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2013/06/05

軍歌その他の音樂について 萩原朔太郎

 軍歌その他の音樂について

   時局と詩歌人

 今度の事變に際して、僕等の詩人が一見極めて冷靜であり、時局に關する憂國詩や愛國詩の作品が無いのに反し、歌壇の連中が筆をそろへて時局を歌ひ、さかんに戰爭や出征の歌を作つてるのは、まことに興味のある對照である。或る人々はこの現象を歸納して、歌人の至誠な愛國心に歸してるけれども、自分は必しもさう思はない。もつとも日本の和歌といふものは、昔から皇室を中心として榮えたもので、傳統的に國粹主義の精神を持つものだから、西洋輸入の自由詩や新體詩のエスプリとは、文學の本質上で多少異るものがあるだらうし、實際また歌人の仲間に國粹主義者が多いことも事實である。しかし今の歌人等が作る時局の歌が、眞の憂國至誠の熱情から生れたものとは、いかにしても考へられない。端的に言ふと、彼等は歌を一つの手藝として、單なる職業的レトリツクの手藝として、常に殆んど何の詩的情感なしに作つて居るのだ。彼等の生活は、その身邊のあらゆる周圍に、絶えず作歌の題材を探さうとして、いつも何か事あれかしと、蚤取り眼できよろきよろしてゐることだけである。そこで例へば、子供が病氣したと言つては歌を作り、妻が里歸りしたと言つては歌を作り、障子を張り代へたと言つては、歌を作る。毎朝の新聞紙とラヂオのニユースは、彼等にとつて缺くべからざる歌の資料である。何所そこに大火事があつたとか、地震があつたとか、電車が脱線したとか、人殺しがあつたとか、某工場でストライキが起つたとかいふ類の社會事變は、悉く皆彼等の歌の逸材となりミソヒトモジの散文に手際よく構成される。かつて二・二六事件があつた時、殆んど全歌壇の人々が總動員でニュースに飛びつき、この好餌を逃すまいとして何百千の歌を作つた。今度の支那事變に際して、歌人等が盛んに時局を取材し、何かの愛國歌のやうなもの、憂國歌のやうなものを亂作するのは當然である。此所で「やうなもの」と言ふのは、それが眞の熱情からほとばしつたものでなく、彼等の使ひ慣れた手法によつて、儀禮的に表情を裝つたものにすぎないからだ。正直に觀察して、自分はこんな歌人等よりも、却つて沈默してゐる詩人の方が、ずつと深く眞劍に時局を考へ、眞の憂國の情を抱いてるところの、純眞の愛國者であると思ふ。彼等が容易に筆を取らないのは、時局の性質が深酷であり、容易に昂奮ができないほど、實質的に重大なものであることを知つてるからだ。皮相な感激に浮れ上つて、御座なりの詩歌を亂作するほど僕等の仲間は單純な子供等ではない。

