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2013/06/04

海産生物古記録集■6 喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載

■6 喜多村信節「嬉遊笑覧」に表われたるナマコの記載

[やぶちゃん注:「嬉遊笑覧」は、『■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載』に既出の「筠庭雑録」の筆者である国学者喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の代表作。諸書から江戸の風俗習慣や歌舞音曲などを中心に社会全般の記事を集めて二十八項目に分類叙述した十二巻付録一巻からなる随筆で、文政一三(一八三〇)年の成立した。以下は同書の「巻八 忌避」にある連続する二条である。

 底本は国立国会図書館蔵「嬉遊笑覧 下成光館出版部昭和七(一九三二)年刊行)の電子ライブラリーの画像(コマ番号136)を視認した。頭書の見出しは改行して示した。原文には「ふみ石を打、」以外には句読点がないが、読み易さを考え、私が適宜、鍵括弧や中黒とともに補った。また、「ほうの目、ほうの目」の繰り返し部分は底本では踊り字「〱」である。]

俵子

〇「俵子」は沙噀(ナマコ)の乾たるなり。正月祝物に用る事、月次のことを記しゝものにも、唯、その形、米俵に似たるもの故、「俵子」と呼て用るよしいへり。俵の形したるものはいくらもあるべきに、これを用るは農家より起りし事とみゆ。庖丁家の書に米俵は食物を納るものにてめでたきもの故、「たはらご」と云ふ名を取て、祝ひ用ゆるなり。

鼬鼠うち

〇「鼹鼠(ウゴロモチ)うち」とて、沙噀を繩に結付、地上を引く、まじなふこと有。うごろもち、是を怖るといへり。仙臺にては子共等、是を地祭とて、「もぐらもちは内にか。なまこどのゝ、をどりしや。」といひて、錢を乞ひありく。長崎の俗、正月十四日・十五日、「むぐら打」とて、町々男兒共、竹のさきに稻わらを束ね結たるを持、家々の門なるふみ石を打、「むぐら打は科なし。ほうの目、ほうの目。」と祝して錢を乞ふ戲あり。

□やぶちゃん注

●俵子

・「俵子」現在でも漁師の間で用いられているナマコの別名である。因みに「大辞泉」の「正月言葉」の項には、『正月の祝いの言葉。また、正月に使う縁起のよい言葉。海鼠(なまこ)を「俵子(たわらご)」、鼠(ねずみ)を「嫁が君」という類』とあり、古くから米俵を連想させて年始の豊穣を言祝いだものと考えられる。動物学者大島廣先生の私の古くからの愛読書である「ナマコとウニ――民謡と酒の肴の話――」(昭和三七(一九六二)年内田老鶴圃刊)の「海参と雲丹と人生」の「製品、その異名と種類」に、この「タワラゴ」には異説がある、とされ、

   《引用開始》

 「海鼠(ナマコ)の乾したるなり(中略)其の形少し丸く少し細長く米俵(こめだわら)の形の如くなる故タワラゴと名付けて正月の祝物に用ふる事、庖丁家の古書にあり。米俵は人の食を納(おさむ)る物にて、メデタキ物故タワラコと云ふ名を取りて祝に用ふるなり」(伊勢貞丈)

[やぶちゃん注:中略。ここに本「嬉遊笑覧」の「俵子」の全文が示されている。]

 「俵子は虎子の転じたるにて、ただ生海鼠の義なるべし」(蔀関月)

   《引用終了》

とある。この伊勢貞丈の引用元は現在探索中であるが、恐ろしいまでに「嬉遊笑覧」の記載と酷似しており、同一ソース若しくは喜多村信節が貞丈のこれを元にしたものと思われる。「蔀関月」(しとみかんげつ 延享四(一七四七)年~寛政九(一七九七)年)は「巴御前出陣図」で知られる大坂の浮世絵師で詩文書道にも堪能で、寛政一一(一七九九)年(没後)刊行の「日本山海名産図会」の挿絵なども手掛けた。

・「沙噀」中国語。音「サソン」。「噀」は水などを吹く、吐くの意である、この場合は砂の中にいる水を吹き出すものとも、砂を吐くものとも、とれる。どちらもナマコの観察としては違和感がない。「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鼠」の項には(引用元は私の電子テクストであるが、一部に手を加えた。因みにリンク先の当該項の私の注は、詳細学名附分類以下、相当に力を入れて書いたものである。未見の方は是非、お読み戴きたい)、

