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2013/06/10

芥川龍之介「河童」決定稿原稿 一

■原稿5

      二

[やぶちゃん注:

●1行目6字下げ。実は「■原稿15」の次の章は「三」と書いたものを「二」に訂している。芥川は当初「序」を一章分と数えてナンバーを打ち始めたが、「二」章の途中か最後でその違和感(「一」がなくなる)に気づき、章番号を訂したものと思われる(「三」は正しく「三」であることからそう言える)。従ってここは校正漏れとなる。但し、『改造』初出では正しく「一」となっている。以下、本文は2行目から。]

 二三年前の夏のことです。僕は人並みにリ

ユツク・サツクを背負ひ、あの上髙地(かみかうち)の温泉宿

から〈※〉**高山(ほたかやま)へ登らうとしました。〈※〉**高山へ登

るのには御承知の通り梓川を溯る外はありま

せん。僕は前に〈※〉**高山は勿論、槍ケ岳にも登

つてゐましたから、〈案内者もつれずにたつた

一人、〉**朝霧の下りた梓川の〈岸〉**を案内**者もつれずに登つて行きました。朝霧の

下りた梓川の〈岸〉**を―――しかし〈朝?〉**の霧はいつ

までたつても晴れる〈景〉**色(けしき)は見えません。のみ

[やぶちゃん注:「※」は「禾」(へん)に、(つくり)は高い確率で「方」である。無論、こんな漢字はない。]

■原稿6

ならず反つて深くなるのです。僕は一時間ば

かり歩いた後、〈一そ→ちよつともう一度〉*一度(ど)は*上髙地(かみかうち)〔の温泉宿〕へ引き返

すことにしようかと思ひました。〈しかし〉*けれど*も上

高地(かみかうち)へ引き返すにしても、兎に角霧の晴れる

のを待つた上にしなければなりません。と云

つて霧は一刻毎にずんずん深くなるばかりな

のです。〈僕は〉「ええ、一そ登つてしまへ。」―――

僕はかう考へましたから、梓川の〈岸〉**を離れな

いやうに熊笹の中を分けて行きました。

 〈僕がせつせと歩んいてゐるのは毛生欅(ぶな)や樅(もみ)〉

[やぶちゃん注:

●「二三年前の夏」この冒頭は何故か、初出では「三年前の夏」になっている。現行の「河童」は総てこの全集に倣っているから、総て「三年前の夏」であるが、私は原稿通り、「二三年前の夏」とするのが正しい「河童」である、と思うのである。既にしてこの主人公の中では、現実の人間界の時間は有意性を持たないことの証左となるからである。この私の見解には大方の御批判を俟つものであるが、私は「河童」をそのようなものとして読み続けてきたのである。

●最後の「の」には抹消線は伸びていない。抹消洩れである。決定稿では無論、存在しない。]

■原稿7

 しかし僕の目を遮るものはやはり深い霧ば

かりです。尤も時々霧の中から太い毛生欅(ぶな)や

樅(もみ)の枝(えだ)が靑(あを)あをと〈枝〉**を垂らしたのも見えなか

つた訣ではありません。それから又放牧(ほうぼく)の馬

や牛も突然僕の前へ顏を出しました。けれど

もそれ等(ら)は見えたと思ふと、忽ち又濛々とし

た霧の中(なか)に隱れてしまふのです。そのうちに

〈足〉**もくたびれて來れば、腹(はら)もだんだん減(へ)りは

じめる、―――おまけに霧に濡(ぬ)れ透(とほ)つた登山服

〈マント〉*毛布*なども並み大抵の重さではありませ

[やぶちゃん注:既にしばしば見られた現象だが、やや崩れた「足」(特に五・六画目を略している感じ。それでも判読出来ないことはない)を再度正確な画数で「足」と書き直している。芥川は書いた字の形が気に入らないと書き直す癖がある。妙な律儀さとも見られるのだが、しかし後文を見ると、まさにそのひどい崩し方の「足」を平気で用いている箇所も散見されること、どうみても非常に綺麗な同字を消してまた繰り返している箇所も多いことからは、実はこれは――字が気に入らないから――ではなく――芥川の推敲の立ち止まり――を示している――と、とるのが正しいようにも思われるのである。]

■原稿8

ん。僕はとうとう我(が)を折りましたから、岩に

せかれてゐる水の音を便りに梓川の谷へ下り

ることにしました。

 僕は水ぎはの岩に腰かけ、とりあへず食事

にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐を

切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――

―そんなことをしてゐるうちに彼是十分はた

つたでせう。〈すると〉*その間(あひだ)*にどこまでも意地の惡い霧

はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕は

パンを嚙ぢりながら、ちよつと腕時計を覗い

■原稿9

て見ました。時刻はもう一時二十分過〈ぎ〉**

す。が、それよりも驚いたのは何か氣味の惡

い顏が一つ、圓い腕時計の硝子の上へちらり

と影を落したことです。僕は驚いてふり返り

ました。すると、―――僕が河童と云ふものを

見たのは實にこの時が始めてだつた■■ので

す。僕の後ろにある〈崖〉**の上には画にある通り

の河童が一匹、片手は白樺の幹を抱(かか)へ、片手

は目の上にかざした〈まま〉*なり*、珍らしさうに僕を

見おろしてゐました。

[やぶちゃん注:「■■」は抹消線を用いず、ぐりぐりと字を潰している。小さいので平仮名と考えられる。拡大してみると、「から」と書かれているようにも見える。

●この原稿の右下の手書き鉛筆の通し番号のすぐ右上(原稿の殆んど右端)には、ゴム印と思われる編集者(?)の人名ゴム印の一部(?)かとも思われる、

 

