており、父祖伝来の武蔵大里郡熊谷郷を領して承久の乱でも活躍しているから、確かに直実の出家を件の敦盛の話だけを主因とすると今一つ解せないところを、敦盛・義経のダブル貴子流離譚妙に絡めて贔屓側の大多数の庶民を妙に納得させてしまう話柄となっているところが、如何にも面白いのである。「熊谷桜の段」の弁慶筆の高札の謎という推理ドラマが、「熊谷陣屋の段」の障子に映る敦盛の霊(実はそれは生きた敦盛であるのだが、同時にまた身代わりとなった小次郎の霊でもあるように私には感じられた)の出現から、クライマックスの小次郎の首級が披露され――それぞれの断腸の思いを孕みながら、遂にをあくまで場の人々が「敦盛」として語り切る悲泣――そして下がった直実が墨染めの衣となって語る直実の、
「ヤア何驚く女房。大将の御情けにて、軍(いくさ)半ばに願ひの通り、お暇を賜りし我が本懐。熊谷が向かふは西方弥陀の国。倅(せがれ)小次郎が抜駆けしたる九品蓮台(くぼんれんだい)。一つ蓮(はちす)の縁を結び、今よりわが名も蓮生(れんしょう)と改めん。一念弥陀仏即滅無量罪。十六年も一昔。夢であったなあ」
の台詞に、私は思わず心中、横手を打って、大きく頷いてしまったのであった。
玉女の直実は、何時もながら、まっこと、玉男の正統の弟子ならではのダイナミックな男のエロティシズムを発散させて、感嘆するばかりである(*注1)。
(*注1:但し、ここで一言贅沢を言うなら、どうも玉男は出遣いで出た際に、こうした荒事の立役の強さにすこぶる附きでマッチして「しまう」がゆえに、若男の心中物などでは、その熱気ときりっとし「過ぎた」玉夫の表情がつい、人形のイメージにも滲み出してしまうという欠点があるように思われる。しかし、玉男の禅坊主のようなあの不敵なポーカー・フェイスは、一朝に真似できるものではないことも分かっている。)
久々に見た紋壽の、直実妻相模も振幅の大きい老女形の頭(かしら)の情を美事に生かしていた。ただ、紋壽は、動きのない時にも、一挙手一投足にふうふうと荒い息を吐いて歩く僕の妻のように(変形股関節症で最近骨盤に変形が生じて、具合は今一つよくない)、如何にも苦しそうに息をされており、恐らく足遣が気遣ったのに対して大丈夫といった頷きをされていた。出遣なだけに、これは非常に気になってしまった。芝居としてどうこうではなく、紋壽の体調がどうしても気になってしまうのである。こればかりは何とも曰く言い難いのである。