        露營の歌と愛國行進曲

 「露營の歌」と「愛國行進曲」とは今度の時局が生んだ二つの名軍歌であつた。特に前者の「露營の歌」が、日本の津々浦々に行き亙り、老幼男女を通じて歌はれてるのは、實に驚くべきものである。この歌謠が大衆に悦ばれるのは、歌詞と作曲とが共に哀調を帶びてぴつたり一致し、よく日本人の民族的趣味に通するからである。「物のあはれ」の傳統以來、日本人の音樂趣味は哀傷風なセンチメンタリズムで、一貫してゐる。日淸戰爭の時の「雪の進軍」日露戰爭の時に流行つた「戰友」(此所は御國を何百里)、共に皆哀調を帶びた悲しい歌であつた。軍歌に限らず、大衆に受ける近頃の流行歌曲は、たいてい皆哀調の短音階だが、今度の「露營の歌」もまたハ調短音階で、流行歌曲風の旋律を巧みに取り入れて編曲されてる。つまり軍歌と流行歌謠の合の子見たいなものであり、大衆がまたそこを悦ぶのである。しかしこの歌謠のセンチメンタリズムは、日露戰爭の時の「戰友」と何所か質がちがつて居る。「戰友」はその歌詞が琵琶歌風な敍事詩であるばかりでなく、曲譜がまた單純な琵琶歌的悲調のものであつたが、今度の「露營の歌」は、歌詞も曲譜も共に純抒情詩的で、デスぺラートの絶望感が深く、哀傷の質が甚だ深酷である。つまり今度の時局に伴ふ國民のニヒルの不安が、そのままリリツクとなつてこの歌曲に反映されてるので、戰爭の質が深酷であるだけ、日露戰爭時代の單純な軍歌に此して、情緒の内容が複雜深酷になつてるのである。
 それ故にかうした歌謠は、藝術としては正に本筋の物――大衆の眞實な心を正直に反映する作品は、常に藝術として本筋の物であるにちがひないが、所謂國民精神總動員の「士氣を鼓舞する」目的からは、むしろ禁止令に觸れるべきものかも知れない。昨冬僕は伊豆の伊東温泉に滯留し、南京陷落の日に行はれた市民の旗行列を見物したが、小學校の女生徒等が、この歌謠を唄つて行進するのを見、一種異樣な感じがした。南京陷落、日本大勝利を祝する目出度い日に、かかるニヒリスチックな悲哀の歌を合唱するのは、いかにしても、場合に適はしくないからである。すくなくともかかる場合は、もつと勇壯で力に充ちた、明るい光明的な軍歌がほしい。それかあらぬか知らないが、政府は今度「愛國行進曲」を大仕掛で宣傳し始めた。老軍樂士瀨戸口氏の作曲になるこの歌は、たしかに國民精神總動員の主旨に適ひ極めて雄健明朗であり、その上に莊重の趣さへもある。
 此所で僕は、行進曲作者としての瀨戸口氏の天才的獨創性を今さらの如く考へずに居られない。前に述べた如く、由來日本人は悲調を帶びた哀傷風の音樂が好きであり、この國民的大衆性に投じない歌謠は、決して普遍的に流行することができないのである。現に日々新聞で一等に入選(露營の歌は二等であつた)した陸軍軍樂隊作曲の行進曲の如き、政府がレコード會社と共に盛んに宣傳したにかかはらず、大衆は一向に之れを唄はず、却つて二等の「露營の歌」ばかりが唄はれてる有樣である。然るに不思議なことは、獨り瀨戸口氏の作曲だけは、極めて明朗勇壯であるにかかはらず、よく日本人の趣味に適ひ、何等哀傷的の悲調なくして、しかも大衆に悦んで唄はれるのである。前に氏の作つた「軍艦マーチ」もさうであつたが、今度の「愛國行進曲」もまたさうである。つまり瀨戸口氏の作曲は、日本古等來の雅樂調や、日本俗謠の特色たるラグタイムやを、隨所に巧みに取り入れることによつて、洋樂の行進曲を、日本人の傳統的血液中によく融化してゐるのである。そしてこれは、天才のオリヂナリチイに非ずば不可能な仕事である。音樂でも映畫でも大衆小説でも同じであるが、感傷好きな日本人を口説くのには、いつも「お涙頂戴」の一手に限る。この一手さへ使つてゐれば、たいていの凡庸作家でも大衆に相當受けるのである。しかし「お涙頂戴」以外の手で、大衆を動かすことのできる人は稀れであり、それが出來る人は天才である。今や國家非常の時、日本の大衆の心を捉へ、よく人心を鼓舞する歌謠を作り得るもの、瀨戸口氏を置いて他になしとすれば、この人の存在が一層貴重に感じられる。しかも氏は老齡七十歳である。此所にもまた深酷の感なきを得ない。
 普佛戰爭の時、祖國敗亡の危難に際して、ナポレオン一世に仕へた老軍樂士等が、奮然立つて幾多愛國の行進曲を作曲したが、今や老齡七十歳、日露戰爭時代の軍服を着た白髮の老樂手が、祖國の非常時に際して奮起し、この勇しくも美しい愛國行進曲を作つたことは、西洋の戰爭小説にでもある如きドラマチックの悲壯美を感じさせ、深く僕等の心を打つものがある。僕はあの行進曲の第三節「ああ悠遠の神代より」といふところを聞く毎に、作曲者瀨戸口氏のことを思うて涙湧きくるものがある。
 しかしこの作曲の名譽に比して、あの歌詞の拙いことはどうだ。僕はローマ字論者でもなく漢字廢排論者でもないが、この「愛國行進曲」の歌詞のむづかしさには、心から反感をもたざるを得ない。「見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば」などと、歌ひ出しから既にチンプンカンプンで、一昔前に流行つた一高の寮歌と同じく、漢字を見なければ語意がまるで解らない。宜なる哉。大衆の唄ふのを聞くに、殆んど歌詞を完全に覺えてる者は一人も居ない。皆うろ覺えでデタラメに唄つてるのだ。そこへ行くと「露營の歌」の方は質に歌詞がよく出來て居り、曲の旋律と合つて意味がぴつたり迫つてくる。折角の名行進曲も、歌詞が惡くては仕方がない。この歌詞は朝日新聞の懸賞募集で、選者の中には佐佐木信網氏や河井醉茗氏などの大先輩も居た筈なのに、一體何うしたといふことなのだらう。

