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2013/06/04

大橋左狂「現在の鎌倉」 10 附:「こゝろ」の「先生」の別荘の貸家料の推定

    現在の賃貸家貸間料

 鎌倉は世界の遊園地として其名海外各國にまで知られ、年々歳々歐米諸國人より成る日本觀光團の此地に遊覽するもの尠なからず、且つ常時外人が間斷なく此地の風光を賞して滯在するものも多く、殊に夏季三伏の期に迫れば、此地に避暑するもの内外人を問はず、實に萬以上に數へられるのである。滯在避暑客が已に此の如くである故、一日歸りの遊覽客は此夏期に於ては平均一日一萬強に數へられるのである。
[やぶちゃん注:因みに単純に平成二三(二〇一一)年の鎌倉への入込観光客数数推計表七・八・九月の総数三、三六四、九四八人を九二日で割ると、
 一日平均  三六、五七五人
となる。これは当時の数値が逆に驚異的であったことを物語っている。]
 鎌倉は夏涼しく冬暖かなるが故に、避暑避寒客も隨て多いのである事は今更論を俟たないのである。鎌倉の地を踏むだ人は、誰れも第一番に一驚を喫するのは、此地の東西南北を問はず到る處に、いとも靜然として吾妻造りに建てられた淸洒たる別莊の數多きを見るのである。人は云ふ鎌倉は風光の鎌倉であるか、古跡の鎌倉であるか、將た又別莊の鎌倉であるかと奇問を發したと云ふ事も又さもあるべき筈である。現代朝野の貴顯紳商が紅塵萬丈の地を避けて、此地の別莊に來り靜居する。白己所有の別莊は四首餘戸あるが、玆には自己の所有別莊ではなく、一時的靜養又は避暑する人の爲めに建てられた、貸別莊の數は記載して其貸家料の標準を案内せんとするのである。
[やぶちゃん注:最後の一文中の「數は」の「は」はママ。]
 鎌倉の貸家數は年々歳々増加するのである。今四十四年十二月盡日に於ける貸家貸間數を調査するに左の通りである。
[やぶちゃん注:底本では次の二行は二段組一行。]
  貸  家  四石二十二戸
  貸  間  百九十六戸(此の間數千三十三あり)
 此貸家と稱するのは中以上の生活者の貸家にて俗に貸別莊と稱する部分である。此貸別莊の外に自分持ちの別莊數は約四百戸もある故に、鎌倉の別莊數は八有餘戸に數へらるゝのである。眞に湘南第一の別莊地である。
 貸家料 鎌倉に多くの貸別莊のある事は前記の通りであるが、今玆には其貸家料即ち家賃を記載して世の避暑避寒客の便に供せんとするのである。元より玆に記載した貸家料は鎌倉一般の標準額である。勿論海岸と山手或は十三字の各位置に依りても多少の相違がある。又は建物の新舊程度にも關係して家代の上下は免かれないのである。例令ば避暑客に對しては海岸の貸家が早く塞がり、避寒客に對しては山手の貸家が自然需要者が多いと云ふ傾きがある故に玆に案内する貸家料は只單に一般に通じた標準額を記したのである。先づ貸家としては三間四間五間乃至十六間等種々であるが、一般多くの避暑避寒客の常用するのは五間乃至八間のものである。又此程度の貸家は一番に需要者が多い。
 鎌倉の貸家として玆に三疊、八疊、六疊、四疊半、六疊の五間數あるとせば、位置等に依りて相當の庭園が付いて居る。鎌倉の家賃は常住相場、夏期相場の二種に分れて居るのである。常住とは先づ一年位は繼續して居るだらうと家主の眼金に入りたるもの、夏期とは一時的夏場所即ち七月八月の兩月か又は八、九の二ケ月位借家する者に定められてある。
 前記五間の常住相場は十圓乃至十五、六圓である。而して夏期相場とせば約ニケ月として四十五圓乃至八十圓位が標準である。要するに夏期に至れば供給者より需要者の多い結果であらうと信ずるのである。故に多少の資産あるものは貸別莊よりは地に建設するのである。年々歳々別莊の建築數が増率を示すのも偶然ではない。夏期相場は常住相場に比して、三倍以上の上値を示して居る。即ち夏期相場は常住相場の半年分を二ケ月に掛けるものである。
 尚ほ二階建七間位の程度にて三十圓乃至五十圓位のものもある。和洋折衷の宏壯なるもので貸家料百圓以上のものもある。兎に角鎌倉貸家の常住相場としては疊一疊五十錢内外が程度である。夏期相場としては一疊一圓乃至二圓五十錢に騰るのである。現に片瀨・腰越附近の貸家貸間は夏期に至れば各室雜居の有樣で非常に混雜するのである。而して疊一枚が一圓二十錢平均になるそうである。而し常住貸家料は矢張り鎌倉に準じて稍々安價である。
[やぶちゃん注:「こゝろ」の先生が借りていたのは『私は其晩先生の宿を尋ねた。宿と云つても普通の旅館と違つて、廣い寺の境内にある別莊のやうな建物(たてもの)であつた。其處に住んでゐる人の先生の家族でない事も解つた』とあることから、独立したコテージ風の別荘ではあるが、そんなに高そうには見えない(「其處に住んでゐる人」というのは、私は一種の管理人兼下男女中ということと解している)。「先生」の避暑期間をせいぜい十日とすると(そんなに長い間、東京に「靜」を一人おいておくとは私には思われない)、ここにある五間の夏期相場の最低額の約ニヶ月「四十五圓」を日割にして計算すると七十五銭になるから、十日賃貸で凡そ七円二十五銭、一円を現在の高い方の換算で二五〇〇円とすれば、この賃貸料(下男女中の雇賃と食費は別)は約一万八千円ほどになる。何となく私は腑に落ちる値段であるが、如何であろう。「こゝろ」でははっきりと『別莊のやうな建物』と言っており、次の貸間という解釈はしなかったことをここに述べておく。万一、そうであった場合でも十日分ならば、四円(約一万円)程度かと思われる。なお、「私」の宿はもっと簡素な廉価のものであったろうことは言うまでもない。]
 貸間料は貸家料の割合に比して稍々高値を示して居る。即ち六疊間四圓のものも夏期に至れば六圓乃至八圓となり、八疊間五、六圓のものも夏期に至りて八圓乃至十二、三圓となるのである。鎌倉の家主連は常に語つて言ふのである、鎌倉は避暑客の入込むのは湘南第一である割合に物價や家賃は高價を示してないと。著者は此處二、三年間鎌倉に生活して種々なる方面より觀察して鎌倉の家賃は安い事はないと斷言するのである。玆には啻に未知の避暑避寒客に對して現在鎌倉に行はれつゝある、家賃間代の標準額を案内して聊か參考に供したのである。
[やぶちゃん注:「啻に」は「ただに」と訓ずる。限定の意である。]

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