「寧波府志」に云ふ、『沙噀は、塊然たる一物。牛馬の腸臓の形のごとくにして、長さ五六寸ばかりなるべし。胖軟(はんなん)なり【胖は半軆の肉なり。】。水蟲のごとく、首無く、尾無く、目無く、皮骨無く、但だ能く蠕動す。之に觸れば、則ち縮-小(ちゞ)まり、桃栗のごとく、徐(そろそろ)と復た擁-脹(ふくれ)る。土人、沙盆〔:砂を盛った鉢。〕を以て其の涎腥(ぜんせい)を揉み去り、五辣を雜て之を煮れば、脆美、上味たり。』と。

とある。「寧波府志」は明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌。

・「月次」「げつじ」と読み、辞書的には、毎月・月例の意であるが、ここは所謂、古典的な宿曜・行事・祭礼・農事等を記した月暦みに関わる文書類を指している。

・荒俣宏氏は、「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「ナマコ」の「俵子(とらご)」(ルビはママ)の項で、本記載を紹介した上で、本山桂川「長崎年中行事」(昭和六(一九三一)年十二月発行『民俗学』第三巻第十二号)から次のように主旨引用されておられる(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した。また文末には以上の書誌データが入って句点(ピリオド)が打たれるが省略した)

   《引用開始》

 長崎地方では、新年の買いぞめに、俵子、すなわちナマコの俵物を買うと縁起がいいということで、古くから正月二日、近郊からやってきた物売りの女からまず俵子を買わなければ、ほかの買いものはしない風習があったという。また一八七七年(明治一〇)の西南戦争のころまでは、二日の早朝に出入りの魚屋か八百屋が黙って俵子を置いていき、受けとる側でも値を問わず、紙にそれなりの鳥目を包んで水引をかけ、盆に載せて出した。

   《引用終了》

以上は、長崎習俗である点で、次の「鼹鼠うち」との関係性が窺われる。但し、御覧の通り、長崎のそれは藁でナマコを模したものであるが、ところが以下の注で見るように、実際のナマコが同じ呪いで用いられる地方があるので、一層興味深いのである。

●鼹鼠うち

・「鼬鼠うち」の「鼬」はママ。本文にある「鼹鼠」が正しい。「鼬鼠」ではイタチになってしまう。単なる頭書(編者によるものか)の誤植と思われる。

・「鼹鼠うち」現在でも各地の小正月の行事として「烏追い」と並んで「土竜追(もぐらお)い」「土竜送り」「土竜打ち」などと呼ばれる行事が残る。これは本来は、農作物を害するとされた土竜を音と呪言によって追い出して五穀豊穣を祈る神事であった。鳥追い同様、多く主役は地域の子どもたちで、集団で唄を歌いながら藁を巻きつけた杵や竹竿などで地面を叩いて練り歩いた。この民俗学的な一般認識は恐らくは田圃の畦や畠での土竜塚が目立つことにもよるのであろうが、土竜を害獣とする科学的根拠は実は、ない。寧ろ、益獣である。では、何故の「鼹鼠うち」なのか? 以下、家庭用品メーカー「尾上製作所」公式サイト内の「役立つ豆知識」の「モグラの話」がその総ての疑問を鮮やかに明らかにしてくれているので、以下に引用させて戴く。検索で「土竜打」を掛けて見られると分かるが、これ、侮れない優れた希少なる「鼹鼠うち」のルーツに関わる考証でもあるのである(アラビア数字を漢数字に代えさせて頂いた)。

   《引用開始》

 モグラは本当に害獣でしょうか。イギリスの『草地の生態と野生生物管理』という本には「モグラの最も大きい害は土を盛り上げるために草刈り機の刃が傷むことである」と書いてあります。それよりも掘り返しによる利益がはるかに多いでしょう。もし害を与えるとしたら、西日本のように水田の多いところよりも、長野や関東の畑作地域こそ被害を受けるでしょうが、この地方は「もぐらうち」がなく、同じ行事が「鳥追い」になっています。さらに、モグラの出ていない旧暦の小正月、地方によってはその前の節分に「もぐらうち」をするのも納得できません。

 兵庫県から山陰にかけてはこの行事が「きつね狩り」となっています。日本の民俗学の先駆者である柳田国男氏の出身地の北隣り、兵庫県神崎町で採録されている、この行事の唱え言葉は次のようなものです。「わりゃなにそうろう」「若宮祭とて、きつねがえりそうろう」「もう一声しようもうしよう」「ワイワイワイ」

