フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 岡崎武志「昭和三十年代の匂い」 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 蝙蝠 »

2013/07/25

2013年8月7日にアトムは僕らを救ってくれるか?

岡崎武志「昭和三十年代の匂い」(ちくま文庫2013年5月刊)の「5 科学の未来が明るかった時代」の中に「鉄腕アトムは二〇一三年の話」という章がある。

岡崎氏は、『少年』の昭和34(1959)年2・3月号に掲載された「鉄腕アトム」の「月のうらの秘密の巻」があるが、これは後に「イワンのばか」と改題され、アメリカの一九六九年の月面着陸成功後の単行本化の際、手塚治虫が話の前に加筆、『手塚治虫自身が月の絵をバックに語り出』し、そこにアトムが登場し、仕事机に坐って振り返って笑う手塚に「先生は 月が死の世界ではなく 空気があって 植物もあるって このマンガにかいたでしょ あたりませんでしたね」と背後から語りかける。手塚は「そんなものはないことはわかっていたよ でも月の夢物語ををつくるのはほんとうにたのしかったな」と答える、とある。
実はこの加筆シーンは僕の持っている講談社の「手塚治虫漫画全集」(昭和1980年刊行)の「鉄腕アトム6」の「イワンのばか」の巻には載っていない。これは発表時の原型で掲載されたもので、この加筆はないからである。
僕はこの加筆を見たかどうかと言われると、高い確率で読んでいないように思われる。しかし、僕は小学生の低学年の時(月面着陸は僕が中学一年の夏である)に改題された「イワンのばかの巻」を読んで、題名とロボット・イワンの造形と最終コマの雪の降る(!)月面の廃船と十字架が、何故かひどく哀しく印象に残ったのを覚えているのである。

さて、岡崎氏は特にこの「イワンのばかの巻」を詳述せずに続けて、四方田犬彦の「鉄腕アトム」の時代設定考証の論(1992年刊講談社コミックス版『鉄腕アトム 第三巻』解説)を引き、「鉄腕アトム」の『舞台になっている東京は、どうやら二十一世紀の初頭、年代にしてみると二〇〇七年から二〇一〇年ぐらいではないか、とわたしは睨んでいる』と提示する。
ところがその直後に唐突に岡崎氏は、
『じつは、あるシーンで、『鉄腕アトム』の時代は二〇一三年とはっきり特定されている。』(「昭和三十年代の匂い」97ページ)
と記されているのである。

まさに――2013年――今年である――

その後は、やはり四方田氏によるアトム誕生は「地上最大のロボットの巻」(『少年』昭和39(1964)年6月号~昭和40年1月号連載)で、産みの親天馬博士がアトムに対して言う「十四年前におまえは科学省で生まれた」という台詞から『一九九三年から九六年くらいの間に造られた計算になる』という考証を示してアトムを平成生まれと規定する。但し、残念ながら私の所持する講談社版全集及び浦沢直樹「プルートゥ」の附録版――後者は初出の冒頭に加筆があり、やはり手塚治虫が登場している――では『十四年前』という台詞は書き変えられて、「科学省の精密機械局……その台の上で誕生したのだよ」となったものと思われる。

[*やぶちゃん補注:この改変事実からも分かるように、ある時から手塚治虫は『鉄腕アトム』時代設定に関わるような部分を手直ししたり、抹消したりしている事実が判明する。それは恐らく初期設定から時間が経過するに従って、現在に著しく近づいてくることによる違和感を払拭する狙いがあったものと思われるが、これは初出誌を持つことを誇りとするようなファンではない(しかし手塚治虫をつい「先生」と呼びたくなる)僕のようなフリークではない人間にとっては、作品を読解するにはすこぶる困った仕儀であったのである。]

