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2013/07/29

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 17 鮫を追う漁師たち



M180


図―180



M181

図―181

 

 今日は曳網の運が、あまりよくなかった。私はサミセンガイを求めて、我々の入江に戻り、目的の貝を沢山と、大きなオキナエビス若干その他を得た。網を引いている問に、突然驟雨が襲って来て、私はずぶ濡れになったが、すぐ太陽が現われ、やがて衣類が乾いた。日本の舟夫達は優秀だとの評判があるにかかわらず、非常に臆病であるらしく、容易なことでは陸地から遠くへ出ない。今日私は遠方へ行くので、彼等を卑怯者といわねばならなかった。漁船は二マイルばかりの所に列をなしている。三十マイル程離れた大島へ行こうといい出したら、彼等は吃驚して顔色を変え、如何にも飛んでもない思いつきだと、いうように笑った。曳網を引き廻している最中に、舟から遠からぬ場所に、大きな魚が、長くて黒い鰭(ひれ)を僅か水面に出して、さっと過ぎて行った。さア大変! 舟夫の一人が艪を棄て、舳に近く坐っている私の所へ来て、熱心にこの魚を追いかけさせてくれとたのんだ。私には彼が何をいっているのか、丸で判らなかったが、彼の懇願的な態度は間違う可くもないので、私は「ヨロシイ」といった。そこで大活動が始った。曳網の綱が三十五尋(ひろ)入っていたので、先ず網を手ぐり入れるものと思った所が、彼等は長い竿三本を縛りつけ、曳網綱の末端をこの急造浮標(うき)に結んで、海の中に投げ込んだ。私は綱が解けるか、或はこれを発見することが出来ないと困るなと多少心配した。我々は鮫(さめ)――大きな魚は、鮫だった――を追って元気よく動き出した。銛(もり)は長い竿のさきに、鉄の槍をいい加減にくっつけた物で、綱がついているから、使用後には竿を引きぬき、倒鉤のある槍さき丈を、魚の身体に残すのである。小さな魚類が鮫を恐れて、共通な一点を中心に、かたまり合っているのは誠に興味があった。一網打尽ということが出来たであろう。我々は死者狂(しにものぐる)いで追いかけたが、鮫は遂に逃げ去った。で、舟夫達はもとの場所に帰り、安々と曳網の浮標を見つけた。彼等が鮫を追っている間に、私は漁船二、三を写生したが、まだ私は正しい線をつかんでいないので私の写生図には実物の優雅さが欠けている。図180の前帆は、舷側を越えている。帰途についた時風が出た。そこで竹の釣竿を翼桁とし、ダブダブな帆を環紐でそれに通して、これを竿を檣(マスト)にしたものに取りつけ、帆の下端は手に持つという、実に莫迦らしい真似をしながらも、景気よく走ったものである。図181は舟中から見たその帆である。日本の舟には竜骨が無く、底荷を積みもしないが、めったに椿事(ちんじ)が起らない。よしんば顚覆したにしても、舟はそれに縋りついていられる丈の人数の漁夫達と一緒に、ポカポカ浮いているし、水はあたたかく、漁夫は魚みたいに水に馴れているから、幾日でも舟にかじりついた儘でいられる。入江に帰った時、サミセンガイを求めて曳網を入れ、百五十個を獲た。又、珍しいものも入っていた。終日それ等を研究して来た所である。いろいろな新しい事実が判明して来ることは、驚く程である。私はノース・キャロライナの「種」は、かなり詳しく研究されているものと思っていたが、ここで捕れたのはノース・キャロライナのに非常によく似ているが、もっと透明であり、私はそれ迄に腕足類で見たことのない新しい器官をいくつか見た。

