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2013/07/05

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 12 唐紙の意匠の同定について、どなたか是非ご協力をお願い申し上げる!

M130
[やぶちゃん注:以下、フォントの関係上、今回は明朝で示す。]

図―130
M131

図―131

 私は非常に興味を以て壁紙の模様を見た。私が今迄に見たのは平民階級の住宅ので、我国の安い壁紙同様に貧弱極るものであるが、只一つ、我国のよりも優れた点がある。それは決してケバケバしい色彩が使ってないことで、大体に於て薄い色をつけた地紋に、白くて光る模様を置いた丈である。模様は我我のとは全然違う。そしてくるくる巻いては無く、長さ一フィート半の細長い紙片になっている。一部屋で違う紙が何枚か見られることもある。私が写したのには五種類あった。一種は天井一種は壁の上部と部屋の二側、他は、辷る衝立に張ってあった。これは決してよくはなかった。誰かがこの部畳を所謂欧米風にしようとした結果、みじめにも失敗したのである。ある模様には菱形と形式的な花とで充たした不規則な区域があり、その外に燕と蝶と蛾とがあった。図130には Paulownia と呼ぶ水生植物の絵がある。これは徳川家の紋章に描出してある。また撫子、昼顔、葡萄、蔓草等を、雲形の輪郭にゴチャゴチャに入れたものや、小舎に入った兎もある。更にもう一つは川の早瀬を薪を積んだ、而も舟頭のいない舟が流れている所を示しているが、これには何か意味があるのだろう。これ等の模様は錦襴から模写したそうである。私はこれ等が最も目立たぬ点に興味を感じた。紙を余程丁寧に調べないと判らぬ位である。往来を越して見た家の襖は、竹の子の外皮を混じた紙ではってあった。これは松の木の内皮を細かく切った物のように見えたが、非常に濃い褐色で、実に効果的であった(図131)。又、紙をつくる時、繊維紙料に緑色の、糸みたいな海藻を入れることもあるが、これも見た目には非常に美しい。

[やぶちゃん注:「一フィート半」凡そ45センチメートル強。

「辷る衝立」“sliding screens”「すべるついたて」とは、言わずもがなであるが、襖のことである。

「私が写したのには五種類あった」図―130の4種と図―131の1種の謂いと採る。図―130から見る。

 この一番上の意匠が、後文で「菱形と形式的な花とで充たした不規則な区域があり、その外に燕と蝶と蛾とがあった。図130には Paulownia と呼ぶ水生植物の絵がある。これは徳川家の紋章に描出してある」と説明されているもので(但し、後述するようにこの表現には誤りが多い)、右下部に「菱形」があるが、これは小さな菱形複数集まって大きな菱形を形成しているように見える。これはかなり濃い色でネット上で見ると虎屋菱と呼ばれた古い唐紙模様に似ているように思われる(リンク先は京和紙・京唐紙を販売する株式会社山崎商店の「商品詳細見本」ページにあるもの)。「不規則な区域」とはこの点線の部分で恐らくは雲形であろう(中が抜けて桐の花と下部の菱形が覗く)。雲の抜けた中央の左上部呼び菱形左上部に一部が隠れた「形式的な花」「Paulownia と呼ぶ」「植物の絵」とモースが表現する五七の桐紋らしきものが描かれ、また、雲形の手前下部にはまさに空中を飛翔する「燕と蝶と蛾」らしきものが複数描かれている。さて原文ではこの「水生植物」の部分は“a water plant known as Paulownia”となっているが、この“a water plant”は水草の類を指す語でキリは湿地性植物でさえないから誤りである(「Paulownia」については別注する)。何故、彼がこういう誤り(学名まで出している以上、相当な自身を以って記載している、というより学術的なレベルで記す意志が強く見受けられるのに)をしたのか、私には不審である。識者の御教授を乞いたい。また、言わずもがなであるが、桐紋は足利幕府で小判などの貨幣に刻印されて以来、『皇室や足利幕府や豊臣政府など様々な政府が用いており、現在では日本国政府の紋章として用いられている』が、徳川の紋ではない。モースは桐紋の下部の葉の形象部分と葵紋のそれと誤認したものと思われる。