 神戸新聞社発行の『兵庫探検・民俗篇』には、このほかいくつもの地区の唱え言葉があげられていますが、神崎町が最もととのっています。つまり、宮中行事にもなっている秋の「亥の子送り」と同じく、山の神を送り出す神事なのです。

 京都、滋賀そして東北の一部では「なまこひき」があります。唱え言葉は、「もぐらどん内にか、なまこどんのお通りじゃ」「オングロモチ(モグラ)送った。マンマコドンのお祝いじゃ、ドンドコドン」このとき引いてまわるのは本物のナマコのこともありますが、だいたいは棒や束ねた藁です。やはり古い行事で、束ねた藁を用いるのに「嫁たたき」があります。花嫁のところへみんなで押しかけ、藁でおしりを叩いて出産を祈るのです。今でも残っている地方もあるといいます。「もぐらうち」のように小正月に行なうところもあったようです。さきの「マンマコのお祝い」はこれと混同したのではないでしょうか。

 世界中、豊作をつかさどる大地の神は、性と出産もつかさどっています。そのお使いがキツネであり、イノシシであり、そしてモグラであったと考えるべきでしょう。

[やぶちゃん注:中略。以下、「土を作る」という標題でモグラは害獣どころか、地味の豊穣・土壌の改良に貢献している益獣であることが科学的に示される。省略部には「モグラの種類と名前」と題する博物誌が書かれており、驚きの日本語由来の学名のトンデモ誤り(知ってた? モグラ科モグラ属は“Mogera”――「モゲラ」!!! ヒェ~~~ッ!……「地球防衛軍」!――なんだせ!)など、必見!]

 モグラの穴を直径五センチ、一日二〇メートル掘るとしておきましょう。このモグラの生活空間を三〇メートル四方、地下一メートルまでとすると、彼もしくは彼女の活動範囲は九〇〇立方メートル。一年間に約一五立方メートルの土を掘り返しますから、六〇年に一度の割りで、この範囲の土がかきまぜられていることになります。

 作物を育てるには土を掘り返すことが大切です。植物には肺やエラがありませんから、生きるために必要な酸素はすべてそれぞれの部分が直接に取り入れます。土をかきまぜると土の粒の間に隙間ができ、そこにしみこんだ水や空気が根に活力を与えてくれます。アスファルトやコンクリートで表面を固めた歩道に植えられた木に、元気がない理由のひとつもここにあります。

 土壌改良工事という名で、ブルドーザーやパワーショベルを使って、田んぼの土を掘り返しているのをご覧になったことがあるでしょう。この工事の費用はどれくらい必要かはわかりませんが、それを無料で黙ってやってくれるのがモグラ君です。一ヘクタールに三〇頭のモグラ君がいれば二〇年に一度は土壌改良工事ができる計算となります。

 ミミズはモグラ君の主食ですが、掘り返し作業では有力な協力者です。その上、ミミズは土を食べて糞として出してくれますので、化学的にも物理的にも最良の土ができます。モグラ君よりも体は小さいですが、住んでいる数が多いので、仕事の量はモグラ君以上に働いてくれます。両方が一生懸命動き回れば、十年に一度の土壌改良工事ができるはずです。

