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2013/06/25

芥川龍之介「河童」決定稿原稿 十二

■原稿120(121)

       〈《九》→十〉*十二*

 

[やぶちゃん注:「十二」は5字下げ。本文は2行目から。

●この原稿には右罫外上方から14マスほどまで赤インクで、

 改造 三月号 芥川川氏つゞき

と大書してある(かなり滲んでおり、「つゞき」の周囲にはかなりの赤インクによる汚損がある)。また、「十二」に右には普通の鉛筆書きで、

 5で

とある。活字ポイントの校正指示のように見える。更に、この原稿ではナンバリングの直下に手書きの「121」が書かれているが、それはこれまでの黒鉛筆ではなく、青鉛筆による手書きで、これ以降の手書き番号もその青鉛筆によっている。ただ特異なのは、その右手、8行目罫外上方に、

 よ印120

と赤鉛筆で記されている点と、ナンバリング「120」の右肩に赤インクで、

 ך

大型のチェック(?)が入っている点である。]

 

 或割り合に寒い午後です。僕は〈《あ》→《余り退屈で》〉*「阿呆の言葉」も讀み*

〔飽きま〕したから、哲学者のマツグを尋ねに出かけま

した。すると或〔寂しい〕町の角に〈背〉蚊のやうに瘦せた河

童が一匹、ぼんやり壁によりかかつ〈て〉**ゐま

した。しかもそれは紛れもない、いつか僕の

〈銀時計〉*萬年筆*を盜んで行つた河童なのです。僕はし

めたと思ひましたから、〈早速〉*丁度*そこへ通りかか

つた、逞しい巡査を呼びとめました。

 「ちよつとあの河童を取り調べて下さい。あ

 

■原稿121(122)

の河童は丁度一月ばかり前にわたしの〈銀時計〉*萬年筆*

を盜んだのですから。」

 巡査は右手の棒をあげ、(〈河童〉*この國*の巡査は劍

の代りに水松の棒を持つてゐるのです。)〈「〉**

い、〈こら〉**」とその河童へ聲をかけました。〈その〉*僕は*

或はその河童〈が〉**逃げ出しはしないかと思つて

ゐました。が、存外落ち着き拂つて巡査の前

へ歩み寄りました。のみならず腕を組んだま

ま、〈《如何にも傲然》→巡査の顏や僕の〉*如何にも傲然と僕の顏や巡査の顏*をじろじろ見〈比べ〉てゐるのです。しかし巡査は怒りもせず、〈叮嚀に〉*腹の袋*

 

■原稿122(123)

から手帳を出して〈叮〉早速尋問にとりかかりまし

た。

 「〈君〉*お前*の名は?」

 「グルツク?」

 「職業は?」

 「つひ二三日前までは郵便配達夫をしてゐま

した。」

 「よろしい。そこで〈■〉**の人の申し立てによれ

ば、君はこの〈時〉**〈銀時計〉*萬年筆*を盜んで行つたと

云ふことだがね。」

[やぶちゃん注:「グルツク?」の「?」はママ。初出及び現行では、

 「グルツク。」

である。]

 

■原稿123(124)

 「ええ、一月ばかり前に盜みました。」

 「何の爲に?」

 「子供の玩具にしようと思つたのです。」

 「その子供は?」

 巡査は始めて相手の河童へ鋭い目を注ぎま

した。

 「一週間前に死んでしまひました。」

 「死亡證明書を持つてゐるかね?」

 瘦せた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出

しました。巡査はその紙へ目を通すと、急に

 

■原稿124(125)

にやにや笑ひながら、相手の肩を叩きました。

 「よろしい。どうも御苦勞だつたね。」

 僕は呆氣にとられたまま、巡査の顏を〈■〉**

てゐました。〔しかも〕そのうちに〈もう〉瘦せた河童は何

かぶつぶつ呟きながら、僕等〈を〉**後ろに〔して〕行つて

しまふのです。僕はやつと気をとり直し、か

う巡査に尋ねて見ました。

 「どうしてあの河童を摑まへない〈ん〉**です?」

 「あの河〈■〉**は無罪ですよ。」

 「しかし僕の〈銀時計〉*萬年筆*を盜んだのは………」

 

■原稿125(126)