その後に岡崎氏の本でも提示されるように、原作の公式設定では、現在、

アトムの誕生日 2003年4月7日

と規定されているのである(ウィキの「鉄腕アトム」参照)。

だとすれば今日、2013年7月25日現在で、アトムは満10歳である。

ここで少し、修正された原時代設定の一つを考察してみたい。
実はその大きな論拠になるのが冒頭に示した「イワンのばかの巻」なのである。ここでは何と正確な年代が話中に示されるのである(以下は1980年刊講談社全集版に拠る)。
アトムは小学校の春休み(掲載時期から推定)に宇宙旅客艇のボーイとしてアルバイトとして乗り組むが、隕石に激突して5人の乗客とともに月の裏側へ不時着して救助を待つことになる(空気も水も植物も存在する)。アトムは探索中にクレバスに落ちた旧式の宇宙船を発見、そこで残されたテープ・レコーダーの録音を再生すると、その宇宙船は

1960年

にソ連政府の極秘命令を受けて月の裏側に出発した単独有人月ロケット「ウラル」であり、飛行士は若きミーニャ・ミハイローヴナソ連空軍の女性中尉であったことが判明するのである。まだ起動しているロボット・イワンはアトムをミーニャと錯誤し、アトムの世話をしようと押し留めるのを何とか振り切り、仲間避難客のもとへと帰還、事情を述べる。アトムから聴いた内容を避難客の少年が他の連中に説明するシーンで、少年は、

「そうです 五十年前不時着したソ連のロケットです」

と言うのである。ということはこの

「イワンのばかの巻」の作中時間は2010年

に確定される(「五十年前」という台詞をどんぶり勘定の数値とする要素は読む限りに於いて殆んどないと断言出来る)。

ところでここに別に今一つ、「鉄腕アトム」の解析では沢山おられるであろう緻密な研究家のお一人の考察をネット上で見ることが出来る。手塚治虫とは昆虫学でまず繋がっておられる中谷憲一氏のサイト「がたろ写真帳」の中の「お茶の水博士の誕生年」という考証である。そこで非常に重要な考察として、実は原作者の手塚には元来、「鉄腕アトム」の『時代設定を厳密にする気が無かったのであろうと推測』されること、また『アトムの生年月日が明確に設定されたのは何らかの理由があったからだ』という提起がなされている点である。「鉄腕アトム」の全話構成が編年的体裁をとらねばならない理由は無論ないし、また「鉄腕アトム」を一つの文化的メルクマールとして良い意味でも悪い意味でも何らかの主義主張の求心的動力として利用しようという存在にとっては、アトムの生年月日を特定することは確かに有意にして有価値な厳とした目的が存在することは言を俟たない。それは中谷氏やその他のフリーキーな人々の内的欲求とは限らない。もっと外延的な政治的経済的科学技術的な「妖しい目的」をその背後に嗅ぎ取ることが出来るが、今は敢えてその問題に深入りはしない(但し、いつかはそれをせねばならない僕は思っているのだが)。
中谷氏はそこで、この「イワンのばかの巻」について以下のように叙述されておられる。
   《引用開始》
「イワンのばかの巻」(手塚,1987a)では,1965年に月の裏側に不時着したソ連の月ロケット「ウラル」の事故の50年後という設定である。つまり,2015年が舞台となっている。ただ,この月ロケット「ウラル」に乗っていた女性宇宙飛行士,ミーニャ・ミハイローヴナ空軍中尉の娘(ウラル事故当時10歳前後)が,月の女王になろうとして事件を起こす「ホットドッグ兵団の巻」(手塚,1987b)は,「ウラル」の事故から30年後の設定である。「ウラル」が1965年だとすると,アトム誕生以前の1995年が舞台となり,矛盾する。これは,60歳前後の女性が月の女王をもくろんで精力的に悪事を働くと設定するよりも,女盛りの40歳前後であるほうが自然であるからだろう。「ホットドッグ兵団の巻」の場合,時代設定は明示されていないが,鉄腕アトムの他のストーリーと同様に2015年前後と見るべきだろう。したがって,この場合の「ウラル」事故は1985年頃となる。
   《引用終了》
ここで中谷氏が使用している『(手塚,1987a)』というのは、記事末にある「文献」によってKCスペシャル305「鉄腕アトム第1集」講談社1987年刊の「イワンのばかの巻」であことが示されてある。ここで中谷氏は「ウラル」の打ち上げを、

