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2013/06/24

大橋左狂「現在の鎌倉」 19 長谷寺・由比ヶ浜・稲村ヶ崎・七里ヶ浜・満福寺・龍口寺

 長谷寺觀音 海光山長谷寺と云ふ。坂東第四の札所である。總門を入れば右に蓮池を前にして宏壯なる方丈がある。左に出世大黑天の堂がある。石段を登り詰むれば觀音堂がある。本尊十一面觀音は佛工春日の作だと云ひ傳られてある。大和國長谷の觀音と同一の楠にて刻まれ高さ三丈餘、志しの賓錢を納めて僧侶に導かれ行けば燈寵を上下して拜觀させるのである。

[やぶちゃん注:例の小泉八雲の見たあの情景である。「鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 長谷観音」「鎌倉 田山花袋」の私の注を参照されたい。]

 由井ケ濱 東は亂橋・材木座の海岸より、西は長谷・坂の下の海岸迄に至る灣曲せる一帶の海濱を由比ケ濱又は由井ケ濱と言ふのである。江の島電車小町停留場より八、九丁、由井ケ濱の停留所がある。玆に下車して海濱に出づれば、波は靜かに白砂美しく、東は三浦半島の翠黛を展望し、西は近く江の島の翠微(すゐび)を眺め、遠く大島を隔てゝ相模灘の風景を一眸に罩(こ)め眞に眺望絶佳と叫ばざるを得ないのである。往昔此邊一帶は弓馬の調練所であつたそうだ。今は湘南唯一の海水浴場となつて居るのである。

[やぶちゃん注:「翠黛」「すいたい」とは原義は青みがかった色の黛(まゆずみ=眉墨)から美人の眉、美人の謂いであるが、転じて、美しく緑に霞んで見える山色のことをいう。

「翠微」薄緑色に見える山色、または遠方に青く霞む山のこと。]

 稻村ケ崎 元弘三年五月新田義貞が鎌倉攻めの時、金裝の備刀を此海に投じて干潮を祈つたと云ふ古跡である。即ち坂の下の南方海中に突出せる岬にて、靈山ケ崎の丘陵を負ふて崎嶇たる峻岬である。西は七里ケ濱に通じて居る由井ケ濱と同じく眺望賞すべきである。

[やぶちゃん注:「崎嶇」「きく」は険しいこと。

「峻岬」「しゆんかふ(しゅんこう)」と音読みしていよう。険しい岬。]

 七里ケ濱 坂の下より西の海濱で稻村ケ崎邊より腰越濱上附近に至る一帶の海濱を云ふのである。沿道には日蓮上人遭難の際、奇瑞多きとて鎌倉に急報する使者と鎌倉より刑場に赴くべき使者との落合つた行合川、日蓮雨乞の靈跡などがある。由井ケ濱に劣らぬ眺望絶佳の沙汀である。

 滿福寺 江の島電車にて七里ケ濱を過ぎ腰越地域に入ると、滿福寺と云ふ停留場がある。停留場の右の石段を登れば此寺である。義經の鎌倉に入らんとした時此地迄來たのである。然し賴朝の怒りに觸れたので何うしても鎌倉に入る事を許されなかつたのである。即ち玆に滯つて辨慶に陳情書を書かせて賴朝に送つたのである。此陳狀書は腰越狀と云ふのである。今尚同寺の寺寶として辨慶の草した腰越狀が藏されてある。境内に現の池、腰掛石等がある。

 片瀨龍口寺 片瀨の龍の口にある。日蓮宗で寂光山と號してある。龜山帝の文永八年九月賴綱日蓮上人を松葉ケ谷の庵室に捕へ、大路を打ち渡し龍の口にて刑せんとした時、電光天に閃めき怪風地を拂つて、三郎直重の振上げた蛇胴丸の名刀が鍔元から不思議や三つに折損して散る事が出來なかつたので遂に上人を赦免したと云ふ舊跡である。寺内の五重塔は十三年間の苦心にて信徒十萬人の寄附よりなつたので四十三年の建築である。

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