フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 耳嚢 巻之七 老僕奇談の事 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 夏の川 »

2013/06/02

中島敦漢詩全集 十一

   十一

 

 夜懷 二首

 

自憐身計諒蹉

數歳沈痾借債多

春寒陋巷蕭々雨

燈前獨唱飯牛歌

 

 

曾嗟文章拂地空

舊時年少志望隆

文譽未身疲病

十有餘年一夢中

 

〇やぶちゃんの訓読

 

自(みづ)から憐み 身計(しんけい) 蹉(さた)を諒(ゆる)す

數歳 沈痾(ちんあ) 借債(しやくさい) 多し

春寒 陋巷 蕭々たる雨

燈前 獨唱 飯牛歌

 

 

曾つて嗟(さ)したる文章 地を拂つて空し

舊時 年少(わか)くして 志望のみ隆かりき

文譽(ぶんめい) 未だ(あが)らず 身 疲病(ひへい)せり

十有餘年 一夢の中(うち)

 

[やぶちゃん注:今回は訓読には各所で手こずった。T.S.君と何度かのやりとりを経て、二首目の転句については訓読がどうしても冗長に流れることから、反則技ながら、「文の譽れ」から「文名」と同義ととって「ぶんめい」と意読することにした(「文譽(ぶんよ)」と突っ慳貪に突き出すような仕儀は私どもには出来ないのである)。その他の訓読部も含め、大方の御批判を俟つものではある。]

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「自憐」自分を憐れむこと。

・「身計」自分のために慮ること。

・「」許すこと。

・「」無為に過ごすこと、時期を逸すること

・「數歳」数年。

・「沈痾」久しく治癒しない病い。

・「陋巷」みすぼらしい横丁。

・「蕭々」多く風の音や馬の嘶きの形容に遣われる擬音語。通常は寂しげな気分を伴う。ここでは淋しい雨音を形容している。

・「飯牛歌」中国の古い歌の名。飯角歌とも。春秋時代の衛国の人寧戚(ねいせき)が、斉(せい)の国の城門外において夜を明かしつつ、牛にえさをやりながら(「牛を飯(やしな)ふ歌」)歌ったとされる。斉国の名君桓公は夜半に城門を出て来て彼の歌を聴き、即座に彼の非凡なことを悟り、その後、重く用いたという。すなわちこの歌は、「まだ世に認められぬ者が、将来その価値を認められ重用されるのを待つ」というイメージを濃厚に帯びているのである。この詩については原詩を見出し得ぬが、個人ブログ「Manontanto」の『陶淵明の「商音」について』の「【商歌は悲しい調子の歌】」の部分に詳しい考証がある。また、個人サイト「つばめ堂通信」の「涅槃会」のページにある李白の「秋浦歌」全詩の詳細な評釈(「其十五」の「白髪三千丈」ばかりが突出して人口に膾炙するものの、この詩の全詩評釈をされている方はネット上では少ない。それだけでも非常に貴重である)の「其七」(訓読は岩波版中国史人選集の武部俊男氏のものを附したが、読みは歴史的仮名遣とした)、

 醉上山公馬

 寒歌寧戚牛

 空吟白石爛

 淚滿黑貂裘

  酔うて上る 山公の馬

  寒うして歌う 寧戚の牛

  空しく吟ず 白石爛(あき)らかなりと

  淚は滿つ 黑貂(こくてう)の裘(かはごろも)

の注で、『飯牛歌(うしをやしなう歌)または牛角歌 二首』として、以下の二首の訳詩を示しておられる(読みや注はママ。原詩などは示されていない)。

   《引用開始》

 

 その一

南山(なんざん)矸(かん、キラキラ) 白石(はくせき)爛(らん、ピカピカ)。

生まれて遭(あ)わず 堯(ぎょう、古の聖帝)と舜(しゅん、古の聖帝)とに。

短布(たんぷ)の単衣(ひとえ)は 

適(たまたま、ちょうど) 骭(かん、すね)に至る。

昏(たそがれ)より牛に飯(くわ)せて 夜半に薄(いた)り

長夜(ちょうや) 漫漫(まんまん、長い)として

何(いづれ)の時にか 旦(あ)くる。

 

 その二

蹌踉(そうろう、河名)の水は 白石燦(さん、キラキラ)たり

中に 鯉魚(りぎょ、魚名)有りて 長さ尺と半ばなり。

弊布(へいふ、ボロ布)の単衣(ひとえ)は、裁ちて骭(かん、すね)に至り

清朝(せいちょう) 牛に飯(くわ)せて 夜半に至る。

黄なる犢(こうし)は 阪を上りて 且(しばら)く休息

吾 まさに汝を舎(さしお)きて 斉の国を相(たす)けんとす。

 

   《引用終了》

これは中文サイト「中国古代詩人百科」の「寧戚」に載る以下の詩の訳と思われる。但し、三首とあり、また一部に異同がある(当該ページの簡体字を正字化して示す)。

 

 飯牛歌 三首

南山矸、白石爛、生不逢堯與舜禪。

短布單衣適至骭、從昏飯牛薄夜半、長夜漫漫何時旦?