   《引用終了》

ウィキもぐら打ちがあるが、特に加えたい別情報はないものの、広く行われる九州の各県名を指示してあるので引用しておく(但し、脚注の多くはすでに記事が消滅している)。『竹に巻いた藁等で家先や田畑の地面を叩いてまわる九州地方に伝わる伝統行事で』、『元来は田畑を荒らすモグラの害を防ぐために行われていた作業が、五穀豊穣や家内安全を祈る儀式となったものである』とし、福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県『の九州各県で行われ』、地域によって詳細は異なるが、小正月の頃(多くは一月十四日)『に子供たちが家々をまわり、かけ声をかけながら竹に巻いた藁等で家先や田畑の地面を叩く。鹿児島県地方では、まわった家々で子供たちに餅が振る舞われる』とする。更に『なお、時期は異なるものの、東日本で旧暦』十月十日に行われる十日夜(とおかんや)や、西日本で旧暦十月の『亥の日に行われる亥の子でも、地面をたたいてモグラなどを追い払う行事が行われる』とある。本記載の初めの方の仙台のケースは日付がないが、この十月十日に行われる十日夜である可能性が高いか。十日夜は旧暦十月十日の夜に行われる収穫の祭儀で、『「刈上げ十日」などともいわれる。稲の刈り取りが終わって田の神が山に帰る日とされる。北関東を中心に甲信越から東北地方南部にかけて広く分布し、西日本の刈上げ行事である亥の子と対応している』とする。『一般的には、稲の収穫を感謝し翌年の豊穣を祈って、田の神に餅・ぼた餅が献じられるほか、稲刈り後の藁を束ねて藁づとや藁鉄砲を作り、地面を叩きながら唱えごとをする行事が行われる。これは、地面の神を励ますためと伝えられるが、作物にいたずらをするモグラを追い払う意味も持つ』。『地域別の風習の一例として、長野県では、田んぼを見守ってくれた案山子を田の神に見立てて田から内庭に移して供え物をする案山子上げが行われる。また、群馬・埼玉県では、子供が藁鉄砲を持ち、集団で各家を訪れ地面をたたいて歩く。十五夜と同じく月に供え物をする所や、大根の年取りと称してダイコン畑に入るのを忌む所もある。その他、田の神送りの日として』、二月十日『前後の田の神降ろしと一対のものとみなしている所も、福島県を中心にして見られる』。『一方で、藁鉄砲打ちの唱えごとや月への供物の習慣から、この行事は、水田での稲作のみに関わるものではなく、畑作祈願の要素も認められる』。以下、参照引用したウィキ十日夜」には『藁鉄砲打ちの唱えごとの一例』として以下のフレーズが載る。

 とおかんや、とおかんや

 とおかんやの、藁でっぽう

 夕めし食って、ぶっ叩け

加えて言っておくとは、旧暦十月(亥の月)の最初の亥の日に主に西日本で行われる「亥の子」祭(餅を作って食べて無病息災子孫繁栄を祈ったり、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回たりする)のウィキ記載には多量の「亥の子の歌」の具体例が示されている。これら「もぐら打ち」「十日夜」「亥の子」更に「鳥追い」の囃し言葉や歌を綜合的に検討すれば、もしかすると隠されたもっと豊かな意味が見えて来るかもしれない。

 なお、本邦では漢字表記(間違ってはいけない。これは日本語に於ける国漢字表記であって、現代中国語ではモグラは科名で「鼴」、通常は「隠鼠」・「鼹鼠」・「盲鼠」・「鼢鼠」などと書き、決して以下のようには書かない)に「土竜」「土龍」を使用するが、これは字からも、また、本家の「本草綱目」にもある通り、「蚯蚓(ミミズ)」のことである。近世以降に表記と概念の誤認識が生じ(モグラの主食がミミズであることとも関係するか)、その誤用例が慣用的に定着してしまったと恐ろしいケースである。

・「鼹鼠(ウゴロモチ)」哺乳綱食虫(モグラ)目モグラ科 Talpidae のモグラ類のこと。日本には四属七種が生息している。古くは「うころもち」(「本草和名」に「宇古呂毛知」とある)「うごろもち」と呼称した。江戸期には「むくらもち」や「もぐらもち」の呼び方が定着、現在の「もぐら」になった。なお、ここに書かれたモグラ除けの呪(まじな)いについては、やはり「和漢三才圖會 巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海鼠」の項に、

凡そ海鼠の性、稻藁(いなわら)を忌む。如(も)し之を犯せば、則ち體、解けて泥のごとし。又、鼴-鼠(うくろもち)、海鼠を畏る。串海鼠の柱を以て花園に椓(くいう:=杭打)てば、鼴、敢て入らず。

とある。「串海鼠」は「くしこ」と読み、海鼠を煎って串に刺して干したもの。

・「地祭」ネット検索では全く掛かってこない。現在、この呼称は生き残っていない模様である。

・荒俣宏氏は「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「ナマコ」の「土龍打(うごろもちうち)」の項で、私の引いた「和漢三才図会」、次に「守貞謾稿」(これは次回の本シリーズでテキスト化評釈予定)から同風習を引いた後、江戸期の「庖丁聞書(ほうちょうききがき)」(室町期とするネット情報もある)及び昭和六(一九三一)年十一月発行の雑誌『民俗学』第三巻第十一号から以下のように主旨引用されておられる(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更した。また文末には以上の雑誌『民俗学』の書誌データが入って句点(ピリオド)が打たれるが省略した)。