1965年

と記しておられ、従って、

「イワンのばかの巻」の作中時間は2015年

にずれ込んでいることが分かる。
講談社全集版は1980年、この講談社KCスペシャル版は1987年の刊行である。
――深入りはしないと、前に述べたが、少しだけ述べさせてもらうならば、僕は検証した訳でもなんでもないが、手塚はアトムの漠然とした時代設定を現実に接することのない漸近線的なものとして漠然と少しずつ、先へ先へと押し遠ざけていたのではなかったかと思うのである。そうしてそれは現実の未来、その科学技術が齎してしまうところの恐怖の現実を、半ば無意識的に、無垢の存在である愛するアトムから、遠ざけるためではなかったろうかとも思うのである。――

これだけを見てもお分かりの通り、初出からその後の書き換え・加筆版及び現行、そして公式設定まで、総てのデータを並べて考証するには、およそフリークでオタクでない限り、無理な相談である。そうした違いを論って何かを主張することは僕にはとても出来そうもない。いや、実はする気もあんまり(あんまりではあるが)ないのである。

では、何故、今、こうして論考を書いているか?

それは実はこの、岡崎氏が「昭和三十年代の匂い」で呟いた、

『じつは、あるシーンで、『鉄腕アトム』の時代は二〇一三年とはっきり特定されている。』

がひどく気になったからのである。
この『あるシーン』とはどの話であるのか?
実は岡崎氏は述べていなかったからでもある。
そうして僕は何か直感的に、この『あるシーン』とはあの話の中ではないか? と思い至ったからでもある。
そうしてそれが「あの話」だとしたら……それは僕にとって、とても激しい動揺を起こさせるに足る――則ち、何かもを書かずにはいられなくなるほどの驚愕的事実となるものなのであった。
実は先に引用した中谷憲一氏の「お茶の水博士の誕生年」は昨日、それを調べるうちに発見したのであり、そこには岡崎氏の言う『あるシーン』がどの話しであるかが具体的に記されてあったのである。
そうして僕の直感はまさに当たっていたのである――
しかも――ここでも先と同じく作中時間の操作が行われていた形跡がはっきりと見つかったのである。

――「鉄腕アトム」の時代は今年2013年――

であり、しかも!……これからやってくる

――今年2013年8月7日のカタストロフ前後がその「鉄腕アトム」の作中時間に設定されている――

作品があるのである!

それは『少年』昭和28(1953)年5月号~11月号に連載された、

――「鉄腕アトム 赤いネコの巻」――

なのである。これについては実は先の中谷氏の「お茶の水博士の誕生年」の先の引用の直前に『「赤い猫の巻」(手塚,1987d)は2013年の武蔵野が舞台である』と記しておられ、恐らくはアトム・ファンの間では周知の事実なのであろう。この中谷氏の『(手塚,1987d)』はやはり「文献」欄によって講談社1987年刊「鉄腕アトム第7集」の「赤い猫の巻」(「ネコ」が「猫」と表記が異なっている)であることが分かる。ところが僕の所持する講談社版全集の「赤いネコの巻」には、実は、

――2013年とはどこにも書いてない――

のである。
「じゃあ、お前のさっきのの2013年8月7日というのは何じゃい?!」
と言われるであろう。
ここから僕のオリジナルな考証を示したいのである。

まず「赤いネコの巻」のストーリーを示す。これは僕の古いブログ「國木田獨歩 武藏野 又は 鉄腕アトム 赤いネコ」で行った僕の纏めた梗概に一部新たに手を加えたものである。……。原作の吹き出しの台詞の呼吸を一部再現するために空欄を設けた。台詞の傍点は下線に代えた。