滄浪之水白石粲、中有鯉魚長尺半。

敝布單衣裁至骭、清朝飯牛至夜半。

黄犢上坂且休息、吾將舎汝相齊國。

出東門兮厲石班、上有松柏靑且闌。 

粗布衣兮縕縷、時不遇兮堯舜主。

兮努力食細草、大臣在爾側、吾當與汝適楚國。

 

・「」ため息をつくこと、吟ずる、和して続けること。ここは「文章を吟じる」と取る。

・「拂地」文字通り地を払うこと、すなわち、一掃されてなくなってしまうこと。

・「」「揚」と同音同義。揚がること。この詩句は、「未だに誉れが上がらない」、つまり「未だに名を成さない」という意味となる。

・「疲病」困窮・疾病若しくは疲労が溜まり病いも抱えていること。

・「一夢」ここでは「黄粱一炊の夢」すなわち「邯鄲の夢」「邯鄲の枕」という故事(道士から枕を借りて眠ったところ富貴を極めた人生を送った夢を見たが、目覚めてみるとまだ黄粱すら炊き上がっていなかった。すなわち、人生の栄枯盛衰のはかない喩え)が持つイメージを濃厚に有している。

 

T.S.君による現代日本語訳(二首の流れを恣意的に三連に分けた。これは、第一首目にある病と夜と雨のイメージが二首全体にかかるものであると判断し、これらのモチーフを用いて冒頭に独立した連を立てることにより、その影響力が隅々まで及ぶよう工夫したためである。)

 

……春寒のみすぼらしいこの路地に夜の雨が降りそぼる……。ひとり机のランプの静かな光に向かい、俺は今でも夢見る。自分の文章がいつかは世に認められることを。……

 

……俺は昔から才能がないことを恐れて自分を磨こうともせず、才能を半ば信ずるがゆえに世間に揉まれることをも避けてきた。その結果、俺は持っていたはずの才能をすっかり空費してしまった。……もう何年になるだろう。……その結末がこの通り、病いと借財に塗れた毎日さ。……

 

……かつて書き散らかした数多の文章は価値なきものとなり、風に吹き払われて、その所在はもはや分からなくなっていよう。若い頃は沸き立つ志を胸に人生の一歩を踏み出したものだった。……それが見てくれ……貧窮と病いに苛まれるこの有様。……この十数年は、まさに夢のように……失われたのさ。……

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 初見から数日間、ふたつのことがずっと心に引っ掛かっていた。

 ひとつは、私がこの詩から受ける印象、すなわち、『決して全面的な絶望を歌うのではない』という感想が本物かどうか、ということであった。

 みすぼらしい路地で淋しい夜の雨の音を聞きながら、独り机に向かう彼は、何の実りもなかった自らの十数年を自嘲する。

 そんな惨めな境遇ながらも、しかし、世に認められぬ不遇に対して不平を口にする『心の余裕』はまだ残されているのだ。

 なんと、彼が口にするのは「飯牛歌」である。

 運命に完全には打ち負かされてなど、いないのだ。今でも自分は世に認められる価値があると信じ、もしかしたら将来、いつか眼力ある人の目に留まるのではないかと期待しているだ。

 惨めな失意にくるまれているようでいて、実は内面では自ら恃むところは揺らいでいない。

 そして当然、そこから生ずるのは、己れの価値を認めない俗な世間に対する反発と侮蔑であろう。

 したがって、いくら淋しい夜の雨に押し籠められてはいても、詩人の心の中では自尊心の火が燃えているのである。

 こうした私の印象は的外れとは言えまい……。

 

 すると……今一つの私の気がかりが、俄然、意味を持って浮き上がってくるのである。

 

 それは、この詩をどこかで読んだことがある、という既視感(デジャヴ)だ。

 何だろう……。どこで会ったのだろう……。

 この詩と対峙すること三日目、私は――『あの丸眼鏡の』肖像――中島敦の肖像写真を――ぼんやりと思い浮かべていた。

 私はこんなことを思っていた。

 

