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2013/06/26

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 2

M155


図―115

 契約書はニケ国語で、書かねばならなった。私は二人の書記が忙しく書類を調製する内、事務所に坐つていて、彼等の仕事ぶりを内々スケッチした(図―115)。実験所のために、ガラス瓶、酒精(アルコール)、その他を人々が何をやるのにもゆっくりしているので、辛棒しきれなくなるが、彼等は如何にも気立てがよく、物優しいから、悪罵したり、癇癪を起して見せたりする気にはなれない。植物学教授の矢田部教授――コーネル大学の卒業生で「グレーの摘要」を教えていた――が実験所の敷地を選び、そしてその建設の手配をするために、私と一緒に江ノ島へ行った。この日――七月十七日――は極めて暑かったので、我我は出発を四時までのばした。我々は各々車夫二人つきの人力車に乗った。車夫達は坂に来て立ち止った丈で――我々は下りて歩いた――勢よく走り続けた。殊に最後の村を通った時など、疲労のきざしはいささかも見せず、疾風のように走った。彼等の速力によって起る微風をたのしむ念は、こんな暑い日に走る彼等に対する同情で大部緩和された。彼等が日射病と過労で斃れぬのが不思議な位である。
[やぶちゃん注:「契約書」これは恐らく、東大と結んだ文部省の「外国教師雇入条約文例」に基づく動物生理学教師としての二年契約の約定書を指す。磯野氏の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の「9 東京大学との契約」に全訳が掲載されているが、磯野氏は、『何事も最終決定権は日本人側がもつように配慮したことが明白』のもので、『病気の際の規定の厳しさ』(病気理由によって二十日間職務を果たせない場合は、以後、病中の給与は三分の一に減額、発病後六十日を経過しても職務復帰不能の場合は契約を破棄し、以後の給与は支払われない等)『にも驚かされる。現在だったら人権問題であろう』と記されておられる。但し、その給与は三百七十円と相当な高給ではある(磯野氏の記載によれば、矢田部良吉は百円(明治十年八月現在)で、『この頃の東京では、腕のよい大工でも月に十円ぐらいの稼ぎしかなく、二~三円の月収しかない人々が珍しくなかったのだから、御雇い外国人がどんなに優遇されていたかがわかる』ともある。こうした現状にやや後に憤然と嚙みついたのが、イギリスの白人社会で烈しい辛酸を舐めた末に精神病にまで罹患した夏目漱石であった事実も申し添えておくことは意味があろう。
「植物学教授の矢田部教授」驚くなかれ、彼も先の外山正一と並んで「新体詩抄」の作者である植物学者で詩人の矢田部良吉(嘉永四(一八五一)年~明治三二(一八九九)年)である。外山同様、明治一〇(一八七七)年に東京大学初代植物学教授(日本初号)となり、東京植物学会の創立者でもあったが、惜しくも鎌倉の沖で遊泳中に溺死した。享年四十九歳。
「グレーの摘要」不詳であるが、この「グレー」とは十九世紀アメリカで最も知られた植物学者エイサ・グレイ(Asa Gray 一八一〇年~一八八八年)のことではあるまいか?  ウィキの「エイサ・グレイ」によれば、北アメリカの植物分類学の知識を統一するのに尽力した人物で、特に『グレイのマニュアル』として知られた、現在でもこの分野のスタンダードである“Manual of the Botany of the Northern United States”(「北アメリカの植物学マニュアル」一八六三年刊)の著者である。
「彼等の速力によって起る微風をたのしむ念は、こんな暑い日に走る彼等に対する同情で大部緩和された」この部分、日本語としては「軽減された」の部分に表現上の齟齬がある。原文(先程発見した“Internet Archive: Digital Library of Free Books, Movies, Music & Wayback Machine”に拠る)は、
The enjoyment of the ride with the breeze made by their speed was mitigated by my commiseration for the men running on such a hot day. One wonders why they did not drop dead with sunstroke and fatigue.
とある。確かにこの“mitigate”という動詞は、複数の辞書を見ると、
(怒り・苦痛・悲しみなどのネガティヴな心情を)宥める、和らげる、静める。
(刑罰などを)軽減する。
(熱さ・苛烈さ・罪などを)緩和する、弱める。
の意味で用いられ、語義の元は、
ある感情・現象・行為をより厳格でないようにする、より不愉快でないものにする。
ある感情・現象・行為の持っている深刻さ若しくはネガティヴな程度の重さを相対的に小さくする、或いは小さくしようとする。
という意味であることが分かる。即ち、例えば当初私が感覚的に感じたような、
(あるポジティヴな現象に対して)不利に作用する, 働く。
とあった辞書は一冊だけで、しかもそこには、これは誤った用法とされる、という注意書きさえあった。
 しかしながら、ここはどうみても「大分緩和された」のではなく寧ろ、「かなり弱められた」と訳した方が分かりがいいことは事実である。
 私は以下のように推理する。モースにとって人が馬の代わりになる人力車は、後にアインシュタインが憤然として非人道的乗り物と言い放ち、乗ることを拒否したように、何かある種の罪悪感を強く感じさせるものであったのではなかったか?
……ところがこの…… the dog day ――炎暑の中――この二人引きの人力の異国の男たちは……『人間技とは思えない馬車馬のようおぞましい使われ方で』全力を尽くし、素晴らしい速さで人力を走らせ、そして『私に如何にも心地よい微風を、そよ風を私に送ってくれている』のだ……
――こうした理性的で論理的な潜在的な非人道的なものに乗車しているという罪悪感と――実際の感覚的現実が引き起こすところのすこぶる附きの爽快感が――アンビバレントなものとしてモースの心内にあった―それがこの“mitigate”という単語を選ばせたのではなかったろうか?
 ……人力の疾走する中、そこで起こる微風は熾烈な真夏の陽射しの中、とてもいわく言い難い爽快感を覚えたのであったが……人が馬の代わりに人を曳いているのだ……その「彼等が日射病と過労で斃れぬ」かと思うと、何か、罪悪感の疼きのようなものが、立ち上ってくるのだ……だからそれが、そのせっかくの心地よさに、言い知れぬ陰りを齎したということも事実であった……
とモースは言いたいのではなかったろうか?
 これはそうして、モース自身の心痛であると同時に、モースがこの肌の色が違う異国の人々に感じた、まっこと平等な同情と優しさであったのではあるまいか?
 私は英語は苦手である。大方の識者の御批判を俟つ。]

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