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2013/06/20

大橋左狂「現在の鎌倉」 16 本覚寺から大町・材木座辺り

 大巧寺の南に續いて、四時御題目の太鼓の音絶間なき寺院がある。本覺寺と云ふ。山門を入りて右方に日蓮上人の分骨せる分骨堂がある。永享八年身延日朝上人の師三島日出上人の再建で初めて寺名を稱へたのである。日出上人の滅後日朝上人が承けて宗祖の其骨を移して東身延と稱したのである。關八州の僧祿に任じ國本山として結緣の道場である。俗に日朝樣と云ふ眼病者の尊信する寺院である。其寺前の滑川に架してある橋は夷堂橋と云ふのである。此橋を渡れば大町に入る。夷堂橋を渡つて本覺寺と相對して東に高く見ゆるのが比企ケ谷長興山妙本寺である。日朗上人の開祖である。建長五年日蓮上人房州より鎌倉に入り名越の窟に在つた時當時の北條氏の儒官であつた比企大學三郎能本(よしもと)を度されたのである。能本は賴朝の乳母比企尼の孫にて判官能員の子である。姉若狹局賴家將軍の側女となり一幡及將軍賴經の御臺所竹の御前を産む。源氏の末流は皆北條氏の毒手に罹り、一幡・若狹局又變に死す。能本菩提の爲めに一宇を建てたのが此抄本寺である。境内に一幡の袖塚、賴經將軍夫人、比企能貞等の塞がある。又小御所、竹御所、蛇形池(じやがたいけ)等の舊跡がある。同寺を出でゝ大町通りを南に進めば左側に牡丹餠寺・八坂神社等を見て大町の四辻に出る。此辻を西に進めば延命寺がある。南に進めば亂橋材木座通りに出で、淨土宗關東總本山光明寺に至るのである。東すれば別願寺、安養院を經て、名越の峠に出で逗子に通ずるのである。名越の手前に松葉谷と云ふがある。玆處に妙法寺、安國論寺のニケの法華宗寺院がある。安國論寺は日朗上人の開基で、建長五年日蓮が小湊を出で鎌倉に來りたるも一泊さへ貸すものないので、此松葉ケ谷に自然の岩窟を見出し、假の庵として雨露を凌いだ舊趾である。世に知らるゝ立正安國論は此岩窟の中にて草されたのである。名越踏切りの先にも長勝寺と云ふ同宗の寺がある。更らに又大町四辻を南に歩を運び、本奧寺、補陀落寺を左に八幡舊趾、啓運寺、向福寺を右に見て進めば四丁餘にして光明寺に達するのである。
[やぶちゃん注:「國本山」不詳。相模国に於ける本山格ということか。
「本奧寺」は「本興寺」の誤り。]

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