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2013/07/16

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 10 / 了


M164


図―164

 東洋風の習慣の一つが、路傍なり、又は内々なりで話をして、人々をもてなし廻る公共的の談話家に見られる。日本の話し家は旅をしては、天幕の下にすみやかに聴衆を集める。日本語はまるで判らぬながら、私は話し家と、話しに聞きほれてよろこんでいる聴衆とを見て、楽しんだ。私は旅館に来た話し家の話を三十分間も聞いた(図164)。彼の顔面筋肉は不思議な働きをし、また違う人物を表示するために、突然声の調子を変化させる所は興味が深かった。彼の聴衆である所の学生達は、ある種の人物がゆっくりした、おせっかいな声で表現された時、戸を立てて笑った。すると話し家も同じように嬉しがった。彼は低い机を前にして坐り(これは将棋盤を特に借りて来たのである)そして舞台道具として、三つの品物を持っていた。その一つは扇子で、時に右手で、時に左手で持つ。他の一つは閉じた扇子のような品で、これは薄い木片に紙をまきつけたもの。彼は話に調子をつける為に時々これで、強弱の差をつけて、机をひっぱたく。第三の品物は小さな木片で、彼はこれを屢々取り上げては、カチンカチンと机を叩く。
[やぶちゃん注:これは叙述と図から見て講談師であろう。]

 実験所の世話をやく男は大いに成績がいい。彼は曳網で上げた砂から小さな貝を取り出し、大きなのを洗い、自己の仕事に非常な興味を持っているらしく見える。彼は、一週間一ドル二十五セントという莫大な労銀で、四六時中我々のために、ありとあらゆる仕事をする。

[やぶちゃん注「莫大な労銀」原文は“a princely sum”。この英語は表面上は高額の謂いであるが、実はおどけて小額やはした金の謂いでも用いる。しかし、先に示した通り、明治9(1876)年の為替相場で1米ドルは0.98円であり、当時レートはほぼ1ドル=1円の等価であったこと、明治期の1円が2万円(かそれ以上)ほどの価値を持っていたという事実を考えれば、これはまさに文字通り、額面通りの「莫大な労銀」ということになろう。]

M165_2

図―165

 今日(八月十四日)子供達はみな派手な色の着物を奇麗に着ている。何かの祭礼を祝うものと思われる。実験所に行って見ると、小使が自分の子供の頭を剃っている最中であった。一番下の子はすでにその苦難をすごして、姉さんの背中で眠ていた。彼等を写生しようとしている時に、赤坊が目を覚まして泣き始めた。姉さんはそこで腰かけから下り、背中の赤坊を、一種のゴトゴト動かすような運動でゆすぶりながら、歩き廻ったあげく、また腰かけに腰を下した(図165)。今日の祭礼は、彼等の先祖を祭るものだとのことである。午前中、子供は少量の米を、自分の家から持って来るなり、他人に貰うなりして、以前は海岸に置いた大きな釜でそれを煮たものだが、今は家の中で煮る。子供はめいめい塗椀を持って、自分の分け前を貰うために大勢集って来る。図166は子供を背負った婦人を示しているが、子供は手に漆塗りの飯椀を持って、自分の所に御飯の来る番を待っている。御飯には、お祭なので、赤いような色がつけられるが、これは我国の曲馬で売るレモン水が、桃色であるような訳合いなのだろうと思う。この色は米と一緒に煮る豆の一種から出る。私は子供達にまじって写生しようとしたが、彼等はあまりに私に不安を持ち過ぎ、殊に女の子達は私が一番みっともなくないチビ公(彼等は概してあまり奇麗でない)をつかまえようとしたものだから、大いに恐れを抱いて了った。私は日本人が我々の子供の一人を捕えようとしたら、彼等が恐ろしく思うと同じ理由を、この子供達が持っているということを、容易に理解出来なかった。男の子達は私のいることをよろこんだらしく、私は大きな声で笑いながら盛に彼等と騒いだ。

M166

図―166

[やぶちゃん注:江の島の漁民たちは、先にモースが描写した、江の島横浜間での旧暦の盂蘭盆の情景とは異なり、新暦でお盆の行事をしていることが分かる。]

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図――167

 今日実験所の小使が子供の衣類をつくろっていた。彼の細君は私の宿屋の女中をしていて、こんな仕事をする暇がないのである(図167)。

 日本人は実に器用に結びをつくる。彼等は藁で安い繩をつくり、紙で恐ろしく丈夫な紐をつくる。建築をする時の足場はすべて釘を打たずに繩でしばる。釘は材木を弱くするからである。接触点には繩を幾重にもまきかけて、非常に強い定着をつくり上げる。

M168

図――168

 横浜からの路上の一軒の宿屋(図―168)には、外国の麦酒(ビール)があるという小さな英語の看板が出ている。前面の、木造で物置に似た屋根にめぐらした流蘇(ふさ)は、幅三フィートの青い布で、一フィートごとに半分程裂け、風が通るようになっている。

[やぶちゃん注:「流蘇(ふさ)」「ふさ」は当て読みであろう。「りゅうそ」は糸や毛などで組んだ飾りの総(ふさ)のことである。

「三フィート」90センチメートル強。]

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