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2013/07/11

耳嚢 巻之七 商家義氣の事 (商家義氣幷憤勤の事)

 商家義氣の事

 近き比(ころ)の事也とや、伊勢より一所に江戸表に出しとや、また同じ親方に仕へ、一同に別家の店もちける也。貮人ながら兩替屋を出しけるに、殊の外身上を仕廻し相應に金銀も繰廻し右德にくらしけるが、素より懇意に致(いたし)甚だ心安く、斷琴の交り成(なり)しが、右の内壹人相果て、其子の代になりしに年若故、遊興等に得□身上六ケ敷(むつかしく)、最早戸をも建(たて)んと思ふ心に成しが、去(さる)にても親の代わけて懇意の事故、今壹人の老人の方へ至りて相談なさば元手金(もとで)も合力(こふりよく)なさんもと思ひて、彼(かの)老人申けるは、親仁さまより懇意の事故、其事をも申出しけるが、當時我等迚も金子手廻り候間、貮三百兩の金用立遣し度候得共(たくさふらえども)、親に似ぬ其許(そこもと)にかすべき金はなし、かく恥しめを無念と思ひ給はゞ、何卒心底より改(あらため)稼ぎ給へと申(まうし)けるにぞ、彼もの恥入(はぢいり)詮かたなく宿へ歸りしが、去にても我身を後悔して助力を賴(たのみ)しに、かく恥し事無念の次第也、いかさまにも致(いたし)て身上取直し、此恥を雪(そそぐ)べしと大に怒りて、夫よりは通路(つうろ)もなさず身を□て稼(かせぎ)けるが、其志の爲(なす)所にや、三年程に元の如くの身上と也し由。是を聞て彼老人、金百兩を懷中して、彼若き商人の方へ來りて、三年以前汝を恥しめし以來憤り候と見へて通路もなし、右は其砌金貮百金かし候ても、御身の心根より屈伏無(なき)事故、害は有共(あるとも)長久の謀(くはだ)てなし、されば我恥しめしを忿怒して、斯(かく)身の上も取直されたる段、悦ばしき事也、今百金用立は聊かながら百金は目に立(たつ)福分也とてあたへければ、彼若者も其志しを感伏しけるが、百金は借用も同樣也、當時入用も辨じ候迚相歸しぬ。其後彼老人も身まかり貮代目になりて、此貮代目は遊興等もなさゞりしが、不仕合にて身上しもつれ、前に引替(ひきかへ)貧しくくらしけるを、彼百金を不受(うけず)、親の代の事もあれば助力の事も不申入(まうしいれず)、欝々とくらしけるを、彼若者是を聞て、老人の貮代目の方え來り、志を建(たて)身上取直し給へ、我も親仁の諫行(かんぎやう)に恥て身上取直したり。是を元になし給へと貮百金を借(かし)けるが、此貮代目も其志諫(かん)に勵(はげま)されしや、無程(ほどなく)元の如くに身の上を取直しけると也。