*   *   *

冒頭、ナレーションのような吹き出し。
――二〇〇〇年の東京に立ってまず外人はめんくらう………――
――二十一世紀的文明と二十世紀の古さがごちゃまぜになったおかしな大都会だ………――
そして……
……殺伐とした未来都市東京を散策するヒゲオヤジによって以下のように朗読される。「武蔵野を 歩く人は 道をえらんでは いけない」「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」「その道はきみをみょうなところへみちびく……」「もし人に道をたずねたら……」「その人は大声で 教えてくれるだろう おこっては ならない」「その道は 谷のほうへ おりてゆく」「武蔵野には いたるところ……」「谷があり 山があり 林がある」「頭の上で鳥がないていたら きみは幸福である」……それと共に描かれるコマが皮肉な映像であることは言うまでもない……。 

彼は、「赤いネコ」とサインされた葉書を受けて、古びた洋館に呼び出されて来た五人の少年達を保護する。彼等の父親たちは、皆、新東京開発の関係者であった……。

赤いネコを探索追跡するヒゲオヤジとアトムは、山中の洞窟で動物学者Y教授の白骨死体を発見する。Y教授の友人であった御茶ノ水博士は「いつも この武蔵野が どんどんきりはらわれて 都会になってゆくのを なげいていました」と語り、ネコは教授の可愛がっていた「チリ」であると言う……。[やぶちゃん注:少し残念なのは、この教授のネームがそっけないイニシャルであることか。いや、これは「やぶちゃん」の「Y」なのかもしれないな。【2013年7月25日追記:ウィキの「鉄腕アトム」によれば、講談社の手塚治虫漫画全集版以降「Y」という不自然な名前になっているこれは、もともとは「四足教授」であったものが、差別用語に抵触する虞れから、そのイニシャル一文字に変更されたものである、とある。】]

その晩、チリがヒゲオヤジの寝所に現われ、「私の 主人は あの 美しい 野山が ビルディングの町になるのを くやしがって死んだのです」「お願いですから ビルの建築を やめさせて……」「きいてもらえなければ あなた はじめ みんなを のろい殺しますよ」と人語を操り、彼の銃撃をもかわして消え去る……。

日比谷の建設省のセンター開発公団を訪ねたヒゲオヤジは、公団の総裁[やぶちゃん注:ここで演ずるは、手塚のスターシステムの「ロック公」である。以下、彼をロック公と呼称する。]から、Y教授がこよなく愛していた武蔵野の一角「笹が谷」の開発工事が、一時はY教授の嘆願もあり、ロック公の判断でとり止められたにも拘らず、他の多数意見によって結局開始されてしまったことに恨みを持っていたという事実を聞かされる……。

学校。ガキ大将の四部垣以下は、ヒゲオヤジ先生にビルを建てられたら僕たちの遊び場がなくなる、反対! と詰め寄っている[やぶちゃん注:本当にあの頃は空き地がいっぱいあったし、そこは僕らのワンダーランドだった。]。放課後、四部垣は秘密の宝物を工事が入る空地に埋めていたのを思い出す。行って見たところが、野犬に襲われ、間一髪のところにアトムがやってくる。ネコの面を付けた男が現われ、誤って襲わせたことを詫びながら、姿を消す……。

怪しいとにらんだアトムはその空地に秘密の地下通路を見出し、四部垣と侵入するが、逆にネコ男に捕まって軟禁される。描かれるその地下基地は、多くの動物が収容され、まさにノアの箱舟の再現であった……。

抵抗するアトムの腕のジェット噴射で、男の面がはがれた。それは、死んだはずのY教授であった。地上に逃げ延びた二人が出たのは、少年達が呼び出されたあの洋館、Y教授の家であった……。

Y教授の生存が確認された今、田鷲警部は逮捕状の申請を主張するが、お茶ノ水博士はそれを抑え、自ら単身、洋館を訪れる……。

現われたY教授は、お茶の水博士の説得に対して、こう反論する。「大自然の 精が わしにかわって 人間たちに 復讐しているんだ これはずっと これからも つづくんだ」……そうして開発を中止しなければ8月7日に恐ろしいことがあると告げて去ってゆくのだった……。