[やぶちゃん注:「オキナエビス」誤訳である。原文は“Pleurotoma”で、これは腹足綱前鰓亜綱新腹足目イモガイ超科クダマキガイ科 Pleurotoma 属の属名で、生きた化石として知られる「オキナエビス」は腹足綱古腹足目オキナエビス超科オキナエビスガイ科オキナエビスガイ属オキナエビス(オキナエビスガイ)Mikadotrochus beyrichii Hilgendorff, 1877 で全く異なる。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の再現日録によって、この採集は七月十五日のドレッジであることが分かるが、そこには『午前中よりドレッジ。シャミセンガイ一五〇匹とクダボラを採集。』とある。これは本書以外に松村任三の日記が参考にされているので、この種名の確実度は高く、クダボラは同じクダマキガイ科のクダボラ Turris crispa crispa を指すことになり、モースの言う“Pleurotoma属はちょっと違うことになる。グーグル画像検索の「Turris crispa crispaをご覧あれ。すらりとした美しい貝形である。手に採ったモースの笑顔が見えるようだ。

 因みに、この語訳のオキナエビスガイは江の島と深い縁があるのでここで特に記しておきたい。モースが来日するこの二年前の明治八(一八七六)年に東京大学博物学教授であったドイツ人ヒルゲンドルフがまさに後にモースの定宿となる岩本楼そばの江の島の土産物屋で本種の死貝を購入、調べたところが未記載の新珍種であることが判明し、化石種としてしか知られていなかったオキナエビスガイが現在も日本に産することを学会に報告、それを受けて大英博物館は東京大学に採集依頼をし、後にモースのこの江の島臨界実験場が理念的淵源となって創設される(直接的な前後身の関係にはない)東京帝国大学三崎臨海実験所(明治一九(一八八六)年開所)の採集人として「三崎の熊さん」として名を知られるようになる青木熊吉氏が翌明治九年春に江の島沖で生貝を採集、大学から大金四十円の謝礼を貰った。この時、熊さんが思わず「まるで長者になったようじゃ。」と言ったことから、本種の和名は一旦「チョウジャガイ」と定められたが、後に天保一五(一八四三)年に著された武蔵石壽の貝類図譜「目八譜」の第七巻第二図に「オキナエビス」として掲載されていることが分かり、命名法規約により、最初に武蔵石壽の命名した「オキナエビス」が正式和名となった。但し、現在でも熊さんの逸話とともにチョウジャガイという別名が普通に通用している。なおこの生体のオキナエビスガイの発見は、カリブ海で本科のヒメオキナエビスガイ属ヒメオキナエビスガイ Perotrochus quoyanus Fischer et Bernardi, 1856 の発見に遡ること十二年で、本オキナエビスガイ類に於ける最古の現生種の発見捕獲命名の記録でもある。

「二マイル」約3・2キロメートル。

「三十マイル」約48・3キロメートル。江の島から大島最北端の乳が崎沖までは50キロ以上ある。江の島の漁師ならずとも、私でも(この絵に載るような小舟ではなおのこと)「飛んでもない」ことと驚きますよ、モース先生(せんせ)!

「ヨロシイ」原文は“" Yoroshii " (all right)”。

「三十五尋」64メートル。

「急造浮標」原文“extemporized float”。

「鮫」原文は“the shark”であるが、これ、本当にサメだろうか? 背鰭を見たとたんに漁師たちがこぞって捕獲を懇請し、執拗に追っ駆けているところを見ると、私はどうしても食用としてはより美味い(無論、鮫も食えることは食えるし、蒲鉾の材料にもなるけれど)イルカではあるまいか? と疑ってしまうのだが。識者の御意見を俟つものである。

「倒鉤」読み不明。原文は“the barbed point”で、これは、釣り針などの顎(あご)・掛り(かかり)・逆棘(さかとげ)・返(かえ)しのある部分の謂いである。中国語でも「倒鉤標槍」というと何ヶ所も返しのついた槍の穂先のことを言うようだから、これで石川氏はまさに「かかり」「さかとげ」「かえし」などと読ませているのかも知れない。識者の御教授を乞うものである。

「翼桁」原文“a spar”。“spar”海事用語で帆柱・帆げたなどの円材を指す。翼桁(よくけた)というのは、航空機用語で翼の骨組の内、翼幅方向の主要部材を指す語であり、適切な訳とは言い難い。

「環紐」原文“loops”。ヘルメットやハンモックなどの用語としてあり、「わひも」と読むらしい。]

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