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2013/07/09

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 19 お岩屋探検

M140

図―140

 今朝、外山氏及び二人の彼の友人と共に舟を賃(か)り、我等の入江からこぎ出して、外洋に面した島の岸へ廻った。ここには満潮痕跡に近く一つの洞窟があり、我々はこれを調査したいと思ったのである。鷹揚に我等の舟を上下させる、大洋の悠々たるうねりに乗って帆走するのは、誠に気持がよかった。島の前面の切り立った崖の上に松の木が並んだところは絵のようであった(図140)。汀に近い岩の上には、インディヤンみたいな色をした男の子が十数人、我々の投げ入れる銅貨を潜って取ろうとして、勢い込んで走り廻っていた。洞窟は岩に出来た巨大な割れ目で、以前海中にあった頃、波がまるくしたのに違いないと思われる。今は波は僅かに入口に達する丈である。岩は淡色をしているので、洞窟の暗い入口が一層際立って見える。百五十フィートばかり入った所に金簿を塗った神道の祠(ほこら)があり、これが入口から入り込むいささかな光を反射して、暗い洞窟中で目立っている。この祠は高さも幅も十フィート近く、非常に精巧な彫刻が施してある。この暗い、湿った洞窟は、祠を置くには奇妙な場所であるが、而も日本では顕著な地形の所、例えば此所とか、山の頂上とか、絶壁や深い谷の口とかに、信心深い人達が彼等の教会なり神社なりを立てる。この祠の片側を通りぬけることが出来る。後方はまっ暗で、ここで灯を貰い、我々は数百フィート進んで行ったが、お仕舞(しまい)にはかがまねはならぬようになった。この辺は、我々の蠟燭の覚束ない光を除けば、絶対に暗黒である。洞窟のどんづまりには、ぼろぼろに腐った古めかしい板の壁があつた。この壁の内には木の格子があり、そこからのぞくと直径十二インチばかりの、磨き上げた金属の鏡が見えた。これは神道の祠を代表している。帰りには一つの横穴に入ったが、ここにもどんづまりに格子があり、その間から見ると神社と鏡とがあった。この路は二人が並んで歩くことが困難な位で、壁には石に刻んだとぐろを巻いた竜、その他の神話を象徴した姿があった。私はジャヴア、インド、支那等で、驚く可き岩石彫刻や巨大な寺院を残した、初期の信仰者達の、信仰と敬虔とを思わざるを得なかった。あるいは微光昆虫がいるかと思って、私は注意深く壁を精査したが、暗さが足りないので、典型的な洞窟動物は発見出来なかった。私は二匹の小さな蜘蛛と、二匹の非常に小さなワラジムシとを見つけてうれしく思ったが、殊に二匹の洞窟蟋蟀(こおろぎ)は何よりもうれしかった。これ等は恐ろしく長い触角を持ち、我国のよりも遙かに小さく、鼠色をしていて実にいい複眼を具えている。私は初めて、日本の海水の水たまりを見て楽しんだ。私は引き潮の時、岩から大きなヒザラガイをいくつか拾い上げた。また、それ迄貝殻だけで見知っていた軟体動物が、生きて這い廻っているのを見たのは大いに愉快だった。

[やぶちゃん注:モースはここで現在の第一岩屋及び第二岩屋の原型を踏査している。磯野前掲書(九二頁)によれば、これは七月二四日のことで、外山と二人の友人というのは乙骨と助手の松村任三のことである。モースの嬉々としている様子が如何にも微笑ましい。私はこの場に/この場にこそ、いたかった――。

「百五十フィート」凡そ46メートル。

「高さも幅も十フィート」第一岩屋の当時の内部。高さ幅ともに約3メートルである。

「数百フィート」100フィートは約30メートルで現在の第一岩屋の奥行は公称で152メートル(第二岩屋は56メートル)であるから、この表現はおかしくない。

「洞窟蟋蟀」原文“cave crickets”。

「軟体動物門多板綱新ヒザラガイ目クサズリガイ科ヒザラガイ Acanthopleura japonica またはその近縁種と考えてよい。原文の“chitons”は多板綱 Polyplacophora の英名。扁平な体を持ち、背面に一列に並んだ八枚の殻を持って点が特徴で、現生軟体動物の中では例外的に見た目の体節性を感じさせる体制を持っている。モースが本種にいたく感激しているのは、本種が軟体動物では比較的古形に属するものとされていること、モースの専門である腕足類シャミセンガイ類もかつて『生きている化石』と称されたこと(これは現在では厳密には必ずしも正しい謂いとは言えない。形状の酷似した腕足類の化石生物が多数見つかってはいるが、内部構造がかなり変化していることが確かめられており、実際には現在のものとは別の科名や属名がつけられている)などとの連関が感じられたからに違いない。]

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