ヒゲオヤジは、役人(先の「ロック公」)に、工事のとりあえずの中止を進言するが、彼は言い放つ。「都の命令がない以上むだんでやめられないのですよ」「私はやります」「東京の名誉のためにも」……。

8月7日。

ありとあらゆる動物達が、突如として一糸乱れぬ反乱を起こし、東京はパニックに陥る。アトムは下級生の子供たちを救おうとして、ビルに激突、突き刺さったまま、機能を停止してしまう……。

捨て身の四部垣と駆けつけたお茶の水博士によって復活したアトムは[やぶちゃん注:ここで再生したアトムはまぶしく光っており、抱きつこうとした四部垣に博士が「いまアトムのからだは原爆とおなじようなもんじゃ」と制止する台詞は伏線以外にも意味深長である。]Y教授を探し出し、そこにあった動物を遠隔操作していた超短波催眠装置を破壊して、彼と対決する。……

アトムに飛びついた「チリ」は、触れて瞬時に死に、破れかぶれととなったY教授は、ダイナマイトを、誘拐した隣室の子供たち投げつけようとし、その瞬間、アトムの機転で自爆してしまう……。

その頃、建設省では意外な事実を、お茶の水博士が暴露している。公団総裁のロック公は、口ではY教授の嘆願を受け入れたようなことを言っていながら、その実、全くの私利私欲のために「笹が谷」開発の強制執行に踏み切った張本人なのであった。丁度その頃、窓外の動物の群れは、すでに鎮静を取り戻していた……。

回生病院。廊下。歩くお茶ノ水博士と医師。

お茶の水博士「Y教授はどうだね? 爆弾でやられたのだからそうとうひどかろう」

医師「とてももちませんな あと二日か三日生きればいいほうです」

病室。Y教授のベッド。

お茶の水博士「Yくん わしじゃ わかるか」

Y教授(うわ言で)「ムサシノを かえ…せ…」

お茶の水博士(書類を掲げて)「心配ない Yくん 建設省から約束の書類をとってきたよ 見えるかい……もうだれも あの森には 手をつけないんだよ」

Y教授(目を開け、黒こげとなったチリを抱いて横たわっているが)「あ……ありがたい チリや あれを ごらんよ…」

お茶の水博士「Yくん 元気になってくれな」

Y教授「お願いだ わしが死んだら あの森の中へ 埋めておくれ……たのむ」

Y教授(オフで。画面にはベッドの端にたたずむヒゲオヤジが後の窓を振り返っている。窓外には森を背景に、左を向いた淋しそうなアトムが立っている。)「わしは 武蔵野を 土に なって 守りたい」……。[やぶちゃん注:この作、お分かりのようにアトムは狂言回しの役どころでしかないように見える。しかし、そうではない。このコマのアトムこそが、人間とロボットという二律背反に引き裂かれてしまった、まさに「人としてのアトム」のディレンマの表現であったのだと思うのである。]

……並木道。散策するヒゲオヤジ。ヒゲオヤジは呟く。

「武蔵野を 歩く人は 道を えらんでは いけない」

「ただその道を あてもなく 歩くことで 満足できる」

「その道はきみを みょうな ところへ みちびく……」

森。佇むヒゲオヤジの前に苔むした墓がある。

「そこは森の 中の 古い墓場……」

「こけむした 石碑がさびしく うずもれている だろう」

墓。フルショット。その墓石に刻まれた「Y教授墓」の字。

「頭の上で 鳥がないて いたら きみの 幸福である」

見上げるヒゲオヤジ。森の上を、鳥がねぐらへと帰ってゆく……。

ヒゲオヤジ(以下の台詞は一見「武蔵野」の一節であるように描かれている)「武蔵野は滅びない どんなに文化が 進んでも……」「この大自然はいつまでも きみたちを 待っているだろう」

