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2013/06/30

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 6

 朝飯はあまりうまい具合ではなかった。水っぽい魚のスープ、魚はどっちかというとゴリゴリで、その他の「飾り立て」に至っては手がつけられぬ。やむを得ず私は缶詰のスープ、デヴィルド・ハムやクラッカース等の食糧品や、石油ランプ、ナイフ、フォーク、スプーン等を注文した。この不思議な食物に慣れることが出来たら、どれ程面倒な目にあわずに済むことだろう。私が特にほしかったのは朝の珈琲である。日本人はお茶しか飲まぬ。よって珈琲も買わねばならなかった。

[やぶちゃん注:「魚はどっちかというとゴリゴリで」これはアジかエボダイか何かの干物を焼いたものではなかったか?

「デヴィルド・ハム」原文“deviled ham”。現在もアメリカの“B&G FOOD”から販売されているブランド名“Underwood”の、三叉を持った悪魔のロゴの入ったミートスプレッド缶。肉製品のアンダーウッドは英国人実業家 Mr. William Underwood がボストンで会社を興したのが一八二二年と言われ、スパイスを取り扱う事業からマスタードやケチャップの瓶詰め製品や魚介等の缶詰製品を製造して事業発展した。 一八六八年に息子で二代目の Mr.Underwood が、様々なスパイスで味付けした加工肉製品の缶詰製造に成功、この“Underwood Deviled Ham Spread”が生まれた。“Deviled”とはマスタード・ホットソース・スパイスなどで風味付けをした製品のことを意味し、アンダーウッドの製品だけでなく、辛味づけしたものなどに附す典型的な形容詞である。アンダーウッド・ブランドは全米で人気ナンバー・ワンを誇っており、中でもデビルド・ハム・スプレッドは高い支持を得ている。因みにこの“Devil logo”は一八七〇年に商標登録されており、現在、アメリカに存在する食品商標としては最古の物と考えられている(以上は新宿にある舶来食料品販売の「株式会社 鈴商」の取り扱いブランド紹介のミートスプレッドのアンダーウッドを参照した)。今や老舗のミート缶も当時は発売されて未だ十年ほどであった。相当な高級品と考えてよい(現在でも高い)。

「クラッカース」原文“crackers”これは普通にクラッカーのことである。米語では塩味の強いビスケットの総称として、甘みの強いビスケットであるクッキーに対するものとして使用される。一七九二年にマサチューセッツ州のジョン・ピアスン(John Pearson)なる人物がクラッカーの原型を発明、一種の乾パンで軍隊の糧食などに使われた。その九年後の一八〇一年、同州のパン職人ジョシア・ベント(Josiah Bent)が初めて“cracker”と呼ばれる製品を造った。呼称は焼いて際の「クラック」という音に由来する。後にベントはクラッカー事業をナビスコに売却している(以上はウィキクラッカ食品)に拠った)。]

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