 上から二番目は典型的な双葉葵の唐紙模様である(山崎商店の商品見本の「双葉葵」の画像及びKiso Nagano 氏のブログ「quiet days」の「双葉葵の唐紙」にある名古屋池下の古川為三郎記念館に展示されていた二葉葵の紋の画像を参照)。

 三番目は「撫子、昼顔、葡萄、蔓草等を、雲形の輪郭にゴチャゴチャに入れたものや、小舎に入った兎もある」という唐紙である。よく見て戴くと4箇所の龕のような意匠の中に兎が入っているのが視認出来る。実はこの兎の意匠自体は「花兎」と呼ぶ名物裂(めいぶつぎれ:貿易品として鎌倉から江戸中期までに貿易で舶載された最高級の織物をいう。)の一つである(山崎商店の商品見本の花兎」)。非常に面白いのは、最上段の桐紋入りのものも、この花兎入りのものも、単一意匠でなく複数の、それもモースがやや揶揄して「ゴチャゴチャに入れた」と表現しているように、ちょっと過剰な組み合わせの唐紙である点である。

 最下段の「川の早瀬を薪を積んだ、而も舟頭のいない舟が流れている所を示している」ものは似たものを捜して見たが、のような意匠か?(足袋子氏のブログ「唐長・唐紙フリーク」内にある画像であるが、記事に行き当たれなかったので画像で示した)。

Paulownia」シソ目キリ科キリ Paulownia tomentosa。属名はシーボルトがロシア大公女でオランダ王ウィレム2世の王妃となったアンナ・パヴロヴナ(Anna Paulowna RomanowaАнна Павловна Романова 一七九五年~一八六五年)に献名したものである。

「錦襴」原文“brocade”。「錦襴」は「きんらん」と読ませようとしているようだが、一般的表記ではない。「ブロケード」とは色糸や金糸・銀糸を多彩に使った絹の紋織物。本邦の金襴緞子(きんらんどんす:綾地または繻子地(しゅすじ)に金糸で文様を織り出した織物。)に相当する。

「紙をつくる時、繊維紙料に緑色の、糸みたいな海藻を入れることもある」ウィキの「唐紙」の「江戸から紙」の中の「楽水紙」と呼ばれる唐紙の解説に、『海藻を漉き込んで独特の紋様をつけた、襖障子一枚の大きさのいわゆる三六判の紙を楽水紙という。泰平紙を創製したのは、玉川堂田村家二代目の文平であったが、楽水紙もやはり田村家の創製であった。玉川堂五代目田村綱造の『楽水紙製造起源及び沿革』によると、「和製唐紙の原料及び労力の多きに比し、支邦製唐紙の安価なると、西洋紙の使途ますます多きに圧され、この製唐紙業の永く継続し得べからざるより、ここに明治初年大いに意匠工夫を凝らしし結果、この楽水紙といふ紙を製することを案出し、今は玉川も名のみにて、鳥が鳴く東の京の北の端なる水鳥の巣鴨の村に一つの製紙場を構え、日々この紙を漉くことをもて専業とするに至れり。もっとも此の紙は全く余が考案せしものにはあらず、その源は先代(田村佐吉)に萌し、余がこれを大成せしものなれば、先代号を楽水といへるより、これをそのまま取りて楽水紙と名ずける。」とある』。『玉川堂五代目田村綱造が漉いた楽水紙は、縦六尺二寸、横三尺二寸の大判であった。漉桁の枠に紐をつけ滑車で操作しやすくし、簀には紗を敷き、粘剤のノリウツギを混和して、流し込みから留め漉き風の流し漉きに改良している。さらに染色し、紋様を木版摺りすることも加え、ふすま紙として高い評価を得て需要が急増した。三椏を主原料とした楽水紙にたいして、大阪では再生紙を原料とする大衆向けの楽水紙が漉かれるようになり、新楽水紙と称された。やがて、新楽水紙が東京の本楽水紙を圧迫する情勢となった。やがて東京でも大正二年には十軒を数える業者が生まれている』。『大正12年(1923年)の関東大震災で、復興需要の急増と、木版摺りの版木が焼失したのに伴い、新楽水紙が主流となった。昭和12年(1937年)には、東京楽水紙工業組合が組織され、昭和15年(1940年)には組合員35名、年産450万枚に達していた。太平洋戦争後には、越前鳥の子や輪転機による多色刷りのふすま紙に押されて衰滅した』とある。モースが見たのはまさにこの幻の楽水紙であったに違いない。