「彼と初めて巡り合ったのはいつだったのか?……そう……彼と出逢ったのは高校の現代国語の教科書だ……作者の解説のところに、『あの顔写真』が掲載されていたっけ……そうだ……あれは忘れもしない「山月記」ではないか! 「山月記」……?!……あっ! そうだ。そうに違いない!」……

 私は、ここに至ってやっと気づいたのだった。

「……『この詩を心に抱いた』詩人その人に……私は遠い、あの高校時代に、一度、対面していたのだ!……そうして……そうして、この詩は……まさに、あの「山月記」のネガ・フィルムではないか!!……」

 

 なぜ、「山月記」か――。

 かの作品のあらすじを、いま一度なぞってみたい。

 主人公李徴は若くして科挙に合格し、将来を嘱望されるも、拝命した賤しい官職に満足できず、詩作の道に身を投じる。しかし文名はなかなか揚がらず、焦りが募る。自分の才能に半ば絶望した彼は、家計を支えるために再度、地方官の口に甘んじることにした。しかし、かつての秀才の名を恣(ほしいまま)にした彼には、年齢に比して余りにも低いその職務のために著しく自尊心を傷つけられ、悶々と過ごすうち、ついに発狂し、虎に変身してしまう。

 その後しばらくして、心さえ殆ど虎と化した彼は、旧友袁傪に偶然巡り合い、辛うじて残された人間としての彼が、おぞましい変身の実態を語る。しかも彼には最早、人間としてやり直せる余地は残されていない。今少しすれば心まで完全に虎と化し、全ての可能性は失われてしまう。その瀬戸際に、改めて彼が披露した即席の詩は、やはり第一級の水準を保っていた。

『……こんな素晴らしい詩を作ることができるなんて……李徴よ、お前は紛れもなく得がたい才能を持っていたのだ。それなのに……。尊大な自尊心といびつな心のために大成することができなかったなんて……。なんという悔恨か……』

 しかし、同時に袁傪は感じた。

『……それらの詩は確かに素晴らしい出来だ。だが、第一流の作品となるのには、何か、欠けるものがあるのではないか?……』、と。

 そうして、クライマックス、李徴は自分自身の実相を冷徹に告白し、己の内なる『虎』に思い至る。

 後、暁を前に、短い再会の時を終えて、虎となった李徴と友は――永遠に――別れていくのであった……。

 

 文名が容易に揚がらず、焦りが募る李徴の姿。これこそ、この詩に歌われる半ば自嘲に満ちた詩人の内面ではないか……。

 同時に、自分の才能に半ば絶望したとは言いながら、最後まで己れの文学に自信を持ち続けた李徴の姿(もし完全に自信を失った者なら、頼まれてもいないのに旧作約三十編を友に自ら披露したりなどするはずがない!)。

 これこそ、自身の才能に対する信頼を完全には失わず、「飯牛歌」を呟きつつ、運命に抗い続ける詩人の姿ではないか……。

 「山月記」と、この「十一」の漢詩を改めて並べてみることによって、この漢詩が若い詩人の純粋な自信と、なかなか世に認められない焦りを素直に詠んでいるものなのだという実感が、改めて強く湧いてくる。

 無駄にしてしまった十数年と、病いと貧窮とを、夜の闇と雨の音に包まれて、淡々と歌うのである。

 自ら恃むところ頗る厚い若い詩人の、直線的な焦りと自嘲――加えて俗な世間に対する漠然とした敵愾心を、実に素直に詠んだ詩なのである。

 

 この漢詩は、「山月記」世界に擬えるなら、李徴が虎に変身する以前、『文名容易に揚がらず、焦りが募り始めた頃の作中の李徴の詩である』と『同定』し得るであろう。

 まさに自らの潜在意識に沈んでいる〈愛〉に対して詩人は、未だ無自覚であることもその証左と言える。

 ただ自らの文学とその才能に対する信頼だけが、低い音調で計八句を通じて一貫して響いており、自嘲がところどころで小さな飛沫を上げている――そんな『李中島敦徴』の詩――なのではないだろうか?