 「子供の玩具にする爲だつたのでせう。〔〈しかも〉*けれども*〕その

子供は〈もう〉死んでゐるのです。若し何か御不

審だつたら、刑法千二百八十五條をお調べな

さい。」

 巡査はかう言〈つ〉**すてたなり、さつさとどこ

かへ行つてしまひました。〈僕は〉*僕は*仕かたがあり

ませんから、「刑法千二百八十五條」を〈繰り返し〉口の中に

繰り返し、マツグの家へ急いで行(い)きま〔し〕た。哲

学者のマツグは〈不相変古色の色硝子のランタ〉*客好きです。現にけふも薄暗*

い部屋には裁判官のペツプ〈だの〉**医者のチヤツク

 

■原稿126(127)

や硝子会社の社〈会〉長のゲエルなどが集り、〈例

の〉*七色の*色硝子のランタアンの下に煙草の煙を立

ち昇らせてゐました。〈僕は〉そこに裁判官のペツプ

が來〈た〉てゐたのは何よりも僕には好都合〔で〕す。僕

は椅子にかけるが早いか、〈早速にペツプに〉*刑法千二百八*

五條を檢べる代りに早速ペツプへ問ひかけま

した。

 「ペツプ君、甚だ失礼ですが〔ね〕、この国では罪

人を罰しないのですか?」

 ペツプは金口の煙草の煙を〈悠々〉まづ悠々と吹き

[やぶちゃん注:

●「甚だ失礼ですが〔ね〕、」初出及び現行は、この「ね」の挿入を無視して、

 甚だ失礼ですが、

となっている。]

 

■原稿127(128)

〔上〕げ〈た後〉*てから*〈つ〉如何にもつまらなさうに返事をしま

した。

 「罰しますとも。死刑さへ〈あ〉*行はれ*る位ですからね。」

 「しかし僕は一月ばかり前に、………」

 僕は委細を話した後、〔例の〕刑法千二百八十五條

のことを尋ねて見ました。

 「ふむ、それはかう云ふのです。〈■〉―――『如何な

る〔犯〕罪を〈犯し〉*行ひ*たりと雖も、〈その〉*該犯*罪を〈《行せるに至り

し》→行ひたるに〉*行はしめたる*〔相当の〕事情の消失したる後は該犯罪者を〈罰〉處罰す

ることを得ず』つまりあなたの場合〈で〉**言へ

[やぶちゃん注:

●「それはかう云ふのです。〈■〉」「す。」の句点は特に後から書いたようには見えない(インクの色から)から、この直下の抹消は字でない可能性が高い。芥川は句点を最終字と同じマスに打ち、その下のマスを空ける癖があるから、ここに字は書かないのである。ダッシュを引こうとしてペンがやや左寄りに入ってしまい、しかもそこで止めたペン先が右上へ少し跳ね上がってしまったため、抹消して仕切り直しのダッシュを引いたのではなかろうか。

●『如何なる〔犯〕罪を〈犯し〉*行ひ*たりと雖も、〈その〉*該犯*罪を〈《行せるに至り

し》→行ひたるに〉*行はしめたる*〔相当の〕事情の消失したる後は該犯罪者を〈罰〉處罰することを得ず』という刑法1285条の成文過程を見よう。当初のそれは、

 『如何なる罪を犯したりと雖も、その罪を行せるに至りし事情の消失したる後は該犯罪者を罰することを得ず』

であった。それを、

 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行ひたるに至りし事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』

としいった感じに直し、最終的に、

 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる相当の事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』

と成文している。ところが実は、初出及び現行の刑法1285条は、

 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』

なのである。即ち、芥川がわざわざ挿入指示をしてある「相当の」が脱落しているのである。これは実は旧全集後記の異同でも指摘はされているのである。が、しかし旧全集編集者は遂に初出を採って、現在まで河童国刑法1285条はこの誤りのままなのである。私にはその初出表現の採択理由の正統性が全く分からない。私はこの河童国刑法条文の誤りを今こそ正すべき時がきたと思っている。再度正字で示す。

 『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる相當の事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』

これこそが正しい「河童國刑法千二百八十五條」である!]