 なお、本書と並んでモースの今一つの代表的著作に“Japanese Homes and Their Surroundings”(1885年)があるが、そこでも無論、襖について項を立てて詳述している。特にその意匠の部分について私の所持する斎藤正二・藤本周一訳(八坂書房二〇〇二年刊。邦題は「日本人の住まい」)から当該部を本記載と比較するために引用させて戴く。これは文化庁の許容する「引用」の範囲内と私は理解する。一部に私の注を挿入した。

   《引用開始》

 部屋と部屋とのあいだの可動式間仕切といってもよい襖 fusuma は、その両面に厚手の紙を張ってある。昔は、この紙に中国の紙を用いるのが慣習であったので、この襖は唐紙 kara-kami ――つまり「中国の紙」と呼ばれている。この襖の枠組みは、細い桟を横四ないし五インチ、縦二インチの格子に組んだもので、障子の枠組みによく似ている[やぶちゃん注:「横四ないし五インチ、縦二インチの格子」横約10~12・7センチメートル、縦約5センチメートルの格子。ここは襖の内部の構造を述べている。]。日本の木製品のほとんどがそうであるが、襖の場合も、その外枠は、多くの場合、木地のままである。ただし、この外枠が塗り仕上げのものも珍しくない。この枠組みに張る紙は、丈夫で、厚手の、耐久性を有するものである。また、見事な装飾画を施してある場合が多い。ときには、部屋の横一面全体に、パノラマ風の連続した絵が描かれていることがある。古い城などには、高名な画家の筆になる有名な襖絵がある。絵画に加えて金箔をふんだんに使用すれば、その装飾的効果は豪華でたとえようもない。一般家屋では、襖は、それに絵を描くのではなく、張ってある紙そのもので装飾の工夫をしていることが多い。このような装飾に用いる素材は、じつにさまざまである。――ある種の紙は奇妙な皺模様になっており、なかには、紙の生地に、緑色の繊細な糸状の海草を漉き込んだようなものもある。さらに、筍(たけのこの)濃い褐色の皮を紙に浮き出させたものもある。これなどは見る人に一風変わった楽しさを感じさせるであろう。襖紙はまったく無地であることも多い。たまたま、友人の画家が訪ねてくれたおりなどに、それを記念して襖面に揮毫(きごう)を頼むのである。また、襖の表面の一部に風景や花をつけた枝を描いたものもある。古い旅籠(はたご)では、以上のような仕方で、おそらく自分の宿泊代を支払ったと思われる高名な画家の作品に出会うことがよくある。[やぶちゃん注:以下は襖の唐紙ではなく、襖の構造のヴァリエーションの記載が主となるので略す。本書同様、図が素晴らしい。一読をお薦めする。]

   《引用終了》

 私は和紙には冥い。特に最後の「竹の子の外皮を混じた紙ではってあった。これは松の木の内皮を細かく切った物のように見えたが、非常に濃い褐色で、実に効果的であった」とする図―131は何となくは分かるのであるが、ぴったりしたものを探し当てることが出来なかった。その他にも、このモースの絵やその意匠に私がリンクした以外に、もっとぴったりくるものをご存知の方がおられたなら、是非、画像とともに御教授戴ければ幸いである。宜しくお願い申し上げる次第である。]

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