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2013/07/26

中島敦漢詩全集 十四

   十四

 

 聽初汎(シヨパン)夜想曲

 

溪泉時哽咽

幽窅又琳々

夜獨聞初汎

悽々客恨深

 

○やぶちゃんの訓読

 

 初汎(シヨパン)夜想曲を聽く

 

溪泉 時に哽咽(かういん)

幽窅(いうえう) 又 琳々(りんりん)

夜(よ) 獨り聞く 初汎(シヨパン)

悽々(せいせい)として 客恨(かくこん)深し

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「」小川と泉。ここでは、ショパンの音楽を、涸れることなく湧き出し流れていく流と泉に喩えている。

・「時」時には。

・「哽咽」現代仮名遣の読みでは「こういん」で、涙に咽ぶこと。すすり泣くこと。

・「幽窅」現代仮名遣の読みでは「ゆうよう」で、静かで仄暗く奥深いこと。

・「琳々」「琳」は美しい玉(ぎょく)の意。若しくは美しい玉がぶつかり合う音をも指す。ここでは、ショパンのピアノ曲の音の粒が、さながら玉が響き合い音を立てる様子に喩えている。

・「初汎」ショパン。日本における漢字音を用いて、人名に当てたものと思われる。現代中国語では「肖邦」「蕭邦」と表記している。

・「悽々」寂しいさま。悲しいさま。

・「客恨」さすらう人の愁い。ここでは人生の漂泊者たる詩人自身の心に湧く憂愁を指す。

 

T.S.君による現代日本語訳

涸れることなきせせらぎ  ときにすすり泣きの声

仄暗く深い空間の広がり 玉(ぎょく)が揺らぎ発する神韻

夜ひとり耳を傾ける――  ああ私のショパンよ――

深い憂愁が立ち込め――  胸はかきむしられる――

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 ショパンの夜想曲を漢詩で歌う!

 詩というものは、何を歌っても構わないのだ。

 そうと分かっていてもこの詩想は新鮮だ。詩が作られたのは、現代ほど前衛的な芸術表現が一般的でなかったと思われる戦前のことである。しかも東洋的情調が濃厚に宿る漢語定型詩によってここで歌われる対象は、純粋な西洋音楽なのだ。しかも選りによってロマン派の巨星ショパン!

 こんなことに驚く私は、もしかしたら頭が堅すぎるのかもしれない。そもそも中国詩の歴史を見ても、前例のない新しい事物を素材として詠み込むということには一貫して非常に寛容だ。

 例えば、宋詩を見よう。ミミズや虱まで歌った梅堯臣は極端な例かもしれないが、それまでの詩に比較して、日常のあらゆる事物を歌うことについて遥かに躊躇しなかった。また清朝末期には、赴任などで接した日本の事物などを積極的に歌った黄遵憲なども思い出される。……

 そう考えれば、中島敦は素材の新奇性など全く気にせずに作詩に臨んだかもしれないとも思える。

 しかし少なくとも対象は純粋な西洋音楽である。伝統的素材とはかなり異質だ。詩人がそれを意識しなかった筈はない。ショパンという人名の表記にさえ、いろいろと気を遣ったであろう。新奇な試みとはなるけれども、そんな敷居を乗り越えてでも、ショパンに触発された心の妖しい動きを漢詩に託したいと願った詩人の強い思いは本物だ。これを誰も疑うことはできまい。

 

 さらに私がどうしても気になったのは、歌う対象自体が、そもそも完結した芸術作品であるということだ。――

 詩とは多くの場合、何らかの素材、言い換えれば人生の路傍に転がっている原石を見出してそれを徹底的に磨き、心の深層までをも照らし出す輝きを引き出した、その結果としての言葉の魔術である。若しくはそれらの原石に触発されて動いた詩人の心を提示し、読者の心にも何らかの化学反応を齎す魔法だ。詩人は、人が迂闊にも素通りしがちなそれら原石の存在に気づき、研磨した上で、言葉という手段を用いて読者の目の前にぬっと突き出す。その驚異的な営みに、我々はしばしば眼を見張る。

 

 しかし、この詩は違う。

 既にしてショパンというひとつの詩的世界は普く人口に膾炙されている。

 本来的には、読者はその音楽世界を詩人の手など借りずとも感知することができるのである。

 ショパンを直接聞けば十全なはずだ。

 しかし、詩人は、その音楽に自分の魂をこすり付けた際に発した心の色彩を、敢えて漢字二十字に定着したのである。

 従って、改めて以下の通り結論づけることができるだろう。

――詩人が歌いたかった主眼は、ショパンの音楽以上に、詩人自身の魂にあるのだ――と。

 

 それにしても、洋の東西を問わぬ彼の広汎な教養や、世界に向けて大きく開かれた彼の融通無碍な審美眼には驚かされる。彼が鬱蒼たる西洋古典文学の森を渉猟していたことは幾つかの記録から明らかであるし、日本語訳を試みてさえいる。また、西洋古典音楽への共感などを短歌に読み込んだりもしている。芸術として善きもの、紛うかたなきものであれば、表現形態を問わず見事に味わい、消化することができたのだ。なんと逞しい胃の腑を持ち合わせていたことだろう!

