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2013/07/15

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 9

M158

図―158

 曳網で取った材料を選りわけることが出来たのは、実に助手達が手伝ってくれたからである。海底には海産物が非常に豊富である。で私が大事なサミセンガイを研究している間に、彼等は貝、海胆(うに)、ヒトデ等をそれぞれの区分に分ける。図158は彼等が働いている所を示す。右にいるのは外山教授で、彼は自分で費用を払うが採集の手助をする。中央は松村氏で、彼の費用は大学が払う。左は私が雇った男で、夜は実験所で寝泊りし、昼は新鮮な海水を運んで来たり、雑役をしたりする。この男は、日本人が誰でも一般的に理知的であることの、いい実例になる。彼は甲殻類、軟体動物、棘皮(きょくひ)動物等を説明された後で、材料を適当な瓶に選りわける。其後陸棲(りくせい)の貝を採集に郊外に出かけた時、人力車夫達が私のために採集の手伝いをすることを申し出た。そこで彼等に私がさがしている小さな陸棲貝を示すと、彼等は私と同じ位沢山採集した。私は我国の馬車屋が、このような場合、手伝いをしようと自発的に申し出る場面を想像しようとして見た。私はこの男を貝の多い砂地へ連れて行って、私の欲する顕微鏡的な貝殻を指示して見た。すると彼はこまかい箸を用いて、実に巧にその小さい貝殻をひろい上げたので、私は殆どしょつ中彼に仕事をさせた。

[やぶちゃん注:「顕微鏡的な貝殻」原文は“the almost microscopic shells”所謂、微小貝類と呼ばれるものである。詳しくは「東京大学総合研究博物館ニュース」の佐々木猛智氏の「微小貝の分類学」などをお読み戴きたいが、私はこうしたまさに目立たぬ生物種が(例えば目立つムツゴロウを保護するという名目で葦原を人工干潟に改造したりすることで)、何種類も容易に絶滅させられている事実(エコロジストを標榜しながら何と生物を絶滅させているのだ)を自称エコロジスト達はもっと知らなければならないといつも思っている。]

M159

図―159

 今著(つ)いた新聞紙に台風の惨害が書いてあるが、沿岸で大部船舶が遭難し、人死にも多い。私は江ノ島の大通り――それは事実唯一の通りである――を写生しようとする誘惑に堪え兼ねた(図159)。遠近法がひどく間違っている上に、町の幅を広く書き過ぎたが、これ等の実行上(コミッション)の過誤と共に、この絵には多くの遺脱(オミッション)の過誤もある。私は旗をこの倍も書く可きであり、男、女、子供、猫、犬、鶏も同様である。鶏といえば、私はどの一羽にまでも近づいて行って、捕えることが出来る。捕えられると鶏はギャッギャッと鳴いて反抗の気勢をあげるが、逃げようとはしない。

 嵐があってから、非常に潮の低い時以外には、本土へ渡ることが出来なくなって了ったので、何人かの船頭は団体をなしてやって来る巡礼達(一晩泊るだけのも多い)を渡して、大もうけをしている。巡礼の一隊に従って往来を登って行くと、非常に面白い。この往来にそって建っている家の殆ど全部が遊興の場所らしく、宿やの人々がすべて宿さきに並んで客を引くので、恰もニューヨークで、辻馬車がズラリと並んだ前を歩くような騒ぎである。客引が間断なく立てる音の奇妙さは形容出来ぬ。第一の家で立てる騒音が第二の家で聞え、第二の家のは第三の家で聞え……とにかくいろいろな声で完全なヒンヒン啼きである。

[やぶちゃん注:鳥居手前まで後退した位置からの明治期の写真が、長崎大学付属図書館の「幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」の「江ノ島神社の鳥居」(「同一タイトルの写真」のボタンを押すと他の同題の写真をあと四枚見られる)や、「江の島マニアック」の「古絵葉書の江の島」の「横浜写真」(専ら外国人向けの土産物として作られた銀鉛白黒写真に筆彩色したもの。ここにあるのはそれを絵葉書にしたものらしい)で見られる(どちらも画面を拡大してご覧になることをお薦めする)。

「……とにかくいろいろな声で完全なヒンヒン啼きである。」原文は“and so on, — a perfect whine of a score of voices.”でリーダではなく、ダッシュで、さらに「ヒンヒン啼き」というのはやや訳として不自然に思われる。“whine”は、哀れっぽい鼻声・啜り泣きの意、“score”はスコア、合奏曲や合唱曲などに於ける総ての声部を記した総譜のことであるから、「声部の、総譜に基づく完璧なる哀れな合唱」といった意味であろう。]

