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2013/06/19

ブログ・カテゴリ「中島敦」創始 / 夢歌群十二首

 ブログ・カテゴリ「中島敦」を創始する。既にある中島敦漢詩全集」などと有機的に絡み合わせて、中島敦の精神世界を垣間見る便(よすが)としたい。まずは彼の短歌群を電子化する。底本は筑摩書房昭和五七(一九八二)年増補版「中島敦全集」を使用した。

 短歌群(底本の「歌稿 その他」パート)はブログではランダムに公開するが、将来的には底本に掲載されたような編年整序する予定である。

 因みに、これらの短歌群や、彼の漢詩の多くは昭和一一(一九三六)年から翌昭和一二年に創作されたものらしい。当時の敦は満二十七~二十八歳で、私立横浜高等女学校教員3~4年目、昭和一一年八月八日から三十一日までは中国各地を旅している(その間に歌稿「朱塔」を書き上げている)。昭和一二年一月十一日に長女正子が生まれるが、三日後の十三日に死亡している(手帳日記による。底本年譜では十三日出生とするが、従わない)。同年十一月から十二月にかけて「和歌五百首」を成したと底本年譜にある(但し、底本歌稿には「和歌五百首」という呼称のものはない。この歌稿のほぼ全体を含むものの謂いか? この問題を含め、底本解題等の語り口が重くはっきりしないのは、実はこれら歌稿や漢詩その他の原本資料が、何と第一次全集刊行以後、行方不明(?!)のままであることに起因しているようだ。今もこれら多量の中島敦詩歌自筆稿が何処か誰かの筐底に忘れられたままにしまい置かれているのである)。

夢歌群十二首

[やぶちゃん注:底本ではこの十二首は連続して掲載されている。]

    夢

何者か我に命じぬ割り切れぬ數を無限に割りつゞけよと

無限なる循環小數いでてきぬ割れども盡きず恐しきまで

無限なる空間を墮(お)ちて行きにけり割り切れぬ數の呪を負ひて

我が聾に驚き覺めぬ冬の夜のネルの寢衣(ねまき)に汗のつめたさ

無限てふことの恐(かし)こさ夢さめてなほ暫(しま)らくを心慄へゐる

この夢は幼き時ゆいくたびかうなされし夢恐しき夢

今思(も)へば夢の中にてこの夢を馴染(なじみ)の夢と知れりし如し

ニイチェもかゝる夢見て思ひ得しかツァラツストラが永劫囘歸

むかしわれ翅(はね)をもぎける蟋蟀(こほろぎ)が夢に來りぬ人の言葉(くち)きゝて

何故(なにゆゑ)か生理にされ叫べども喚(わめ)けど呼べど人は來らず

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