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2013/07/07

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 14

[やぶちゃん注:使用フォントの関係で明朝で示す。]


M134

図―134


M135

図―135

 私の部屋の向うに、この家の一角が見える。そこには日本人の学生が四人で一部屋を占領していて、朝は寛かなキモノを着て一生懸命に勉強しているが、方を説明する為に、私の部畳へ来た。午後太陽がカンカン照る時には、裸になって将棊やゴをして遊ぶ。どちらも非常にむずかしい遊びである。彼等はよく笑う、気持のいい連中であって、午前中の会話を開くとドイツ語を学んでいることが判る。一人が「私は明日父に逢いにロンドンへ行く」というと、もう一人がそれをドイツ語に訳していう。このようにして彼等の部屋からは日本語、ドイツ語、英語がこんがらかって聞え、時々フランス語で何かいい、間違えるといい気持そうな笑い声を立てる。彼等の英語は実にしっかりしていて、私には全部判る。

 昨夜学生達の二人が、私の依頼に応じて碁のやり方を説明する為に、私の部屋へ来た。この遊技は元来支那から来たのであるが、今は日本人の方が支那人より上手にやる。熟練した打ち手の間にあっては、一勝負に数日を要し、一つの手に一時間かかることもある。盤は高さ八インチの低い卓子(テーブル)で、四本の丈夫な脚が厚い木の板を支えている(図134)。これは我々のチェッカー盤みたいに、四角にしきってあるが、チェッカー盤に比較すると、四角はより小さく、また濃淡に塗りわけてもなく、おまけにその数は十九に十九で三百六十一ある。棋子(チェッカース)に相当するものはボタンに似た平たい円盤で、黒い石と白い貝殻とから作られ、四角の上に置かずに線の交叉点に置く。打ち手の一人が先ず盤上の好きな点にこの円盤を置いて勝負を始めるが、目的は敵の円盤を、円盤の連続線で包囲して了うにある。一方がこれに成功すると、包囲された円盤は分捕りになり(図135)、そして勝負の終りに四角の数を数える。合戦は碁盤のいたる所で行われる。有名な打ち手には階級がある。第一階級の打ち手は第二級の打ち手に対して、最初一個の代りに二個の円盤を置く権利を与える。恐らく第三級の打ち手は、三個置く権利を持つのであろう。各人二人が、極めて僅かな円盤を碁盤の上に置いて、勝負しているのを見ると、中々奇妙である。長い間状態を研究したあげく、他の石から十数こまも離れた場所や、右手や隅のとんでもない所その他に、石を置いたりするが、その理由は只名人のみがこれを知るので、それに応じて打つ相手方の手も、また同様に憶測出来ぬようなものである。碁を打つ時、彼等は必ず人差指と中指(中指を人差指の上に重ねる)とで円盤をつまみ上げる。碁は最も玄妙な遊技で、これに通達しているが外国人はすくない。コーシェルト氏はこの遊技に関するする一文を書き、八十四枚の挿絵を入れてドイツ・アジア協会の会報に提出した。

[やぶちゃん注:「将棊」は将棋。但し、原文は“chess”である。直後の碁は“go”とイタリックで書かれている。

「八インチ」約20センチメートル。
「コーシェルト氏」明治初期の農商務省お雇いの化学技術者Oskar Korschelt(オスカー・コルシェルト 一八五三年~一九四〇年)。ドイツ生。ドレスデン工芸学校・ベルリン大学で化学を修め、モース来日の前年に当たる明治九(一八七六)年に来日、東京大学医学部製薬科教師兼医学予備門教授となった。一二年十一月からは農商務省地質調査所の分析係長として一七年まで在職。その間に土・岩石・鉱物以外にも窯業・セメント・鉱業・鉱泉などの調査分析を手掛け、さらに酒・漆などの広範多岐の分野で業績を挙げた。明治一三年には兵庫県に落下した「竹ノ内隕石」(日本で最初に科学的に確認された隕石)の鑑定も行っている。しかし業績中最大のものは塩業にあり、ヨーロッパ科学者の眼をもって日本塩業の実態を調査した上、技術から経営にわたる改善策をまとめた「日本海塩製造論」(一八八三年)は、その後の本邦の塩業の発展に大きな影響を与えた。また滞日中に碁を覚え、外国人としては一番の達人と称された。帰国後、ドイツで碁の紹介普及に努めたといわれる(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠ったが、没年が不祥とあるため、英語版ウィキOskar Korscheltで確認した)。]

 

M136
図―136

 学生達は私のために、親切にも一勝負やって見せて呉れた。私の方に時間がなかったため、これは急いでやった。一方が七十一個の四角を、他は八十四個の四角を得た。この遊技には私に理解出来なかった点も若干ある。
 同じ碁盤を使ってやる遊技がもう一つある。これは至って簡単で、我国の人々にも面白かろうと思われる。即ち円盤五個を一列にならべようとするのである。これは簡単な遊技ではあるが、人によって上手さに非常な差がある。私は学生達と数回やって見たが、いつでも僅かな石で負かされて了った。次に彼等がやると百個以上の円盤を使用した。若し一方が四個並ぶ線が二本ある状況をつくり上げれば、勝ちになる。相手はその一つをしか止めることが出来ないからである。図136はかかる位置を現わしている。AとBとはここにいう二つの線で、相手はその一本しか止めることが出来ない。碁の勝負と同じく盤上で各様の争点を開始することもある。

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