   《引用開始》

 「庖丁聞書」長崎では土龍打は正月十四日と十五日に催す行事で、男の子たちが竹の先に藁を束ねたものを持ち、家々の門にある踏石を打ちすえながら、「むぐら打(うち)は科(とが)無し、ほうの目々」と唱えて銭を乞うたという。また宮城県仙台の子らは、「もぐらもちは内にか、なまこ殿のおどりじゃ」と唱えた。

 広島市東区愛宕町にも、大晦日の晩、人びとがブリキ缶などを打ちならしながら、口々に「オグラドン(またはウグロドノ)オウチカ、ナマコドンが、オミマイジャ」と叫びながら街を歩きまわる風習があった。

   《引用終了》

これは、前半に本記載と酷似した内容が示されてある。

 この後、荒俣氏は南方熊楠の俵子についての見解を主旨解説されているが、私の所持する「南方熊楠選集4」(一九八四年平凡社刊)所収の「続南方随筆」にある「『郷土史研究』一乃至三号を読む」から当該論文「田鼠除け」を全文を以下に示しておきたい。標題下の号頁は「二号一一三頁」に載る『郷土史研究』第二号所収の佐藤雄三郎氏の「幸の神祭と土龍よけ」という記事、及び『郷土史研究』第三号の「三号一八四頁」に載る福田文月氏の「彦根町の節分」という二つの記事を読んでの論評であることを示している(記事名と筆者名は底本の編者割注に拠った)。流石は博覧強記の熊楠、この「嬉遊笑覧」をびしっと引用している(彼が凄いのはこういう引用の多くをソラで(!)やれたのである)。但し、この文章、一読、強烈な違和感がある。しかしそれは書いた熊楠のせいではない。これは底本が、その校訂方針そのままに、やるべきでない古文の引用箇所の現代仮名遣化までしてしまった結果であろうと推測される。先に示した通り、「守貞謾稿」の引用部は正しい原文評釈を次回示す予定である。なお、文中の『随筆問答雑誌(ノーツ・エンド・キーリス)』の英誌名はルビである。

   *

田鼠除け(二号一三三頁および三号三八四頁)

 田鼠(もぐらよ)除けの禁厭(まじない)に、小児が金盥等を打ち鳴らして家々へ闖入し、庭中を騒ぎ廻りたちまち去る風が、予の幼時和歌山市にもあった。しかし、唱え詞が彦根や越後と違い、「おごろ様(さん)は内にか、海鼠(なまこ)様はお宿にか」と言ったと覚える。『守貞謾稿』二四に「節分の夜、大坂の市民五、六夫、あるいは同製の服を著し、あるいは不同の服もこれあり、その中一人生海鼠に細繩を付け地上を曳き巡る。その余三、四夫はおのおの銅鑼(どら)、鉦(かね)、太鼓等を鳴らしていう。うごろもちは内にか、とらごどんのおんまいじゃ、と呼び、自家知音の家にも往いて祝すことあり、云々。坂人、今夜のみ生海鼠をとらごどのと言う、伝えて言う、これを行なう年はその家土竜(うごろもち)地を動かさず、云々、最も古風を存せり」。『嬉遊笑覧』巻八、「俵子(たわらご)は沙噀(なまこ)の乾したるなり。正月祝物に用うること、月次のことを記ししものにも、ただその形米俵に似たるものゆえ俵子と呼んで用うる由いえり。俵の形したらんものはいくらもあるべきに、これを用うるは農家より起こりしことと見ゆ。庖丁家の書に、米俵は食物を納るるものにてめでたきものゆえ、俵子という名を取りて用ゆるなり」。次に「鼹鼠(うごろもち)うちとて、沙噀を繩に結びつけ、地上を引きまじなうことあり。鼹鼠これを怖るといえり。仙台にては子供らこれを地祭とて、もぐらもちは内にか、なまこ殿のおどりじゃ、といいて銭を乞いありく。長崎の俗、正月十四日、十五日むぐら打ちとて、町々の男児ども、竹の先に稲藁を束ね結びたるを持ち、家々の門なる踏石を打ち、むぐら打ちは科なし、ほうの目、ほうの目、と祝して銭を乞う戯あり」。これらを合わせ攷うると、むかしは大人もせし行事で、節分にする所と上元にする所とあったと知れる。海鼠を虎子(とらご)と言うのは、『笑覧』の説ごとく、俵の形ゆえ俵子と言うを訛っての名か、またむしろ海鼠の背が虎に似ておるゆえか。いずれにせよ『漫稿』に、今夜のみなまこと言わずに虎子殿と言うとあるは、「正月寅を建つ」の義に縁(ちな)んだらしい。寅の獣たる虎は百獣の君じゃにょって、虎子という海鼠で田鼠を威圧する意味だったろう。

