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2013/06/02

大橋左狂「現在の鎌倉」 8 江の島の電車

     鎌倉の交通機關

 

 鎌倉の地は風光佳絶加ふるに到る處名勝古蹟ならざるはない。此の樣な地に於ける交通機關は到つて不完全のものであることは各國名勝地に於て常に見ることである。然るに鎌倉の交運機關は案外發達して居るのである。鎌倉の交運機關とし言へば、先づ江の島電車及人力車であらう。此外に海濱院ホテルに自働車及馬車もある。玆には江の島電車と人力車に就て案内する事にした。

[やぶちゃん注:本文中の二箇所の「交運」はママ。標題から見ても親本の誤植であろう。]

 

     江の島の電車

 

 現在鎌倉停車場前より大町を經て由比ケ濱・七里ケ濱の沿岸に通じて、片瀨、鵠沼より藤澤停車場に達する尤も便利なる。而かも遊覽電車の名高き江の島電車は明治三十五年九月の創業である。當時は片瀨・藤澤間の運轉で延長二哩(まいる)一二であつた。翌三十大年六月に至り片瀨・行合間一哩七八を延長し、尚ほ同年七月行合より追揚迄〇哩四七の延長をしたのである。三十七年四月に至り追揚より極樂寺迄〇哩四四、又四十年八月更に大町停留場迄一哩三四の延長を爲し、最近四十三年十月現在の鎌倉停車場前小町停留場迄〇哩二九の延長を見たのである。

[やぶちゃん注:横須賀線で鎌倉に向かう観光客が圧倒的に多い現在、実は江ノ電のルートこそが江戸時代以前の鎌倉への最も一般的な路程であったことを常識的に認識している人はそう多くはないように思われる。実際、江戸以前の古記録や紀行はこの藤沢片瀬から鎌倉へ向かうものが殆んどで、その他では江戸から金沢文庫や八景を巡って朝比奈越えをして十二所から入るルートが次いでいる。江ノ電は鎌倉史から見れば新しくて古い「路」線なのである。以下、文中の当該駅間マイル表示をメートルに換算して示し、後に現在の江ノ電の当該駅間(廃止・改名駅の場合は直近の駅若しくは改名駅に拠った)データ等による営業キロ数を★で提示しておく(ウィキの「江ノ島電鉄線」の駅一覧データの数値を用いて計算した)。因みに、リンク先を見て頂けばお分かりの通り、現在でも一〇キロメートルの営業区間に十五の駅があってこの手の地方都市線では多い方であるが、実に当時の江ノ電は後述される通り、細かい駅がもっとびっちりあって、その数実に三十九駅(当時の営業距離はやや長く一〇・二七キロメートル)、単純に計算すると二六〇メートル間隔で、ちょっとばっかりゴトゴト走っては止まる、また「ゴトゴト」と走っては止まる、という実にのどかな電車であったのである。

●藤沢駅―片瀬(現・江ノ島)駅間[明治三五(一九〇二)年九月一日開業区間]

       「二哩一二」≒三・四キロメートル

★藤沢駅―江ノ島駅間    三・三キロメートル

●片瀬(現・江ノ島)駅―行合橋(現・七里ヶ浜)駅間[明治三六年六月二十日開業区間]

       「一哩七八」≒二・九キロメートル

★江ノ島駅―七里ヶ浜駅間  二・三キロメートル

●行合(現・七里ヶ浜)駅―追揚駅(「追揚」駅は現在の七里ヶ浜駅と稲村ヶ崎駅の間にあった。昭和一九(一九四四)年廃止)[同明治三六年七月十七日開業区間]

       「〇哩四七」≒  七五〇メートル

★現在の七里ヶ浜駅―稲村ヶ崎駅間は一・二キロメートルである。

●追揚駅(廃駅)―極楽寺駅間[明治三七年四月一日開業区間]

       「〇哩四四」≒  七〇八メートル

★現在の七里ヶ浜駅―極楽寺駅間では二キロメートル、稲村ヶ崎駅―極楽寺駅間では八〇〇メートルであるから廃駅となった追揚駅は現在の稲村ヶ崎駅にかなり近い位置にあったと考えられる。

●極楽寺駅―大町駅(鎌倉駅前から延びる御成商店街が由比ガ浜商店街に接する江ノ電の踏切近くにあった。昭和一九(一九四四)年廃止。現在、跡地に標識がある)[明治四〇(一九〇七)年八月十六日開業区間]

       「一哩三四」≒二・二キロメートル

★現在の極楽寺駅から和田塚駅までが一・六キロメートルあり、そこから地図上で現在の路線上を旧大町駅まで計測してみると、凡そ四一〇メートル程ある。とすれば、

 極楽寺駅―旧大町駅間   二・〇キロメートル

と概算される。以上、当時の路線及び駅位置は微妙に異なっていたと思われるので、この延長距離はすこぶる正確な数値であると見てよい。なおかつ、延長開業区間の年号年月にも全く誤りがない。ここまでの幾つかの誤りに比して、これはやはりすこぶる附きで凄い正確さと言える。大橋氏、貴殿、実は鉄ちゃんだったんじゃあ、ない?]