□やぶちゃん注
○前項連関:町屋商家の人情咄で連関。既に示した通り、四つ前の話の冒頭か本話の標題と冒頭とが錯文している。そちらの標題「商家義氣幷憤勤の事」こそがこれに相応しい(四つ前の話は岩波のカリフォルニア大学バークレー校版にある「鄙婦貞烈の事」で、それで訳した)ので、現代語訳はそれを用いた。
・「右德」底本では、右に『(有德)』(「うとく」と読む)と訂する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も「有徳」。
・「斷琴の交り」最も心の通い合う友情のこと。春秋時代の琴の名手であった伯牙(はくが)が、自分の奏でる琴の音を心から理解してくれた友人鍾子期が死んだ後は、琴の弦を断って弾かなかったという「列子」湯問篇の故事に由る成句。
・「年若故、遊興等に得□身上六ケ敷、」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではここが、
 年若(わか)故遊興等に染み段々身上六ケ敷(むつかしく)、
とある。ここはバークレー校版で訳す。なお、この「染み」は「そみ」とも「なじみ」と訓じ得る。
・「建ん」底本では、「建」の右に『(閉)』(「うとく」と読む)と訂する。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『たてん』と平仮名書き。
・「去にても親の代わけて懇意の事故、今壹人の老人の方へ至りて相談なさば元手金も合力なさんもと思ひて、彼老人申けるは」底本には、「思ひて」の後の読点の右に『(ママ)』注記がある。そこで岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を見ると、ここは(本文と合わせるために恣意的に正字化し、踊り字「〱」は「々」に代え、読みも歴史的仮名遣に直した)、
 「さるにても親の代かけて懇意の事(こと)故、今壱人の老商の方へ至(いたり)て相談なさば元手(もとで)金も合力(かふりよく)なさん」と思ひて、彼(かの)老商の方へ至り、「斯(かく)々の事にて身上もたて續(つづき)がたき」と申(まうし)ければ、彼老商申けるは
となっていて、脱文であることが判明する。ここもバークレー校版で訳した。
・「其事をも申出しけるが、」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではここが、
 其事をも申出しけるか。
となっている。この方が訳し易い。バークレー校版で採る。
・「かく恥し事」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではここが、
 斯く恥しめし事
となっている。バークレー校版で採る。
・「身を□て稼けるが、」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではここが、
 身命を抛(なげうち)て稼(かせぎ)けるが、
となっている。バークレー校版で訳した。
・「雪(そそぐ)」は底本のルビ。
・「謀(くはだ)て」は底本のルビ。
・「此貮代目も其志諫に勵されしや」底本では、「諫に」の右に『(ママ)』注記があるが、これは不審。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も全く同じで長谷川氏は特に注しておられない。鈴木氏はこの直前の、かの男が自分の過去の経験を述べたことを「諫」めとは採れない(実際にはこちらは金を貸しているから)とお考えになったのであろうが、これは私は立派に正しい「諫」めであると、私は思う。
・「目に立福分也」岩波版で長谷川氏は(但し、バークレー校版ではここは『目に見ゆる福分也』となっている)、『以前のように無駄に費消することなく、有効に利益をあげられる。』と注しておられる。
・「當時入用も辨じ候迚相歸しぬ」この部分、私にはすこぶる難解であった。私は取り敢えず百両を受け取ったと解した。大方の御批判を俟つものである。
・「彼百金を不受、親の代の事もあれば助力の事も不申入、欝々とくらしけるを、彼若者是を聞て」この冒頭の「彼百金を不受」は不審。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版を見ると、ここが(本文と合わせるために踊り字「〱」は正字に代え、読みも歴史的仮名遣に直した)、
 親代(おやだい)の事もあれば助力の事も不申入(まうしいれず)、うつうつと暮しけるを、彼百金不請(うけざる)若商是(これ)を聞て、
となっており、すこぶる分かり易い。やはり、これで訳した。