 ここ数日間、私の料理人は何度も叱られた結果、大いに気張って了い、今や私はとても資沢な暮しをしている。今朝私はトーストに鶏卵を落したものと、イギリスのしたびらめに似た魚を焼いたものとを食った。正餐には日本で最も美味な魚である鯛、新しい薩摩芋、やわらかくて美味な塩づけの薑(しょうが)の根、及び一種の小さな瓜と梅干とが出た。

[やぶちゃん注:太字「したびらめ」は底本では傍点「ヽ」。原文は“sole”。条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ亜目ウシノシタ上科のササウシノシタ科 Soleidae 及びウシノシタ科 Cynoglossidae に属する魚類の総称であるウシノシタ類の別称。ウィキの「ウシノシタ」によれば、『ヒラメとはまったく異なる種の魚であるが、体が平たく両目がヒラメのように片側にだけついているので、主に関東を中心にシタビラメと呼ばれ』『英名のSoleや学名のSoleaは「靴底」を意味する語であり、日本の地方名にも同義のものが多い。例えば、九州の有明海・八代海沿岸地域では「くちぞこ」』「くつぞこ」「くっぞこ」『と呼び、岡山県や香川県など瀬戸内地方では主にアカシタビラメを中心に「ゲタ」と呼ばれる』とある(やや疑義があるので手を加えた)。]

 先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を過ぎて行く石を見た丈で、恐怖の念は更に示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬は只不思議そうに石を見る丈で、平気な撰をしていた。その後往来で別の犬に出喰わしたので、態々(わざわざ)しゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず、私に向って牙をむき出しもせず、単に横を飛んで行く石を見詰めるだけであった。私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後じさりをするか、逃げ出しかするということを見て来た。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである。よろこぶ可きことには、我国の人々も、私が子供だった時に比較すると、この点非常に進歩した。だが、我都市の貧しい区域では無頼漢どもが、いまだに、五十年前の男の子供がしたことと全く同じようなことをする。

 日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人人がいずれも行儀がいいということである。世話をされる人々は、親切にされてもそれに狎(な)れぬらしく、皆その位置をよく承知していて、尊敬を以てそれを守っている。孔子は「総ての人々の中で最も取扱いの困難なのは女の子と召使いとである。若し汝が彼等に親しくすれば、彼等は謙譲の念を失い、若し汝が彼等に対して控めにすれば彼等は不満である」といった。私の経験は、何等かの価値を持つべく余りに短いが、それでも今迄私の目に触れたのが、礼譲と行儀のよさばかりである事実を考えざるを得ない。私はここ数週間、たった一人で小さな漁村に住み、漁夫の貧しい方の階級や小商人達と交っているのだが、彼等すべての動作はお互の間でも、私に向っても、一般的に丁寧である。往来で知人に会ったり、家の中で挨拶したりする時、彼等は何度も何度もお辞儀をする。往来などでは殆ど並ぶように立ち、お辞儀の方向からいうと相手を二、三フィートも外れていることもある。人柄のいい老人の友人同志が面会する所は誠に観物である。お辞儀に何分かを費し、さて話を始めた後でも、お世辞をいったり何かすると又お辞儀を始める。私はこのような人達のまわりをうろついたり、振返って見たりしたが、その下品な好奇心には全く自ら恥じざるを得ない。これは活動的な米国人には、時間を恐ろしく浪費するものとしか思われない。外山教授の話によると、大学の学生達はこのような礼儀で費す時間を倹約しつつあり、彼等の両親は学生生活は行儀を悪くするものと思っているそうである。

[やぶちゃん注:最後の部分は興味深い。漱石の「こゝろ」の、学生の「私」と両親のことを思い出した。

『孔子は「総ての人々の中で最も取扱いの困難なのは女の子と召使いとである。若し汝が彼等に親しくすれば、彼等は謙譲の念を失い、若し汝が彼等に対して控めにすれば彼等は不満である」といった。』ここには以下に訳者による「論語」の当該部分が、返り点を附して引用されている。これは「論語」「陽貨第十七」の二十五である。

 子曰、唯女子與小人、爲難養也、近之則不孫、遠之則怨。

 子、曰はく、「唯だ女子と小人とは養ひ難しと爲す。之を近づくれば、則ち、不孫、之を遠ざくれば、則ち、怨む。」と。

「二、三フィート」約61~91センチメートル。]

 先夜東京から帰って来た時、江ノ島へ着いたのはもう真夜中に近かった。それは非常に暗い夜で、私は又しても下層民の住家が、如何に陰鬱であるかを目撃した。雨戸を閉めると、夜の家は土牢みたいであろう。開いた炉に火がパチパチ燃えるあの陽気さを、日本人は知らない。僅かな炭火で保温と茶を入れる目的とを達し、台所で料理用に焚く薪は上方の桷(たるき)を煙で黒くする。人力車で村を通過すると、夜の九時、十時頃まで小さな子供が家の前に置いた床几に坐っているのを見る。紙を張ったすべる枠は、昼間は家の外側になり、気持のいい光線を部屋へ入れ、閉ざせば風をふせぐ。部畳に火をつけた蠟燭が沢山ある場合、住んでいる人達がかかる紙の衝立に投げる影には、滑稽なのが多い。北斎は彼の「漫画」に、このような影絵のある物の、莫迦げた有様を描いている。

