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2013/07/19

耳嚢 巻之七 眞木野久兵衞町人へ劔術師範の事

 眞木野久兵衞町人へ劔術師範の事

 

 享保の此、牛天神(うしてんじん)邊にて、劔術の達人と呼れし眞木野久兵衞と言(いふ)者、一刀流の名人有(あり)しが、三年寄(さんとしより)とかや、又は豪家の町人とや、聞及(ききおよび)て三人打連(うちつれ)て劔術の弟子に成(なり)候。尤(もつとも)金銀はいか程にても不惜間(おしまざるあひだ)、直(ぢき)にゆるしを請(こひ)候樣教(をしへ)給へと理(ことわり)しに、久兵衞答へて成程左樣にも相成べしと答へければ、其後は切に傳授を望(のぞみ)ければ、久兵衞せん方無(かたなく)、來(きたる)幾日供(とも)ども連(つれ)三人は櫻の馬場へ何時(なんどき)に被參(まゐられ)、我も可罷越(まかりこすべし)と約し、彼(かの)日に至り夜(よ)亥(ゐ)子(ね)の比(ころ)、三人の町人櫻の馬場へ至りしに久兵衞も來りて、約束の傳授すべし、我も馳(はせ)候間、御身三人もいかにも此馬場の始より末迄駈(かけ)給ふべしと、教の儘馳(はせ)ければ、久兵衞も跡より一さんに駈けるが、老人の久兵衞年分にて息切(いきいれ)倒(たふれ)けるを、三人は馬場末迄駈過(すぎ)て、扨立歸り介抱をなして、教の通(とほり)駈候間(あひだ)傳授あるべしと乞(こひ)けるに、老人とはいゝながら我は半途にて倒れしに、御身は息切候事もなきは、則(すなはち)傳授の極祕に至れり、夫(それ)にて宜敷(よろしき)といふ。三人いへるは、一本の太刀筋傳授も無(なく)、右の樣にて傳授濟(すむ)との事合點ゆかずと答(こたふ)。都(すべ)ての當流、人を切る爲の劔術にあらず、身を守る術也。此方(このかた)より求(もとめ)て向ふにあらず、向ふより又向ふ時は、其愁ひを避け、不從(したがはざる)は破るの劔術也。御身町人なれば武家と違(ちがひ)、身を困(くるし)み侯事迯(にげ)るゝにしくはなし。武士は迯る事ならざる身分なり、町人は迯て不告、今日某(それがし)追付(おひつか)んと思ひぬれ共追付事不能(おひつくことあたはず)、御身三人共あの通り走り候へば迯足達者(にげあしたつしや)といふべし、則右が當流極祕なりと言(いひ)しと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。滑稽な剣術指南で変則武辺物としてすこぶる面白い。

・「眞木野久兵衞」不詳。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「久平」とする。

・「牛天神」「耳嚢 巻之二 貧窮神の事」で既注済。現在の東京都文京区春日(後楽園の西方)にある北野神社。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「牛天神下」とあり、その場合は、北野神社の南一帯を指す。

・「享保」西暦一七一六年~一七三六年。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏であるから、七、八十年も前の古い話である。

・「三年寄」江戸の町年寄を世襲した奈良屋・樽屋・喜多村三家のこと。

・「と理(ことわり)しに」は底本のルビ。ここ、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では「と望みしに」となっている。「ことわる」は理を尽くしてという意味としては、請願に「理」はない。ここは「と望みしに、久兵衞、斷わりしに、」それでも度々入門免許を請うて参ったによって、「久兵衞答へて成程左樣にも相成べしと答へければ」と続けると如何にも自然である。かく敷衍訳をした。

・「櫻の馬場」幕府の軍馬を調教繋養した馬場の一つ。底本の鈴木氏注に、湯島聖堂の西に隣りあってあり、『お茶の水馬場ともいった。桜ともみじの大木が両側にあった。文京区湯島三丁目』とある。岩波の長谷川氏注では一丁目とする。ピグ氏のブログ「東京ガードレール探索隊」の「桜の馬場」の対照地図によれば一丁目が正しい。

・「亥子の比」深夜十時から午前〇時頃。

・「身を困み候事」カリフォルニア大学バークレー校版ではここが『身を囲ひ候事』とあって、長谷川氏は『身を守り』と注されている。これは「囲(圍)」の誤字が深く疑われるが、「くるしみ」でも意味は通る。折衷して訳した。

・「不告」底本には右に『(ママ)』注記を附す。カリフォルニア大学バークレー校版では「不能」とあって「苦しからず」で意味が通る。これで採る。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 真木野久兵衛の町人へ剣術師範する事

 

