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2013/07/30

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 20 祭文語り



M185
図―185

 

 私の頭は大きな貝を共鳴器として使用する歌い手、或は話し家に関係する騒音と新奇さとで、ガンガンする程である。彼の写生図(図185)は割によく似ている。彼は学生達の招きに応じて、往来の向うから、私の部屋へ入って来た。学生達は、私がこの男の立てつつある音に興味を感じたのに気がついて、呼んだのである。彼は低い、机に似た将棋盤の前に坐って恐ろしく陰気な音で吹き続けた。その音は、犢(こうし)の啼くのを真似したら出来そうであるが、然し調子には規則正しい連続があり、私にはそれが明かに判った。時に彼は咳をしては声を張り上げ、息を吸い込む時には、悲哀のドン底に沈んでいる人みたいな音を立てた。貝殻をプープーやると同時に、彼は片手に、木の柄に何かの金属をつけて作った、奇妙なガランガランいう一種の鳴鐘器を持っていた。この金属の一端は半インチ足らず前後に動いて、カランカランと弱々しい音を立てた。しばらくこのような音を立てた上で、彼は喇叭(ラッパ)を下に置き、歌を唄ったのと同じ調子で吟誦し、徐々に談話に移って行ったが、それにも時々歌と、それから貝殻が出す憂鬱な音とが入り込んだ。日本の学生達は彼の談話のある所々で、笑いを爆発させた。私は彼の貝殻、小さな木のかたまり、及び彼がビシャツと机を叩いて話に勢をつける扇形の木箆(へら)を更によく見ようと思ったので、彼のこの演技に対して十セント支払った。すると彼は私がこれ等の物品に興味を持っていることを知り、お礼がいいのを有難く思って、私に木片と、例の叩く物とを呉れた。図186は話し家の道具の一つを示している。

 



M186
図―186

 

[やぶちゃん注:これは「祭文語り」「祭文読み」の末裔である。祭文語りはもとは地方遍歴の山伏などが祈禱の際に、法螺貝や錫杖などを鳴らして祭文を語って、門付して歩いたものをいうが、これが大衆に迎えられて芸能化し、江戸の初期には、遊里などで法螺貝の代わりに三味線を伴奏に流行歌謡や浄瑠璃を取り入れた人情物(歌祭文)を語る芸人と化した。そうした義大夫節・豊後節の諸浄瑠璃から江戸長唄に取り入れられて残ったのが「歌祭文」となり、内容が極端に卑俗化したものが「ちょぼくれ節」とになって分れた。「貝祭文」とか「でろれん祭文」と称したが、「でろれん」は法螺貝は口に当てるだけで吹かず、客の方がその擬音である「でろれん!」の合いの手を入れたことによる。参照した三谷一馬「江戸商売図絵」(一九九五年刊中公文庫版)によれば、法螺貝を吹き鳴らした(若しくは吹く真似をした)後に『錫杖を握ってガチガチと調子を合わせて歌い出』『すが、発声に「ヘェー」といってから文句にかかる』のが特徴であったとある。浪曲の源流ともいわれる。

「図186」は張扇である。以下、今の「ハリセン」の正統なルーツは知らなかったので、以下に参照したウィキ扇」から、引用しておく。張扇(はりおうぎ・はりせん)は『能楽や講談、落語(上方落語)においてものをたたいて音を立てるためにつくられた専用の扇子のことをいう。能楽では「はりおうぎ」、講談では「はりせん」ということが多い』。『古く雅楽において笏によって拍子をとる笏拍子なる役掌が見られ、古浄瑠璃にも同様の扇拍子と呼ばれるものがあったことを見てもわかるように、拍子楽器として近世以前の日本でもっとも広くかつ簡便に用いられたのは、手に持つ道具によって手のひらを打つことであった。近世以降、鼓を中心とする打楽器の飛躍的な発達と流布によって扇拍子は徐々に下火になっていったが、その簡便さから専用の張扇によって扇拍子の残った例も少なくない』『能楽では、アシライと称して、稽古や申合せの際に、小鼓・大鼓・太鼓を扇拍子で間に合わせることがある。これはあくまで略式の演奏であるとされるが、特に大鼓のように道具の準備に時間のかかる楽器においてはすぐれた代替法として用いられており、音色よりも間を尊重する能楽の楽器にあっては当を得た奏法であるといえる。それぞれ専門の職掌の者が行うほかに、謡の稽古の際に師匠がアシライをすることもある。なお、張扇を用いることはないが、舞台上で鼓が破れた場合には扇拍子でアシライを打つのが正規の代替法であり、江戸期までは素謡の席で地頭が扇拍子をとって地を統率することもあった』。『講談では釈台を張扇で叩いて、場面転換の合図にしたり、山場で調子を出したりするときに用いる。上方落語における用法もだいたいはこれに準じているといえる。史実を無視した荒唐無稽な作り話を「張扇の音と一緒に叩き出した」「張扇の音がする」などというのは、このため』である。能楽の扇拍子は、『通常の扇子を二つに割り、全体に紙を巻き、さらに上から皮もしくは紙で化粧貼りをした上で、要のあたりに持手をつける。二本一対で用い、欅製などの拍子板を打つ』。講談などの張扇は『だいたいは能楽のそれと同様だが、最初から張扇専用に、かなり大き目のものをつくる。場合によっては、単に扇のかたちをしているだけで、紙貼などによって型で作ることもある。基本的に一本で使用し、釈台や見台を叩』いて使用する、とある。]

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