 

■原稿128(129)

ば、その河童は嘗〈て〉**は親だつたのですが、今

は〔もう〕親ではありませんから、犯罪も自然と消滅

するのです。」

 「それはどうも不合理ですね。」

 「常談を言つてはいけません。〈我々は刻々

変〉だつた河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理で

す。さうさう、日本の法律では同一に見るこ

とになつてゐるのですね。それはどうも我々

には滑稽です。ふふふふふ〈」〉、ふふふふふ。」

 ペツプは卷煙草を抛り出しながら、気のな

[やぶちゃん注:太字「だつた」及び「である」は底本では傍点「ヽ」。]

 

■原稿129(130)

い薄笑ひを洩らしてゐました。そこへ口を出

したのは法律には緣の遠い〈ヤ〉**

ヤツクです。チヤツクはちよつと鼻眼〈鏡〉金を直し、〈「日本に〉*かう僕*〈尋

ねました〉*質問しました*

 「日本にも死刑〔は〕ありますか?」

 「ありますとも。日本では絞罪です。」

 僕は〈如何〉冷然と構えこんだペツプに多少〈の〉反感

〈持つ〉*感じ*てゐましたから、この機會に〈早速〉皮肉を浴

せてやりました。

 「この国の死刑は日本よりも文明的に出來て

 

■原稿130(131)

ゐるでせうね?」

 「それは勿論文明的です。」

 ペツプはやはり落ち着いてゐました。

 「この国では絞罪などは用ひません。〈大抵〉*稀に*

電気を用ひ〈《ます》→てゐ〉ることもあります。しかし大抵は

電気も用ひません。唯その犯罪の名を言つて

聞かせるだけです。」

 「それ〔だけ〕で河童は死ぬのですか?」

 「死にますとも。我々河童の神經作用はあな

たがたのよりも微妙ですからね。」

 

■原稿131(132)

 「〈さう〉*それ*は死刑ばかりではありません〈。〉よ。殺人

にもその手を使ふの〈です〉*があ*ります。―――」

 社長のゲエルは色硝子の光に顏中紫に染ま

りながら、人懷(な)つこい笑顏(ゑがほ)をして見せました。

 「わ〈し〉たしはこの間〉**も或社會主義者に『貴樣は

〈泥坊〉*盜人(ぬすびと)*だ』と言はれた爲に〈もう少しで息が〉*心臟痲痺を起し*かかつ

たものです。」

 「それは案外多いやうですね。わたしの知つ

てゐた或〈《画家》→小説家〉辯護士などは〈その男〉*やはり*その爲に死んで

しまつたのですからね。」

[やぶちゃん注:2箇所の現行と違う問題点がある。

●「〈さう〉*それ*は死刑ばかりではありません〈。〉よ。」この「よ」は、芥川がわざわざ前の句点を抹消して推敲した結果

それは死刑ばかりではありませんよ。

としたのである。にも拘らず、初出及び現行は、

 それは死刑ばかりではありません。

である。ゲラ校正でまたも芥川が「よ」を削除指示したとは、私には思われないのである、これは校正ミスである可能性がすこぶる大きいと私は考えている。

●「染まりながら、」は初出及び現行は、

 染(そま)りながら、

である。これは校正ミスと断じてよいと私には思われるのである。]

 

■原稿132(133)

 僕はかう口を入れた河童、―――哲學者の〈ゲエル〉*

ツグ*をふりかへりました。マツグはやはりい

つものやうに皮肉な微笑を浮かべたまま、〈僕〉**

の顏も見ずにしやべつてゐるのです。

 「その〈男は〉*河童は*誰かに蛙だと言はれ、―――勿論

あなたも御承知でせう、この国で蛙〈と〉だと言

〈《る位甚しい侮辱のないこと》→るのは人非人の意味と云ふこと〉*れるのは人非人と云ふ意味になること位*は。―――

〈■〉**は蛙かな? 蛙ではないかな?と毎日考へ

てゐるうちにとうとう死んでしまつたもので

す。」

 

■原稿133(134)

 「それはつまり自殺ですね。」

 「〈ええ、つまり自殺〉*尤もその河童を蛙*だと言つたやつは殺すつ

もりで言つたのですがね。〈やはり〉あなたがたの〈国〉**

ら見れば、やはり〈自殺〉それも自殺と云ふ………」

 丁度マツグがかう云つた時です。突然その

部屋の壁の向うに、―――確かに詩人のトツク

の家に鋭いピストルの音が一発、〈何?〉空気〈の〉**〈■〉**

ね返へすやうに響き渡りました。

[やぶちゃん注:以下、2行余白。

●「空気〈の〉**〈■〉**」の判読不能字は漢字で「勹」まで書いて抹消している。何と書こうとしたのか? 「空気の」に続くのであるが、想起出来ない。判読及び推定の出来た方は是非、御一報あれかし。]

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