       琵琶・詩吟・その他の事

 琵琶唄といふもの、日露戰爭の時には全盛的に流行したが、今度の時局ではあまり唄はれなくなつたやうだ。實際僕等が聞いてもあの音樂の旋律はあまり單調で纖弱にすぎ、悲壯美を感ずるよりは、むしろ卑俗な安センチメンタリズムを感ずるのみだ。つまり日露戰爭の時の軍歌「此所は御國を何百里」が、今日の大衆にとつて興味がなく、單純にすぎて悲壯美を感じなくなつたやうに、琵琶唄が時代の情操から遲れたのである。之れに反して「詩吟」といふものは、今日でも尚依然として流行し、僕等が聞いても一種特別の悲壯美を感じさせる。特に底力のある男聲で、あまり節をつけぬ素朴な朗吟には、何とも言へない魅力があり、漢詩風の東洋的悲壯美を強く感じさせる。琵琶唄の旋律も詩吟と似たやうなものであるが、詩吟のエスプリを忘れてこれを音樂化した爲に、却つて安感傷主義に墮したのである。
 尚聞くところによれば、政府は今度所謂股旅物の映畫流行唄を始め、あまり情痴的のものやセンチメンタルなものに制限を加へるさうである。その理由は色々あるだらうが、つまりこの非常時に際して國民精神總動員の士氣を鼓舞し、民心を颯爽たるヒロイズムに導く爲に、之れと反するやうなものを控へるのであらう。しかしさうなつて來ると、在來の傳統的な日本歌謠、特に三味線音樂的の物は、町のレコード小唄と共に概ね制限されねばならない。そして代りに、否でも西洋音樂が專制的に採用される。なぜなら在來の日本音樂は、情痴的に非ずば感傷的であり、一も士氣を鼓舞する如き颯爽たるものがないからである。(その原因は、日本が島國に鎖國して、外敵の侵略を受けず、長く平和で居たからである。)
 この一例を見ても解る如く、世界戰場に進出した今日、現代の日本主義は表面或る點で傳統に反逆し、或る程度まで舊國粹的なるものを揚棄することによつて、逆に國粹日本主義を止揚する立場にある。ヘーゲル流の辨證論的パラドツクスは、今日現代の日本が避けがたいヂレンマである。それ故に政府當局者は、一方で女の洋裝やパーマネントを毛嫌ひしながら、一方では活動に便利な洋服的ユニホームを銃後の日本女性に求め、一方で國粹傳統主義を稱へながら、一方で股旅式の義理人情を排斥したり、洋樂の行進曲を宣傳してゐる。そしてしかもこのヂレンマは、日本の正しい世界的地位を自覺してゐる者にとつて、何の矛盾でもないのである。かつて日露戰爭の時、「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど浪風の立ち騷ぐらむ」と詠まれた明治大帝の御製に對し、畏れ多くもこれを不合理の自家撞着だと評した外國人の記者があつたが、今日、日本の世界的使命を知り、倂せて自己の立場を自覺してゐる僕等にとつては、この明治大帝の御歌が、そのヂレンマの深遠の哲理を知る故に、却つていよいよ哀切深く、悲壯美の幽玄なリリシズムとして感じられるのである。

[やぶちゃん注:『新日本』第一巻第三号・昭和一三(一九三八)年三月号に所載された。この七ヶ月前の昭和一二(一九三七)年七月に盧溝橋事件に端を発した支那事変(現在は日中戦争と呼称する場合が多い。両国が宣戦布告を行なっていないことから当時の日本政府は「事変」と公称した)。この非常に面白い文章(私は読みながらゲリラ戦の多様にして奇抜な奇襲法を何故か思い出していた)を読むと、「詩人」という存在が全体主義国家の中で生存するための「生物学的戦略」(萩原朔太郎自身の顕在的意志の中には必ずしもそれが企まれたものとして意識されていたとは実は私は全く以って思ってはいない)ということを考えた。]

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