[やぶちゃん注:磯野先生の前掲書によれば、八月三日にモースは東京へ立ち、翌日、四日の夜半に戻ったとあるから、このシークエンスは四日のそれであろう。

「紙を張ったすべる枠」“The sliding frames covered with paper”は言わずもがなながら、障子のこと。

「北斎は彼の「漫画」に、このような影絵のある物の、莫迦げた有様を描いている」「漫画」は原文では“Mangwa”と綴ってある。これが葛飾北斎のどの絵を指していっているものは今一つ判然としないが、モースの口ぶりからは、春画の類いを言っているようにも思われる。識者の御教授を乞うものである。]

M160

図―160

 私はポケットに百ドル入れ、車夫只一人を伴侶として、夜中暗い竹薮や貧乏な寒村を通り、時々旅人や旅人の群に出会ったが、私に言葉をかける者は一人もなかった。私はピストルはおろか、杖さえも持っていなかったが、この国の人々の優しい性質を深く信じているので、いささかなりとも恐怖の念を抱かなかった。ある殊の外暗い場所で、我々は橋を渡った。それは高く弓形に反っていて、上には芝土があり、手摺はなく、幅は人力車が辛じて通れる位であった(図160)。橋の真中で我々は、酒に酔っていくらか上機嫌な三人の男に出喰わした。その瞬間私は若し面倒なことが起れば、きっとここで起るなと思った。何故かといえば我々を通す為には、彼等は橋の端に立たねばならぬからである。私の大きな日除帽子と葉巻とによって、彼等は私が「外夷」であることを知っていた。で、一押し押せば人力車も何も二十フィート下の河に落ちて了う。だが彼等は何ともいわなかった。最後に私は疲れ切って眠て了った。幸い道路が平坦だったからよかったものの、そうでなかったら私は溝へ投り込まれていたかも知れぬ。目をさましていれば、人はデコボコな路で人力車が前後に揺れる時、無意識に自分の身体の釣合をとる。目をさますと、我々は海岸に来ていた。波が打ち寄せている。そしてあたりは、世界中どこへ行っても、只田舎だけが持つ、あの闇であった。人のいることを示す唯一の表示は、海の向うの家の集団から洩れる僅かな燈火と、海岸の所々にある明るい火――それをかこんで裸体の漁夫が網や舟を修繕している――とだけであった。私の人力車夫は、暗闇のどこからか、大きな籠を二つ見つけて来て、この中に持って来た荷物を入れ、それを長い天秤棒の両端にしばりつけて、煮えくりかえるような磯波の中を、ジャプジャブ渡り始めた。闇の中から一人の男が、これむどこからともなく現われ、私を負って渡ろうといった。そこで私は普通やるように、背中に乗ったが、これではいけないのであった。彼は私を落し、後に廻って彼の頭を私の両脚の問に押し込み、まるで私が小さな子供ででもあるかのように、軽々と持ち上げて肩にのせた。私は彼の濡(しめ)った頭に武者ぶりつくことによってのみ、位置を保つことが出来たが、波が押し寄せて彼がぐらぐらする度ごとに、まだ半分眠っている私は、これはいつ海の中に投げ出されるか判らぬぞと思うのであった。

[やぶちゃん注:図―160のエピソードは私にはツルゲーネフの「猟人日記」の一篇「音がする!」を思い出させた。……あっ……そうか、まだ私はこの好きな一篇をテクスト化していなかったな……では近いうちに必ず。]