「曽根崎心中」は今回、「生玉社前の段」「天満屋の段」が主遣も黒子であったが、私はどこぞのアブナい知事が言ったように、初めて文楽を(実は生ではなく栗崎碧監督の映画「曽根崎心中」(昭和五六(一九八一)年の十一月で、これは全篇が黒子であった)見て以来、実際に生で見るようになった後も暫くの間は出遣に違和感があったことは告白しておく。しかし、今回見て、私はかえって違和感を覚えたのが面白い。お初は今回、「生玉社前の段」が一輔であったから、彼のお初を満を持して待っていたのであるが、どうも人形への私の貫入が今一つなのであった。それは、一輔のやるお初を見ているけれど、本当に主遣いは一輔なのか、という自動作用が邪魔をするのであった。同様の妙な紗幕が心に掛って「天満屋の段」の愛する蓑助の振りにも集中出来なかったことを自白する。これは全く以って僕の側の、さもしい雑念なのであるが、生じてしまうと、いっかな払拭出来ぬようになってしまったのであった。
しかも「天満屋の段」にはどうしても言わずばならぬ不幸が付随した。「天満屋の段」の大夫は源大夫であったが、全く声が通らないのである。
今回は珍しく6名の重要文化財保持者が総出演で一人の休演もなかった。昨日は録音も入っていた。今年の文楽協会創立五〇周年記念と竹本義太夫三〇〇回忌記念でもあり、これは寿ぐべきことではあった。しかし――源大夫のそのパワーの減衰は流石の僕も驚天動地であった。「曽根崎」でも最大のクライマックスがあれでは話にならない。三味線の音に遂に掻き消えて聴こえなくなる箇所さえあり(僕らは最前列のズバり舞台中央位置の座席であったにも拘わらず、である)、何より悪役の九平次が少しも悪役に見えなくなってしまうほどなのであった。終わった幕間、私の隣にいた御婦人二人も、「歌舞伎じゃ、いいシーンなのに失望だわ。私もう、寝ちゃったわ。」と喋っているのが聴こえた(事実、この御婦人は舟を美事に漕いでいた。但し、彼女は「一谷嫩軍記」の際にも寝ておられたようだから、あんまり信用にはおけない)。
はっきり言うと、最早、不平・不満の域ではなく、哀れに悲しい気がしてきたのであった。源大夫、しっかり休養されてまた元気に床に戻ってこられるのを望むばかりである(但し、ネット上の書き込みなどをみると、源大夫のそれは相当にクセのある義大夫らしく、過去の「曽根崎」でも台無しだったという不評も散見される。ともかくも腹に力の入らないあれでは客にも失礼である)。
徳兵衛の勘十郎は危なげなくこなしている(妻曰く、少し疲れている感じがするとのこと。彼女曰く、新聞の小さな記事で今秋、文楽の欧州公演があるらしいがその記者発表を勘十郎がしていた、一部で徳兵衛、二部で小春をこなした上に海外ツアーの企画を担っているとすると相当疲れてるに違いないと。これはホームズ並みに鋭いと僕は感嘆した)。先の注の反対に、総合的に見ると女形をも荒事の立役をも難なくこなし得る名手がまさに勘十郎であると言える。彼のやや優男の二枚目役者みたような面相(玉女の方が任侠物の名優のように苦み走っている)が心中物の若男の頭(かしら)にすこぶるマッチするので、彼のこの手の役は出遣いこそが効果的なのである(これは人形遣いそのものとは、本来は無縁などうでもいいことなのであろうが、煩悩多き僕にはやはり気になることなのである)。
しかし、一つ気になった。
「天満屋の段」の、縁の下で、徳兵衛がお初の足を自らの首に「足刀」として当てて、心中を誓うシーンである。
――足刀に見えないのだ。
――フェティシストが女の足に縋りついてるようにしか見えなかったのだ。
これは玉男は勿論、玉女でも感じたことのない、はっきり言うと――気持ちの悪い違和感――であった。
この場面は先に見た玉女のそれでも苦言を呈した箇所ではあり、基本一人遣いで身動きの取れない特殊な状況下(*)、非常に難しい場面ではある(玉男もかつてそう言っていた)。玉女も勘十郎も、ポスト玉男徳兵衛としての精進が続く。
(*注2:添えの黒子が奥から一人降りて附くことはつく。因みに、妻曰く、今回の降りてきた黒子はお初の左手を遣っているはずの一輔だったという。黒子の面部の皺で一輔だと確認したというのだ。これもホームズ並!)
蓑助は言うまでもない。4名の大夫と人形遣の人間国宝のうち、何の心配もなく完璧に感銘出来たのは、彼ただ独りであった(三味線の上手さは今一つ耳の肥えておらぬ僕の意識の中では評のしようがないのであえて外す)。――何度も似たようなことを繰り返すが――蓑助はお初と肉と魂で繋がっているのだ。――お初が蓑助であり、蓑助がお初なのである。――「僕」は「蓑助」を通してのみ、「お初に惚れている」ことを告白する。――

どうも書き始めるときりがない。二部については一言二言だけにする。
「寿式三番叟」二人三番叟のパートを基にしたものは、以前に教え子の日本舞踊の発表会で見たことがある。その時の演出との比較を言えば、チャリ場がもっと派手であってよいと思われた。本来は祝祭的外題であるのは分かるが、現代ではもっとチャリを膨らませた方が観客受けする。
勘彌の美少年の千歳がすこぶる印象的であった。
和生の翁もいつもながら優雅を湛えて手堅い。

「心中天網島」は初見であったが、流石は近松の名品でしみじみと心うたれた。今回用の特別折り込み(これがすこぶる良い出来である)とパンフレットからの受け売りであるが、これは、治兵衛と小春の悲恋物語である以上に治兵衛の妻おさん哀惜の物語であると言える。
おさんが哀しくも限りなく美しい。
しかも、治兵衛に最後には小春とは別に首を縊らせるという、近松のおさんへの愛と、その反面である厳しい治兵衛への断罪というコンセプトもショッキングであると同時に、一見、忘れ難いエンディングと言えるのである。
僕はこの「おさんに惚れた」。――文楽だけが「役」に恋させる魔法を持っている、としみじみ思う今日この頃である。……
文雀のおさんは燻し銀の老女形の複雑な心理の影を頭の翳によく表現していた(文雀、こころなしか少しお体が小さくなってしまったような気がした)。
なお特に、意外なことに、僕は、

「天満紙屋内より大和屋の段」この「紙屋」から「大和屋」への大道具の動きのダイナミズムの持つ効果

に劇しく心を揺すぶられた。

治兵衛と二人の頑是ない子を後におさんが父五左衛門に引っ立てられてゆく――呆然とする治兵衛と子ら――その紙屋の額縁が後ろに急速に後退――バレの暗闇が額縁となる――その左右と上から大和屋のセットが繰り出す……

その急速に舞台奥に小さくなってゆく操る玉女と治兵衛(この日も最前列であったため少し伸びあがってもそれしか目に入らなかった。この場面転換は是非、有意に観客席の中央寄りで見て最大の効果を持つものと思う)……

この映画のようなシーンは、まさにカタストロフへと堕ちてゆく治兵衛の宿命の闇の深さを恐ろしいまでに予兆させる、ヴィジュアライズさせているのである。これには心底、舌を巻いたのであった。

ともかくも高齢の方々の健康が心配である。
それだけに否応なしにやってくる世代交代の一つの大事な時期にきていることを僕は今回の公演に強く感じた。

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