 斯く江の島電車が數囘に渉つて延長を計り、現在に於て鎌倉・藤澤間の鐵道院との連絡運轉を見るに至つた其間の苦心は思ひやられるのである。何時も文明機關の發展せんとするや必ず多くの迫害を受くるのである。江の島電車は實に此難澁の關所を超へて漸く今日の成功を見たのである。吾人は由比ケ濱・七里ケ濱の風光を賞すべく、江の島の絶勝地に遊ぶべく、將又龍の口の舊跡を探るべく、大佛觀音に詣づべく何時も此便利の電車に乘車して瞬時間に遊覽目的を全ふするを得るを思ふに付けて、現時及以前此會社に盡せし職員諸君に對し其勞を慰ふのである。而して此會社は以前江の島電氣鐵道株式會社と稱されて、青木正太郎氏先頭に、石井虎之助、野中萬助、永島喜代司、雨宮敬次郎の諸氏が交る交るに社長の椅子を占めて居たのである。

 此江の島電車が獨立して鎌倉・藤澤間を運轉して居るのは文明の今日發展上不利ありとして四十四年十月三日横濱電氣株式會社に合併して、横濱電氣株式會社江の島電氣鐵道部と改稱されたのである。現在客車十八臺・貨車二臺を以て雨の日展の夜も間斷なく毎日運轉して居るのである。車掌・運轉手は目下三十餘人ある。何れも土地生れの正直者だから其勤務振りも確實精勵である。土地生れ剥出し丈けあつて稍々世間馴れない傾きがある。

[やぶちゃん注:この最後の部分は何だか微笑ましい。ウィキの「江ノ島電鉄」によれば、明治三三(一九〇〇)年十一月「江之島電氣鐵道株式会社」設立総会、翌十二月に高座郡藤沢大坂町で同株式会社設立(現在とは別法人)、明治三五(一九〇二)年九月一日に藤沢駅―片瀬(現・江ノ島)駅間を開業後(因みにウィキの「江ノ島電鉄線」の方の記載には開業当日鵠沼で脱線事故を起こしたとある)、以後順次延伸され、明治四三(一九一〇)年十一月四日に小町駅(後の鎌倉駅で横須賀線のガードを潜った大巧寺前にあった。昭和二四(一九四九)年三月一日にこの鎌倉駅を国鉄鎌倉駅構内に移転して国鉄鎌倉駅への乗り入れを開始した)まで開業した。明治四四(一九一一)年十月三日に電力会社「横浜電気株式会社」に買収されて「横浜電気株式会社江之島電気鉄道部」の運営となった。現在の法人である江ノ島電気鉄道株式会社の設立は大正一五(一九二六)年七月のことであった。]

 江の島電車が鎌倉より藤澤に通じてゐる事は前記の通りであるが、此鎌倉・藤澤間を十二區に區畫してある。即ち鎌倉驛前小町停留場を起點として記せば、原の臺、長谷、極樂寺、稻村ケ崎、行合、七里ケ濱、腰越、片瀨、西方、鵠沼、川袋、藤澤の順次である。而して一區毎を二錢とし外に通行税一錢を附加するのである。例せば小町より長谷に至る間は二區となり四錢に通行税を加へて五錢となるのである。又小町より片瀨迄八區即ち十六錢に通行税を加へて十七錢の乘車賃となるが如きである。又貸切車とせば一區毎に通行税共九十錢、特別貸切車は一區毎に一円二十五錢と定めてある。此外軍人・學生其他の團體を優遇すべく三十人以上に限り普通賃金の五割引を爲して居る。尚ほ囘數乘車劵、往復乘車劵もある。それから鐵道連絡切符は片瀨、長谷の兩停留場にて發賣して居る。此途中下車場としては長谷、行合、七里ケ濱、鶴沼、片瀨の五停留場がある。

[やぶちゃん注:私は鉄ちゃんではないので、最後の部分が分からない。「鐵道連絡切符は片瀨、長谷の兩停留場にて發賣して居る」という「鐡道」とは国鉄のことであろうが、ということはこの両駅から乗った場合のみ、国鉄鎌倉駅への連絡乗車券が買えたということか? 「此途中下車場としては長谷、行合、七里ケ濱、鵠沼、片瀨の五停留場がある」というのも分からない。何の途中下車場なのか? 「鵠沼」の位置が順序だっていないのも不審である。識者の御教授を乞うものである。]

 此會社には江の島電車の外に江の島電燈なるものがある。目下藤澤、鵠沼、片瀨、鎌倉、腰越、大船、戸塚町の各所に電燈を布設して、其燈數一萬燈に達して旭日の勢力を示して居る。尚ほ記す横濱電氣株式會社は横濱市に本社を置き鎌倉郡川口村片瀨に江の島電氣鐵道部を置いてある。

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