 それに比べて、私自身の胃のなんと虚弱なことか……。中島敦の星やバラや河馬の詩はなんとか味わい、自分なりに消化することができた。しかし、正直に申し上げよう。このショパンには、恥ずかしいことに戸惑ってしまった。

 

 私はショパンが決して嫌いなのではない。では何故戸惑ったのか。それは、中島敦の詩心に対して私が抱いていたイメージと、ショパンの音楽についての私なりの印象が、かなり異なるものだったからである。

 彼の文学を振り返ってみていただきたい。永遠の宇宙を目前にして宿命に思いを致し立ち尽くす詩人。そんな詩人の姿がすっくと立ち上がる星空の詩! または、色彩の奥に極限まで集中しかつ沈潜した果てにこの世の向こう側を垣間見る――すなわち、純化に純化を重ね徹底的に煮詰めることを通して、普段人が見ることができない奈落を覗き込むというバラの詩! そして……彼の幾篇かの小説――運命に抗い深い傷を負いながらも自分に対して誠実に人生を歩んで行こうとする登場人物。有限で卑小な存在である人間が、表面的な価値判断や善悪を超えた無慈悲な(そもそも“慈悲”など人間が勝手に作り上げた幻影に過ぎない)宇宙の運行の中で、抗い、傷つき、それでも背筋を伸ばしたまま滅んで行く――。そんな悲壮な、しかし静謐な物語!

 私は中島敦という詩人を、そんなイメージで塗り固めて眺めていたのだ。

 こんなイメージならば、仮にバッハやベートーヴェンとなら共通項を見出しやすい。世界を構築するように壮大な音の建築物を組み上げることで、永遠を提示し、宇宙を歌い、同時に対極にある有限の人生を肯定するバッハ。傷つき、泥に塗れても、立ち上がる力さえ失われても……如何なることがあっても、前方を睨み付け、背筋を伸ばして希望と理想と真心を歌い続けるベートーヴェン。彼らの壮大さ、悲壮さが、中島敦のイメージとどこかで結びつくのだ。

 

 しかし、ショパンの音楽の主眼はそんなところにない。彼は今直面している時間の流れに真正面から向き合っている。少なくとも彼の表面上の意識は、そのことで占められている。まさに今この時に、聴く者の心の中で渦巻く様々な情動を、深いところでしっかり捉える。時にそれを優しく撫でたかと思うと、またある時はそれを解放せよと激しく唆すのだ。彼は憂愁に捉われた人の心にしっかりと寄り添う。そしてその人の心を代弁して歌う。時に想いを純化し、何倍にも増幅しながら……。

 私はショパンを聴くとき、必ずある態度で向き合う。バッハやベートーヴェンを聴くときとは異なる独特な構えだ。心の襞を妖しく撫でるような半音を主体とした翳のある音の移ろい、リズムの揺らぎ……。こういった特性を持つ彼の音楽に、自分の秘めた情動を敢えて直接晒し、湿らせ、浸らせる……こんな風に聴くのである。するとショパンは、情動の核心部分を慰撫し、刺激し、翻弄してくれる。そうして恍惚の中で緊張が累積して行き、高潮を迎える。ある時はまた、そこからの解放を伴うことすらある。腹を見せて上向きに寝ている猫のような無防備な、どこかマゾヒスティックな私自身の態度――。

 ショパンの音の流れには、淀みはあるが、渋滞はない。リズムが緩慢になる際には直後に反動としての加速を伴っていることが通常だ。そして聴く者は時にそれを予想し、期待しながら聴く。期待は概ね報いられる。丸みを帯びた音の粒がいくつも連なり、光に包まれながら目の前を流れて行く。