 

 そう解釈した瞬間、この漢詩から遥か数段階進んだ位相を現出させたところの「山月記」世界が、逆にこの詩とその作者とを鮮やかに逆照射して、そこに明確なあるシルエットが立ち現れてくるのである。

 「山月記」において中島敦は、過去を振り返る李徴に、自尊心と羞恥心に囚われ、不遇に喘いでいた自分を自嘲させている。ここまでならこの「十一」の詩の世界と同じ深さに過ぎない。しかしその上で、作品の後半、殆ど虎になりかけた李徴は傲慢であった自分を十全に客体化し、絶対零度の自省を、恐ろしい深淵の中で呟いているのだ。

 そうして、自分のことよりも遺される家族を思うことこそが人としてあるべき姿であるとさえ述懐している。

 つまり、土壇場の李徴は、絶対の孤独の只中に屹立しながら、何もかも悟っていたのだ。

 そして、これはすなわち「山月記」を著したときの中島敦も、十分に悟っていた、ということをも意味していよう。

 しかし、全てを悟った李徴でさえ、虎に変身する道を引き返すことは許されなかったのだった!……

 何故だろう?……

 何という恐ろしい過酷な運命ではないか?……

 

 そこで思い合わされるのは、李徴の詩が第一流として世に残るためには、決定的に欠けていたものとは一体、何だったのかという素朴な疑問である。この疑義を私は高校時代に強く感じたことを思い出したのだった。

 この度(たび)、評釈に取り組む私は、ホームページに掲載された藪野先生の授業ノートを拝見する機会に恵まれ、この問題に関して次のようなくだりがあることを知った。すなわち、『李徴の内面の問題性があり、それが作品に表れたため』という説明は、『教師用指導書にしばしば書かれてあるが、如何にもな下らぬ言説である』というのである。やはり、そうであったのか……。そして、私は改めて考え始めた。

 

 あの頃の私が漠然と思い込んでいた、ある答えは、あった。

――欠けていたのは、周囲に対する思い遣りの心、自分を犠牲にしても他者を愛する心なのではないか――と。

 しかし、よく考えると、やはりこれは、いかにも教科書的に出来すぎた胡散臭い回答ではないか。しかも矛盾を孕んでさえいる。

 なぜなら、そもそも李徴は、そういう心の欠如をこそ自ら反省しているではないか。

『飢ゑ凍えようとする妻子のことよりも、己(おのれ)の乏しい詩業の方を氣にかけてゐる樣な男だから、こんな獸に身を墮おとすのだ。』

と。

 心が欠如した者が、諭されてもいないのに反省などしようはずもない。

 彼は、実は暖かい心をしっかりと内に秘めた人であったからこそ、この自嘲は口を衝いて出たのである。

 自分が獣に完全に変身しようというその刹那にさえ、家族のことを思い遣る彼。

 そんな彼を指して、人間らしい暖かい心が足りない、などと本当に指弾できるだろうか?!

 人生の途上で味わう様々な矛盾や葛藤をそのまま飲み込んだり、誤魔化したりしながら生きている大多数の人々と比べて、一体、彼が人間らしくないなどと、誰が言えるのだろうか?!

 私は、決してそうは思わない。

――彼はあまりにも人間らしかった

――過度に人間らしかった

のだ! ただ、

――自我に正直だっただけ

なのだ!

 これにある人は次のように反論するかもしれない。

「変身が致命的に確定せざるを得ない直前になってやっと彼は悟ったのだろうが、昔の彼は人間として問題があったのだ。」

と。――しかし、それはおかしい。

 暖かい愛に目覚めた彼が、心の通わないような駄作を堂々と披露するというのでは、この厳粛な悲劇の中にあって、まるでぶち壊し、噴飯物の間(あい)狂言だ。

 そもそもが、彼が再就職した地方官の地位に甘んじたのは家族を支えるためであったではないか。

 いや、何より、すべてを悟った彼に対して虎への変身という最も残酷な最終処刑を――「是」たるはずの天道が――これを執行するであろうか?……

 

 それでは……『第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺け』ていたというそれは、一体何だったのか?……

 この問いに答えるのは、今の私の力では……到底無理なようだ。親友袁傪は、果たしてそれを特定し得たのであろうか。当然ながら物語の話者である中島敦の中では、明確なものとして、あったに違いない。それをはっきり言わなかったのは何故だろう。言わなくても読者は当然感知し得るものと判断したのだろうか。それとも……言っても無益であると考えたのだろうか。つまりそれは……まさか「理解し得る者にはそもそも敢えて説明する必要などなく、理解し得ない者には百万言を費やしても到底了解し得ない」ということなのだろうか。――もしもそうであるなら、本当にそうであるなら……私は――、文学に憧れながら文学というものを理解する力に欠け、芸術に想いを寄せながら芸術というものを自分自身の世界とすることを認められなかったあまりにも惨めな存在、ということになる……。何と恐ろしい裁断! そしてその時こそ……、この私は、哀しい厳然たる事実を、甘んじて受け入れねばならないであろう。私は今固く眼を閉じ、軽々しい言葉を弄することを、もう此処までにしたいと思うのである。

