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2013/07/13

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 4

 横浜の海岸に残された暴風雨の影響を見ると、波が如何に猛烈な性質を持っていたかが判る。海壁の重い覆い石は道路に打ち上げられ、道路は砂利や大きな石で一杯になっていた。大きな日本の戎克船(ジャンク)の残骸がホテルの前に散在し、また水路で二ケ月間仕事をしていた大きな蒸気浚渫(しゅんせつ)船は、千フィートばかり押しながされて横っ倒しになり、浚渫バケツが全部むしり取られていた。

[やぶちゃん注:この叙述からもモースが台風一過の翌々日の七月二十八日に横浜に行っている(日帰りでその際に前の連中たちを引き連れてきたのである)ことが分かる。

「大きな日本の戎克船(ジャンク)」原文“a large Japanese junk”。“Junk”は中国における船舶の様式の一つの外国人の呼称で、中国語の「船(チュアン)」が転訛したマライ語の“jōng”、更にそれが転訛したスペイン語・ポルトガル語の“junco”に由来するとされ、確かに漢字では「戎克」と表記するが、これは当て字であって、中国語では「大民船」又は単に「帆船」としか書かない(ウィキの「ジャンク(船)に拠った)。ここはモースが「大きな」と表現しているところから、和船の弁才船(べざいせん)か五大力船(ごだいりきせん)であろう。

「千フィート」凡そ305メートル。]

M150


図―150

 実験所には窓が二つあり、その一つからは海岸が、もう一つからは砂洲に沿うて本土見える。図150は実験所から海岸を見た所で、一番手前は建築中のクラ、又は godown と呼ばれる、耐火建物である。足場は莚をかけ、壁土が早く乾き過ぎるのを防ぐ。砂洲が完全に流されて了ったので人々は舟で渡ったり、徒渉する頑丈な男に背負われたりする。

[やぶちゃん注:語られた通りの細部と遠景がちゃんと描かれている点に着目されたい。

godown」この部分、原文は“Figure 150 is a sketch alongshore from the laboratory ; the first building, which is in process of construction, is a fireproof structure known as kura, or godown.”である。この単語は「ゴーダウン」で、インド及び東南アジアなどに於いて倉庫や貯蔵所を意味する英語として古くから用いられてきた単語である(マレー語の“goding”に由来するという)。「日本人の住まい」(斎藤正二・藤本周一訳・八坂書房一九九一年刊)にも「第一章 家屋」の総説の台所について解説する中で、モースは『中流以上の阿井給が住む家屋の場合には、堅牢なつくりの、厚壁の、平屋(ひらや)もしくは二階建ての、倉 kura と呼ばれる耐火構造の建物が付随している。この倉は、火災が発生したとき、家具家財など動産一切をそのなかに格納するのである。外国人の目には〝倉庫(ゴーダウン)〟として知られているこの種の建物は、小窓が一つ二つあるほか、一つの入り口があり、たいへん重い厚手の開閉扉(シャッター)で鎖(とざ)されている』とある。]

 昨日横浜から来る途中、十八マイルの間で、異る場所に乞食を四人見た。今や道路に巡礼が充ち、今後数週間にわたって尚巡礼が絶えぬので、乞食も出て来るのである。彼等は不思議な有様で物乞いをする。人が見えると同時に、彼等は地面に膝をつき、頭を土にすりつけて、まるで動かず、そのままでいる。私が手真似で車夫に、この男が祈禱でもしているのか、それとも物乞いをしているのか、質問せねばならなかった位である。日本ではめったに乞食を見受けず、また渡り者、浮浪人、無頼漢等がいないことは、田園の魅力を一層大にしている。

[やぶちゃん注:彼は揺られる人力車の中からでも日本を透徹する。とっくにそんな心を失ってしまった日本人である私は、私を嫌悪するのである。]

M151

図―151

 図151は我々の実験所で、私の知っている範囲では、太平洋沿岸に於る唯一の動物研究所の写生である。

 二週間前の私は、かかる性質の研究所のために小舎を借り受ける努力を、書きとめることなどは、価値がないと思っていたであろう。米国にいれば私はイーストポートへかけつけ、波止場の建物の上階を借り、大工を雇って私の希望を伝え、保存罐を買い、かくて半日もあれば仕事に取りかかれるからである。私がドクタア・マレーに向って小さな家を手に入れ、それを特に私の研究のために準備するという案を話した時、彼は意味ありげに笑って、非常に多くの邪魔が入るに違いないといったが、まったくその通りであったといわねばならぬ。第一適当な建物を見つけて、その持主にそれを私の為に支度させるのを承諾させる迄に、大部時間がかかった。彼は来週それをするという。いや、今すぐでなくてはいけない。そうでなければまるで要らないのだ。それから万事通弁を経て説明する。日本にはテーブルなど無いから、田舎の大工の石頭に長いテーブルを壁の所に置くということを叩き込もうとする。日本人は床に坐るので椅子なんどは無いから椅子を四つ作らせる。棚をかけさせ、辷(すべ)る仕切戸でしまる長い窓なるものを説明し、日本人は家に鍵をかけないから、辷る窓とドアとに一々錠前をつけることをいって聞かせる。私に出来た唯一のことは、横浜へ行って南京(ナンキン)錠と鐉(かけがね)とを買い、それを自分で取りつけること丈であったが、同時にアルコール、壺、銅の罐等を手に入れるのも、たしかに一と仕事であった。壺に就いては、私は辛棒しきれなくなって、横浜へ行き、一軒の日本人のやっている古道具屋を見つけ出して、塩の瓶を買おうとした。だが、既に東京から申込みがあったので、他の壺は売れるがこれ等は駄目だという。三日後、東京から私に宛てた重い荷物を背負った男が四人乗り込んで来た。荷を解くと東京の硝子工場で製造した非常に優秀な壺が数箇以外に、私が横浜で買おうとして大いに努めた塩の瓶その物が、四十ばかり入っていた!

[やぶちゃん注:「イーストポート」メイン州東端に位置する漁師町のことか。因みに、ここの沖は西半球最大の渦潮である“Old Sow”(オールド・ソー:年老いた雌ブタ)で知られる。]

 ドクタア・エルドリッジはこの建物と、壺、銅罐、小桶、篩(ふるい)、アルコール箱等の完全な設備を見て驚いていた。来週はドクタア・マレーが来る。私は一刻も早く、彼に、元気と激励と勢の強い言葉との充分な分量さえあれば、実験所の設備は出来上ることを見せたい。私の日本人の助手達は、何でもよろこんでするが、時間の価値をまるで知らぬ。これは東洋風なのだろうと思うが、それにしてもじりじりして来る。今朝三時、私は飛脚に起された。曳網の繩が届いたというのである。私はねむくって受取に署名しない位だったが、然し多くの経験に立脚して、日本人は夜中起されても平気だし、また他人の安眠を妨害することを何とも思わぬ国民だという概括をなす可く、余りにねむくはなかった。

[やぶちゃん注:磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の九二頁の再現日録に、

   《引用開始》

○二十七日 台風一過。実験所は被害なし。早朝磯採集。ドレッジ(底曳き)用の編や標本保存瓶などがやっと到着。この数日、モースは日本人の仕事ぶりののろさにイライラしどおしだった。

   《引用終了》

とあるのは、前段及びこの部分の叙述に基づくものであろう。]



――恐らく誰にも理解出来ないであろうが、今、僕はこのモースの文章の電子化と注釈に、殆んど恍惚と言ってよい至福感を味わっているということだけはどうしてもここで言っておきたくなった――

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