のやや斜めになったと朱判がある。]

■原稿10

 僕は呆つ気にとられたまま、暫くは身動き

もしずにゐました。〈河→しかし河童〉*河童もやは*り驚いたと見

え、目の上の手さへ動かしません。そのうち

に僕は飛び立つが早いか、〈崖〉**の上の河童へ躍

りかかりました。〈河童も〉*同時に*〈河〉**童も逃げ出し

ました。いや、恐らくは逃げ出したの〈で〉**

う。実はひらりと身(み)を反(かへ)したと思ふと、忽ち

どこかへ消えてしまつたのです。僕は愈驚き

ながら、熊笹の中を見まはしました。すると

河童は〈二〉逃げ腰をしたなり、二〔三〕メエトル〈はかり〉*隔つた*

[やぶちゃん注:

●最終行「はかり」はママ。]

■原稿11

向うに僕を振り返つて見てゐるのです。それ

は不思議でも何でもありません。しかし僕に

意外だつたのは河童の体(からだ)の色のことです。〈河

童は〉*岩の上*に僕を見てゐた河童は一面に灰色を帶び

てゐました。けれども今は体中(からだぢう)すつか〈り〉**綠(みどり)い

ろに變つてゐるのです。僕は「畜生!」とおほ声

を挙げ、もう一度河童へ飛びかかりま〔し〕た。河

童が逃げ出したのは勿論です。〈■〉それから僕〈等〉

は三十分ばかり、熊笹を〈探して〉*突きぬ*け、〈毛生〉*岩を*飛び

越え、遮二無二河童を追ひつづけました。

[やぶちゃん注:

●「すつか〈り〉り」の「り」の抹消再記は、「り」の右部分がインクがかすれて出なかったことによると推定される。

●「〈探して〉突きぬけ」の訂正は複雑である。まず「探して」と書いたものを、「探し」を抹消して右に「突き」と直し、「て」を単独にぐるぐると潰して左に「ぬ」として以下「け、」と続く。これはここで芥川龍之介が書き淀み、まず「突き」と直した後にまた、考え込んで、「ぬけ、」続けたことを示している。彼の一語一句の産みの苦しみが分かる部分である。その結滞は、直下で「長生欅」(ぶな)と書こうとしてやめて、「岩を飛び越え」と続けていることからも分かる。このさりげない対句表現を生み出すのにも、これだけの苦労が芥川にはあったという事実は、凡庸な私などにはすこぶる新鮮な驚きなのである。]

■原稿12

 河童も亦足の早いことは決して猿(さる)などに劣

りません。僕は〈何度も〉*夢中に*なつて追ひかける間(あひだ)に

何度もその姿を見失はうとしました。のみな

らず足を辷らして轉がつたことも度た〈び〉**

す。が、大きい椽(とち)の木が一本、太(ふと)ぶとと枝を

張つた下(した)へ來ると、幸ひにも放牧(ほうぼく)の牛〈か〉**

匹、河童の往(ゆ)く先(さき)へ立ち塞がりました。しか

〈も〉**それは角の太(ふと)い、目を血走らせた牡(を)牛なの

です。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴を

擧げながら、〈熊笹〉*一き*は髙い熊笹の中へもんどり

[やぶちゃん注:

●「椽」はママ。初出は「橡」である。校正者によって直されたものであろう。芥川はこの「椽」という字を好んで「緣側」の「緣」の代わりに用いる(これは慣用として他の作家でも見られる)。「橡」と書いたつもりの誤字と推測される。

●「〈熊笹〉」の「笹」の字は七画目まで書いて抹消している。]

■原稿13

を打つやうに飛び〈こみ〉*こみ*ました。僕は、―――僕

も「しめた」と思ひましたから、いきなりそのあ

とへ追ひすがりました。するとそこには僕の

知らない穴でもあいてゐたので〈あ〉**う。僕は滑

かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思

ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに轉げ落

ちました。が、我々人間の心はかう云ふ〈急〉**

一髮の際にも途方もないことを考へるもので

す。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上髙地(かみかうち)の温泉

宿の側(そば)に「河童橋」と云ふ橋があるのを思ひ出し

[やぶちゃん注:

●一行目「飛びこみ」の平仮名はママ。ところが初出は「込み」で、現行の「河童」は総て「込み」と漢字表記になっている。つまらないことではあるが、芥川が書き淀んでいるところでもあり、特に指摘しておきたい。下らぬ拘り――であろうか?――因みに、「河童」ではその他の部分で「込む」という動詞に漢字は一箇所も使われていないのである。私はこの現行流布の「河童」の、――ここの「込み」は「こむ」と『訂正』されねばならない――と考えているのである。大方の御批判を俟つ。
●「河童橋」及びその後の「と云ふ橋」の「橋」は、原稿では「木」(へん)に「髙」(つくり)、の所謂「はしごだか」であるが、本ニフティのブログでは当該ユニコード表示が不可能であるため、ここでは「橋」としてある。]

■原稿14

た。それから、―――それから先(さき)のことは覚え

てゐません。僕は唯目の前に稲妻に似たもの

を感じたぎり、いつ〈か〉**間にか正気を失つてゐ

ました。

[やぶちゃん注:

●前の原稿からの続きの部分である「思ひ出した。」はママ。初出もこうなっているが、岩波の最初の全集(一般に「元版全集」と呼ぶ)の編纂時に「思ひ出しました。」と変えられた。これは岩波版旧全集(一九七八年刊)でも同じであるが、この改変は実は、現在、日本近代文学館が所蔵する芥川龍之介自身による初出『改造』書き入れにも拠っているので、問題のない正当にして正統な改訂である。

●以下、6行空白。]

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