■やぶちゃん現代語訳

 商家の仁義并びに発憤して勤めて身上(しんしょう)を取り戻したる事

 近き頃のことであるとか。
 何でも、伊勢より一緒に江戸表へ出て参ったとか申し、また、同じ親方に仕え、同時にまた、暖簾分けを許され、それぞれのお店(たな)を持った二人の商人が御座った。
 二人とも、同じく両替屋の看板を出し、商いも右肩上がり、両人ともに殊の外、富裕なる身と相い成って、相応に蓄財の運用もうまく致し、いやさかに栄えて御座ったと申す。
 が、もとより、二人、昔馴染みなれば、懇意に致いて、はなはだ心安う、謂わば、まさに「断琴(だんきん)の交り」とでも申そうず付き合いで御座ったと申す。
 ところが、このうちの一人が相い果て、そちらは子の代となったれど、年若のことゆえ、遊興なんどにも、つい深く染まって、瞬く間に身上(しんしょう)を潰しかけ、最早、店を畳むしかあるまい、なんどと思い込むほどになったと申す。
 ところがそこで、
 『……あっ……そういえば……お父っあんの代に、別っして懇意にして下すった、あの同業のお方が御座った!……今の、この折り……あのご老人が方へ参って相談致さば……きっと元手金(もとで)なりと、合力(こうりょく)なりと、よきように計ろうて下さるに違いない!……』
と合点致いて、かの両替商の老人が方へと参り、
「……実は……お恥ずかしき話しながら……かくかくの仕儀にて……」
と己れの放蕩の懺悔もし、しおらしゅう、助力懇請を願い出たところが、かの老人の曰く、
「……親仁さまの代より、まっこと、懇意に致いて参ったゆえ、そうしたことをも、申し出て御座られたかいのぅ。……今日日(きょうび)、我等方にては……節制するところは、これ、しっかと節制致いてのぅ。……まあ、相変わらず塩梅よう、金子の廻(めぐ)りも悪うは御座らぬ。……されば……我らが昔馴染みの無二の知音の子(こお)なれば……二、三百両の金を用立てんことは、これ、出来ぬ相談ではない……が……しかし……お前さんのような……遊興にうつつを抜かし……我らと同じほどにあったはずの、かの友が血の小便して一代で気づき上げた身上を……あっという間に潰してしもうたような……凡そ……あの友たる親に似ぬ……そこもとには……これ――貸せる金は――御座ない。さても――かく、我らより恥しめを受けたを――これ、無念と思ひなさったとなれば――何卒、心底(しんそこ)、心を入れ替え、一から稼ぎ直しなさるるが――よいぞ。――」
とけんもほろろに喝破された。
 かの若者、返答の仕様も、これ、御座なく、ただただ、恥じ入って無言のまま、詮方なく、家へとたち帰ったと申す。
 その晩のことで御座る。
 若者は独り、己が家の奥座敷にて、まんじりともせず立ち竦んで御座った。そうしてやおら、
 「……それにしても!……我が身を心より後悔致いて、これ、助力をお頼み申したに!……かくも恥かしめを受けたること!……如何にしても!……無念なることじゃッ!……こうなったら……何としても……我ら独りの手(てえ)で、身上取り戻し……この受けたる恥を雪(すす)がずんばおくものカッ!……」
と、独り大いに怒り叫んで御座ったと申す。
 それより、かの亡父の知音老人とは一切、これ、交わりを断ち、もう、身命(しんみょうあ)を擲(なげう)ったる覚悟にて、商売に精出した。
 その覚悟の志しのまっことなる証しにや、三年ほどのうちに、元の如くの身上を取り戻いて御座った。
 さて、このことを風の便りに聴いた、かの亡き父の盟友が老人、ある日のこと、金百両を懐中致いて、かの亡友の子の、若き商人の方を訪ねて参ったと申す。
 若者は、ここは一つ、かの会稽(かいけい)の恥を雪がんものと、横柄な態度にて老人に向かったところが、老爺の曰く、
「……三年以前、そなたを恥かしめて以来、お憤りになられたと見えて、一切の交わりも、これ、御座らなんだのぅ。――我ら――あの折り、金二百両もお貸し致いてたとて――御身は心底(しんてい)より悔い改めては、これ、御座らなんだによって――その金――そなたに害となるとも、これより先の長く久しき再建の企(くわだ)てが糧(かて)には、これ、一文の足しにはならぬ――と――見抜いた。――されば、我ら、そなたを思いっきり恥しめて御座ったじゃ。――それをそなたは――美事――心底――忿怒致いて――しかして――かくも身の上――取り戻されて御座った! この段、そなたの父の友として、これほど悦ばしきことは――ない!――さても、今や、そなたへ百両の用立てを致す――というは――これ、何の用立てにもならざるように思わるるやも知れぬ――が――この百両は――聊かながら――されど百両!――最早、以前のように無駄に消ゆることもなく――まことの利として――これ、いやさかに増えるところの……そうさ、目に見えて必ず栄える、神仏の与えて御座った『福分福田』にて御座る。――納めらるるが、よいぞ――」
と語ると、懐中より百両を差し出だいた。
 かの若者は、それを聞くや、大いに感服致いて、
「……あなたさまのお心、これ、よう分かり申しました。……さても既に、その百両……これ、とうの昔に……御借用致いたも同様のことと御座まする……されど……いや……確かに今、私どもにとって――大事の入用のもの――と――取り計ろうて、確かに頂戴仕りまする……」
と答え、百両を受け取とると、老人に深く謝した上、お帰し申したと申す。
 さて、それからまた暫く経ってのことで御座る。
 かの亡父知音の老人も、これまた遂に身罷って、今度は、そちらの方の二代目の代となったと申す。
 こちらの二代目の若者は、これ、かの先の若者とは異なり、遊興なんども致さざる実体の者にて御座った。
 が、巡り逢わせの悪しき因縁の者にても御座ったものか、不幸にも、身上、これ、すっかり左前と相い成り、父の代に引き変え、すこぶる貧しき暮しをして御座ったと申す。
 されど、この若者、親が、かの父の知音の息子に対する、厳しき拒絶のことだけを家伝としては聞き知って御座ったばかりなれば、かの亡父知音の若者への助力嘆願なんどということも、これ、決して申し入るることも御座なく、そのまま不如意に鬱々と暮して御座ったと申す。
 ところが、かの起死回生の復帰を遂げた若者、その故老爺の子息の、すこぶる貧窮なるを風の便りに聴くや、その老翁が二代目方へと早速に訪ね参って、
「――どうか、志しをしっかりとお立てになり、身上を取り戻されなさるがよい。我らも、そなたの親仁どのが諌めに恥じ、辛くも身上を取り戻して御座った。……さても一つ――これを――元手金(もとで)となし――お気張りなされい!――」
と、懐より二百両の金を、黙って貸した、と申す。
 この二代目も、その志しと、その諌めとに励まされたものか、程無う、元の如、身上、これ、やはり父と同じように――また――かの若者と同じように――取り戻いた――と――申す。

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