 老友エドワルド・ピーコック言う、英国トレント河畔の俗、田鼠を捉うると殺して柳の枝に懸ける、と。和歌山辺の畑中にも、竿に田鼠の屍を釣り下げることあり。いずれも威(おど)しのためらしい。独人モレンドルフ説に、『遼史』に新年に田鼠を焼いて年中の災(わざわい)を禳(はら)いしことを載すとは、本邦の田鼠打ちに似ておる(明治四十一年十二月五日、ロンドンの『随筆問答雑誌(ノーツ・エンド・キーリス)』、予の「死んだ動物を樹や壁に懸くること」を見よ)。熊野の人、古来狼を獣中の王とし、鼠に咬まれて療法尽きた者が狼肉を煮食えば癒ると信じた。虎子で田鼠を威圧するのと一規だ。

   *

・「長崎の俗、正月十四日・十五日、「むぐら打」とて、町々男兒共、竹のさきに稻わらを束ね結たるを持、家々の門なるふみ石を打」「世界大博物図鑑 別巻2 水生無脊椎動物」の「ナマコ」の記載中に(二七八頁)、長崎市立博物館蔵の、文化文政期に成立したとされる饒田喩義(にぐいたゆぎ)述・内橋竹雲(うちはしちくうん)画「長崎名所図絵」の中の「もぐら打ち」の図が載る。そのキャプションに『竹に藁づとをつてたもので門口を打ちまわる正月行事』で、『本来はモグラよけだった』とあるが、そこに描かれた児童は総て男子である。祭礼の参加者が男性に限るという女性参加の禁忌は普通に見られるものであるが、この場合その振り回すものの形状が男根を模しているように私には感じられ、ある種の性的な意味をも付与されているようにも見える(五穀豊穣と性行為が同一視されていたことは周知の通りで、私がイヤラシイからそう考えた訳ではないと言っておく)。

・「ほうの目」不詳。前の「科(とが)」に牽かれて「法」か、などと思ってしまうが、であれば歴史的仮名遣では「はふ」でなくてはならず、違う。識者の御教授を乞うものである。

■やぶちゃん現代語訳

俵子(たわらご)

〇「俵子」は沙噀(なまこ)を乾燥させて製したものである。

 正月の祝い物に用いることは、毎月の暦みを記したものなどにも、単に

『その形が米俵に似ているゆえに「俵子」と呼んで使用する』

といった簡単な記載がある。

 しかし、俵の形をしている物は他にも幾らもあるにも拘わらず、これのみを、この正月の時期に、特異的限定的に用いるというのは、これが農事の風習から発生した習俗であることを色濃く窺わせるものであると言える。

 料理家の書物にも、

『俵は稲霊(いなだま)たる食物(しょくもつ)を納めるものであって、すこぶる目出度いものであるから、「たわらご」という言祝(ことほ)ぎの心を以って年始を祝うため、食材として用いるのである』

とある。

鼹鼠(うごろもち)打ち

〇「鼹鼠(うごろもち)うち」と言って、沙噀(なまこ)を繩に結い付け、地面の上を曳きずっては、土竜(もぐら)除けの呪(まじな)とする習慣が各地にある。

 巷間ではうごろもち――土竜・もぐらは海鼠(なまこ)を怖れると伝えられている。

 仙台地方では、子どもらがそれを地祭(じまつり)と称して、

「♪もぐらもちは地面の内におるか?♪ ♪海鼠殿が♪ ♪踊ったぞ!♪」

と囃しては、各家庭を訪れては祝儀の銭を乞うて廻る。

 また、長崎の習俗では、正月十四日と十五日、「むぐら打」と言って、町々の男の子らが、竹の先に、まるで海鼠そっくりに稲藁を束ねて結んだものを持って、家々の門前にある踏み石をそれで打ち叩き、

「♪むぐら打ちには科(とが)はない♪ ♪ほうの目!♪ ♪ほうの目!♪」

と言祝いで、やはり同じく祝儀の銭を乞うという遊びがある。

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