[やぶちゃん注:もうお気づきのことと思うが、T.S.君に現代国語の授業で「山月記」を教えたのは当時二十六歳であった担任の私、藪野直史である。今回の評釈のために私は私の『中島敦「山月記」授業ノートを公開したのであるが、ここで一つ断っておかなくてはならない重要な事実がある。それは、ここでT.S.君が問題にしている、『第一流の作品となるには欠けているところがあるのはなぜか?』という発問への答えの部分である。公開したノートで私は、当該箇所の板書として、

①言葉では表現できない芸術的霊感に欠けているからか?=〈才能不足〉

②李徴の内面の問題性があり、それが作品に表れたためか?=〈後段への伏線的要素〉

*所詮は①である/でしかない。

②は教師用指導書にしばしば書かれてあるが、如何にもな下らぬ言説であることを暴露しておくこと。

と記してあるのであるが(「*」は私のメモ)、実はこの当時(教員になって二度目か三度目の「山月記」の授業であったと記憶している)、私は①を示さず、教師用指導書を鵜呑みにして②を理由として板書して平然としていたことを告白せねばならないのである。しかもご丁寧に、私は「山月記」の結末近くでは、その欠けていたものは「愛」であったのかも知れない、なんどと、口頭で、まことしやかに述べていたことさえも自白しておかねばならぬ。私がこの②を否定するようになるためには、もう少し、私が無為に年をとり、私から創作者としての野心が微塵もなくなり、その結果として、私の中での「山月記」の私なりの素直な自律的な読みが熟成する必要であったのである(『授ノート』のような形になったのは四十代以降のことと記憶している)。

 因みに②を全否定するという私の立場とは難しいことではない。単に――李徴にミューズは霊感の桂冠を授けなかった――詩人の光栄は李徴に遂に訪れなかった――という世間的事実が、ここでは「山月記」の李徴という悲劇的存在を、さらに悲惨に駄目押しする効果を与えている、若しくは与えているに過ぎない――と私は今は解釈している――ということである。なお、同様の内容を持った追記をこれに先立って『中島敦「山月記」授業ノートの上記引用直後に補注として附しておいたので、それも参照して「戴けるならば、自分にとつて、恩倖(おんかう)、之に過ぎたるは莫(な)い」。]

 

 最後に「山月記」より、李徴が自分の過去を客観視しつつ、語る核心部分を引用しておく。私が現代語訳を綴る際に、この小説の幾つかの語句を意識的にそのまま借用したことは、既に読者の知るところではあろう。[やぶちゃん注:引用は私が本評釈のために公開した私の「山月記」電子テクスト(親本筑摩版全集版)からT.S.君が指示した部分を引用した。太字「ふとらせる」の部分は底本では傍点「ヽ」。]

   *   *   *

 何故こんな運命になつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、考へやうに依れば、思ひ當ることが全然ないでもない。人間であつた時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといつた。實は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。勿論、曾ての郷黨の秀才だつた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。己(おれ)は詩によつて名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。かといつて、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。己(おのれ)の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己(おのれ)の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによつて益〻己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつた。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。今思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる、己には最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己(おれ)の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。さういふ時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己は昨夕も、彼處で月に向つて咆えた。誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮(たけ)つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の氣持を分つて呉れる者はない。恰度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

   *   *   *

 しかし、もしかしたら、私は「山月記」の世界に少々立ち入り過ぎたのかもしれない。

 

 もう一度本題の漢詩に立ち戻ろう。

 

 そうして、気難しい不恰好な自尊心が、暗闇の底で夜の雨に降り籠められているというこの漢詩のイメージとして、私が真っ先に思い浮かべた音楽を最後の最後にご紹介したいのである。

 

 抜群の才能を持ち、自ら恃むところ頗る厚く、周囲の人々を常に思い切り傷つけたくせに、その実、内には人を想う炎が常に燃えていた、ある作曲家の手になるピアノ・ソナタである。

 臆病な自尊心と尊大な羞恥心の塊だった高校時代の私が、雨の夜、いつも独りきりで聴き入っていた、心の友ともいうべき懐かしい曲――

 

――ベートーヴェンの第十五ピアノソナタ ニ長調 作品二十八(やぶちゃん注*)

――その第二楽章

 

である。

[やぶちゃん注:リンク先はT.S.君が指示した“Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No.15, Op.28 'Pastorale' (mono, 1950-4)”のモノラル演奏である。重厚なバックハウスの演奏による第二楽章は6分40秒から始まる。]

« 耳嚢 巻之七 老僕奇談の事 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 夏の川 »