M161

図―161

 道路は何度通っても、何か新しいものか、面白いものを見せてくれる。私はある一軒の店で、大きな木槽の辺を越して、図161で示すかような硝子のサイフォンがかけてあるのを見た。この端から出る小さな水沫は、盆に入った小型な西瓜(すいか)を涼しげに濡らしつつあった。小さな小屋がけの店では、西瓜を二つに切り、切った面は薄い日本紙を張りつけて保護する。市場の西瓜は柄に小さな赤いリボンがついている。一度私は一人の男が西瓜を沢山市場へ持って行くのを見たが、一つ残らずこの赤い小さなリボンがついていた。西瓜は丸くて小さく、我国の胡瓜に比べてそう大して大きくはない。そして日本の南瓜(かぼちゃ)に非常によく似ているので、間違えぬように例のリボンをつける。果肉の色は濃い赤(充血したような赤の一種)で、味は我国のに似ているが、パリパリしてはいない。英国人の多くは西瓜の種子も一緒に食って了う。梨は煮て食うと非常に美味だが、梨の味は更にしない。色は朽葉色の林檎に似ていて、形も林檎のように丸い。梅も煮ると非常に美味である。トマトは我国のそれと全く同じ味のする唯一の果実である。馬鈴薯(じゃがいも)は極めて小さく、薩摩芋は我国のによく似ているが、繊維が硬く味は水っぽい。横浜のホテルで、シンガポールから輸入した奇妙な果物がテーブルに出た。その名をマンゴスティーンと呼ぶ(図―162)。皮は黒ずんでいて非常に厚い皮(このスケッチの点線は皮の厚さを示している)の内側は濃紫色で、その内の果肉は、よくかきまわした鶏卵の白味に似た純白である。これは蜜柑(みかん)みたいに小区分に割れ、そして大きな種子を持っている。味はことのほかよく、私が今迄に味った物のどれとも違っているが、ほのかに林檎の風味を思わせる所があり、僅か酸味を帯びている。たしかに最も美味な果実で、フロリダあるいは南カリフォルニアで栽培出来ぬ筈はない。

M162


図―162

[やぶちゃん注:図―162の点線は流石に古き良き近代の博物学者のチェックである。

「西瓜は丸くて小さく、我国の胡瓜に比べてそう大して大きくはない」何だか変な感じがするが、原文も“The melons are round and small in size, not much larger than our cucumber,”で、アメリカの大きな俵型の西瓜よりも遙かに小さい(実際に今のものよも小型の西瓜であるらしい)ものであることを、やはりアメリカ産の太くて大きい(皮は固くて食べられないほど)キュウリと比較をしているらしい。]

M163

図―163

 過日東京へ行く途中、私と同じ車室に、何かの集りへ行く為に盛装した小さな子供が二人いた。彼等は五、六歳にもなっていなかったが、髪を最もこみ入った風に結び、眉毛を奇麗に剃り落し、顔や首は白粉(おしろい)でまっ白。両眼の外端には紅で小さな線を描き、頭は所々剃ってあった。一人の女の子が車室の戸の所に立って外を眺めている所を、急いで写生した(図163)。頭のてっぺんの毛を剃った場所と、小さな辨髪(べんぱつ)がその後にくっついている所とに、お目をとめられ度い。時間の関係上、私は彼女の衣装の簡単な輪郭を写生することしか出来なかったが、縮緬(ちりめん)で出来ていて、鮮かな色の大きな不規則な模様がついていた。腰のまわりの帯は模様のない派手な単色で、重くてかさばり、背後で大きく結ぶが、衣服にはボタンも紐穴もホックも釣眼も紐も留針もない――まことに合理的な考である――ので、只この帯で衣類をひきしめる。長い袂の外側の辺には黄色い絹の紐が、しつけ糸のように通っていて、袂の一隅で黄色い房をなして終っている。

[やぶちゃん注:ここでは上京に汽車を用いている。……しかし、この二人の汽車に乗っている少女は……本当に「何かの集りへ行く為に盛装した」金持ちの家の娘……なのだろうか?……お白粉で真っ白な上に紅までも刺している。……この髪型は妙に独特で、おかっぱに似ているが少し違う。……因みにウィキの「おかっぱ」を見ると、『おかっぱは禿になる前の幼女の髪型、禿はおかっぱを過ぎた少女の髪型として認識された。江戸時代頃になると「禿」は単に少女を指す言葉としても使われるようになり、遊女見習いの少女(実際は禿だけではなく、弁髪も多かった)の事も禿(かむろ)と呼ぶようになった』と書いてある。……少女は何故デッキに立ってぼんやりと車外の風景を見ているのであろう? それは遠ざかってゆく何かを愛おしそうに眺めているようにも見える。……いや、寧ろ、その後ろ姿は、何か淋しそうではないか?……これは私の杞憂であろうか?……識者の御教授を乞うものである。……]

  人力車に乗って田舎を通っている問に、徐々に気がついたのは、垣根や建物を穢なくする記号、ひっかき傷、その他が全然無いことである。この国には、楽書(らくがき)の痕をさえとどめた建物が、一つもない。而も労働者達は、我国のペン、あるいは鉛筆ともいう可きヤタテを持って歩いているから自分の名前や、気に入った文句や、格言を書こうと思えばいくらでも書けるのである。私はこのことを、我国の人々のこの点に関する行為と比較せざるを得なかった。我国の学校その他の建築物がよごれていることは、この傾向を立証している。

 道路で私は、葉のついたままの、長い竹が立っているのを見た。葉には色とりどりの紙片がついている。何かの祭礼の飾りか、あるいは何等かの広告であろう。

[やぶちゃん注:言わずもがな、七夕である。]

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