 享保の頃、牛天神辺りに、真木野久兵衛と申す一刀流の達人が御座った。

 ある時、江戸の三年寄(さんとしより)であったか、または好事家の豪商の町人連の誰某(だれそれ)であったか、ともかくも、その噂を聴き及んだ三人がともにうち連れて、この久兵衛に弟子入りを願い出て参ったと申す。

「謝金は惜しまず幾らでもお出し致しますによって、どうかすぐに免許の段、お許し下さいませ! 秘伝の太刀筋、御伝授下されぃ!――」

と望んだものの、久兵衛は断った。

 ところが、この三人、性懲りものう、何度となく参っては、五月蠅く、入門免許を懇請致いたれば、ある時何故か、久兵衛、

「……なるほど、いや、そのようなことも、これ、ならぬということも……ないわけではないが……」

と答えてしもうたによって、両三名、その後はますます足繁く、久兵衛が元へ参っては、切(せち)に伝授を望むことと相い成った。

 あまりの日参に久兵衛も詮方のう、遂にある日のこと、

「……それでは――来たる○月×日、両三人ともども相い連れだち、△時(どき)、桜の馬場へ参られい。――我らも同時刻に、罷り越す。」

と約して御座った。

 さてもその当日と相い成った。

 時刻は――そうさ、夜も亥(い)か子(ね)の刻頃で御座ったと申す。

 三人の町人、桜の馬場へと押っ取り刀で参ったところ、ほどのう、久兵衛も来たって、

「――約束の伝授を致そうぞ。」

と告げると、

「……我ら……これより、この馬場を走って御座る。されば、御身ら三人も、この、馬場の始めより、末の末まで、お駈けなされい!――」

と申すが早いか、突然、久兵衛、脱兎の如く、目の前より消える。

 されば三名も、教えの通り、駆け出だいた。

……が……

……あっという間に……

……三人は久兵衛を追い越し……

……久兵衛はといえば……

……それを一散に追っては走るのではあったが……

……何分にも久兵衛、老体の身で御座ったれば……

……馬場の半ばにて……

……息切れし……

……これ……

……倒れてしもうた――

 さても三人はそのまま、馬場の端まで駆け抜ける。

……ところが……

……振り返って見れば……

……久兵衛……

……遠くで……

……へたばって御座った……

ともかくも、また馳せ帰って、泡を吹いて転がって御座った久兵衛を介抱を致いた上、

「……さ、さあ! さ、さても! 教えの通り! 駈け抜けましたによって! どうか! 免許、御伝授下さりまっせい!」

と乞うたところが、久兵衛は、未だ苦しげな息遣いのまま、

「……ハーヒッ……ハーヒッ……はぁ、我(ふわれ)ら……老人(らふじん)とは申(まふ)せ……ハーヒッ……道、半ばにして……ハヒッ……倒(たふ)れた、にィ……ハヒッ……御身らは、い、息切れて御座(ぐぉざ)ることも、これ、ないは……す、則(すなふわ)ち……で、伝授(ドウエンデゅ)の極意……こ、これ、とぅわ、体得(とぅわいとく)至れり……グオッフォ! グオッフォ! ウッグェー!……そ、それにて!……よ、よ、よろしゅう御座る、じゃぁッー!……グヲッホ! ゴホ! ギュウゥゥ……」

と応じた。

 されば、流石に両三人、

「……い、未だ一本の太刀筋の伝授も、これ!……」

「……そ、そうじゃ! 未だその伝授もなきに、これ!……」

「……か、かように! 伝授相い済んだとは、これ!……」

と――口を揃えて、

「合点参らぬ!!!……」+「合点参らぬ!!!……」+「合点参らぬ!!!……」

と叫んだ。

 と、久兵衛、やっと息も落ち着いて参って、徐ろに、

「……すべて――我らが流儀は――人を斬るための剣術にては――これ、ない。……

――その奥義は――これ、身を守る術である。

――こちらの方より求めて相手に向かうものではこれ、ない。

――また先方(せんぽう)より仕掛けて参った折りには

――これ、その危うい切っ先を避くる。

――それでも、そうした対処に相手が従わぬ場合にのみ、相手と斬り合う。

……御身らは町人なれば武家とは異なり、身の危うきを大事とお守りなさるるには――逃げるに――若くはない。

……しかし――武士と申すは、これ――戦いより逃ぐること、出来ざる身分。

……されど御身ら町人は、これ――逃げても決して恥ではない。

 さても今日、某(それがし)、御身らに追いつこうと思うたれど――追いつくこと、こで出来なんだ。……

――御身ら三人ともに

――如何なる対局に於いても

――あの通り走って御座ったならば

――これ

『逃げ足の達者』

と申すもので御座る!

 則ち――これぞ――我が流の極意である!」

と喝破されたとのことで御座る。

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