 いくつかの長調の曲の除き、彼の音楽は大抵憂愁の翳を色濃く宿している。その翳は、生温かく、境界線が不分明なものである。また触感は極めて幽かであり、色でいえば中間色である。流水で即座に洗い流されてしまうような、粘着度の低い、良質の何かである。この翳が濃くなるところでは音楽の速度が落ち、嗚咽が漏れるようにメロディが搾り出されて来ることもある。またその向こうに何もない虚ろな空間だけが拡がっていることもある。体温に近いその翳に包まれていると、人は目先の視界を遮られ、微量の麻薬を吸引したかのように、振幅の大きい多彩な夢を見ることができるのだ。

 

 中島敦とショパン……、実に刺激的な組み合わせではないか!そして、中島敦という詩人……!遥か遠くを見据え、永遠というものと人間の宿命を歌うかと思えば、今このときの感情の奔流に身を委ね、深い陶酔に自らを投げ入れる……。なんとも懐の深い、振幅の大きい、恐るべき男ではないか!

 

 私は思う。

 詩人もまた、ショパンの音の粒に包まれ、憂愁の翳に酔ったのだ。起句の「溪泉」、承句の「琳々」は、涸れることなき音楽の流れと燦めく音の粒を物語る。また起句の「哽咽」、承句の「幽窅」は憂愁の翳が齎した様々な効果を想起させる。

 彼が聴いているのは特定の夜想曲なのだろうか。「溪泉」「琳々」「哽咽」「幽窅」など、全ての要素を有するような一曲は、なかなか見出せないように思われる。では遺作を含めた二十一曲の夜想曲全てなのか。私は全曲でもないと思う。当時は全曲を通して聴けるようなレコードは珍しかったであろう。全曲を続けて演奏すると所要時間は二時間弱である。そんなに長い間、集中して聴き続けていられたのだろうか。いや恐らく、著名な何曲かを続けて聴いているのだ。また、起承句二句のみのたった十文字で印象を凝縮して述べるところから受ける印象でも、著名な数曲を、それほど長くはない時間に、集中して聴いたという感じがするのである。

 これは私の個人的な印象であるが、「溪泉」「琳々」は殆ど全ての曲に当てはまるような気がする。まさに尽きせぬメロディと音の粒の輝きは、ショパンの真骨頂ではないだろうか。そして「哽咽」は有名な第一番、そして第十一番を思い起こさせるし、「幽窅」はまるで遺作である第二十番を聴いているかのようだ……。

 

 さて私は

――中島敦はショパンを表現しようと思ったわけではない――自分の心を歌いたいのだ――

と結論付けたのであった。

 彼の心――それは……それこそは、まさに――ショパンの夜想曲から感じられる憂愁そのもの――であったのだろう。

 夜ひとり自分をショパンに晒していれば、淋しさや悲しさが否応なく掻き立てられ、心は悽々」たる状態に凍りつき、さすらい人の愁いは極度に募ったであろう。

 私は思う。

 ショパンの音楽は、人の心を掻き立てるという点において、古来の幾篇もの漢詩の絶唱とその効果を同じくする。

 本物の芸術は、極点さえ捕らまえてしまえば、表現形式の如何を問わず、接する者の心を大きく揺さぶるのだ。

[やぶちゃん注:リンクはショパン好きの私が勝手に施した。力の弱さ・音の細さがどうしても気になるが、私が若き日に最初に全曲を聴いたArthur Rubinstein の演奏を第一番と第十一番に選び、第二十番は抜群の透明感から Vladimir Ashkenazy を採った。なお全曲演奏はこのアシュケナージのものMaurizio Pollini のものがある。個人的にはアシュケナージをお薦めする。ポリーニのギリシャ彫刻のようなエッジの硬さは私はショパンには向かないと今も昔も思っている。また、音楽の演奏が演奏者自身の全人格的で生活史的なものをも含むものとするもの(私はそうである)であるとすれば、第二十番をより多くの人に心理的にブラッシュ・アップした、かの「戦場のピアニスト」の主人公である Wladyslaw Szpilmanウワディスワフ・シュピルマンの第二十番の演奏をもここに掲げるべき必要を私は感ずるものである。]

 

 形式の差異など、実に取るに足りないものではないか……。

 ただし、その極点を捉えることの如何に至難であるか――

……それをまた、私は今、痛切に感じるのである。

 そういえば、あれほどの博学才穎を誇った李徴でさえ、詩人として、後世に名を残すことができなかった。そればかりか、却って自らの才能に、いわば自ら食い殺されてしまったのである……。

 中島敦という第一級の東洋の詩人が、同じく第一級の西洋の詩人であるショパンを聴いて、どれほどあやしく心が動かされたか……。私はこんな想像をして、ひとり背筋を寒くするのである。今夜、私もまた独り、ショパンの夜想曲を聴きながら……。

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