最終コマ。数枚の落葉のある、地面に置かれた「国木田独歩 著 武蔵野」の本。その上に、一枚の枯葉が散っている……。

*   *   *

因みに、僕の本作への強い思い入れは、ブログ「國木田獨歩 武藏野 又は 鉄腕アトム 赤いネコ」に記したように、僕の中では国木田独歩の「武蔵野」への偏愛とのハイブリッドなものだからである。

さて、問題はこの作中時間が

――何故本年2013年

と特定出来るのかである。何よりも恐らく、先に中谷氏の示された、

講談社1987年刊「鉄腕アトム第7集」の「赤い猫の巻」の冒頭のナレーションは「2010年」ではなく「2013年」となっている

ものと推測出来る(他には2013年であることを示すデーティルは僕の全集版ではどこにも見当たらないことは既に述べた)から「事実」としてそうなのである(が僕は確認してはいないのである)。岡崎氏と中谷氏の二人が別個に述べておられるのだから間違いない。
「だったらそれでいいではないか?」
ということになるかも知れない。
しかしそれでは僕は、人の褌で相撲をとるようなものですこぶる気持ちが悪いのである。
そしてだからこそ、それでも、僕はしかし、この

――先行する「二〇〇〇年」と冒頭に書かれている講談社全集版の「赤いネコの巻」の作中時間さえも2013年であると断ずる

のである。何故か?

そもそも冒頭のナレーションであるが、これは吹き出しの形状(コマ外の作者が語っているタイプのものと知覚されるように描かれている)や3コマあるその描写(2コマ目には台詞がない)や、その台詞の内容、直後のヒゲオヤジの「武蔵野」の朗読音との絡みから考えても、ヒゲオヤジの台詞ではない。作者の口上なのである。

そしてそのナレーションの内容を再度見てみるならば、

――二〇〇〇年の東京に立ってまず外人はめんくらう………二十一世紀的文明と二十世紀の古さがごちゃまぜになったおかしな大都会だ………――

この「二〇〇〇年」とはかっちりとした狭義の西暦2000年とは僕には読めないのである。そもそも実際の2000年に皆が意外だったように、「2000年」は20世紀であって21世紀は「2001年」なのである(だからこそ「2001年宇宙の旅」は2001年なのである)。則ち、このナレーションの謂わんとするところは、

――2001年を過ぎ、21世紀に入ったばかりのこの東京にやって来て、その景観を眺めた外国人は必ず面食らうのである。………それはミレニアムから高々数年が経過したこの東京という「大都会」が、「大都会」とはいうものの、21世紀的文明と20世紀から連綿と受け継いできた何とも言えぬ日本的な古さが、ごちゃまぜになったところの、如何にも奇妙な「大都会」だからである………――

と言っていることは間違いないからである(因みに、作中の少年たちはメンコをしており、その背景は板塀であり、その脇に立っているのは木製電柱である。Y教授の秘密の抜け穴に繋がっているゴミ箱は総木作り、四部垣らが守ろうとするのは消滅してしまった遊び場としての懐かしい空き地である。これは総てまさに懐かしい昭和20年代末から30年代の風景なのである)。
とすれば、2001年以降でまだまもないのは、2013年であってよい。
「あっていいが、それなら2001年(クソのようなミレニアム問題など実はどうでもいいので2000年からとしてもよい)から2020年、いいや、2030年でもよかろうよ!」
と反論されるであろう。

しかし――それでもこれは2013年なのである。――

何故か?
梗概をもう一度見て戴きたい。
開発業者の少年たちが呼び出される葉書がある。これが不吉な本話の導入であるのだが、その「赤いネコ」とサインされた葉書には、実は

「十三日十三時東京都第四区一三丁め十三番地のうちへきたれ」

と書かれているのである(これは絵のみで28コマ目にアップされる)。
僕は

――この不吉な「13」に拘った葉書から
――本作のカタストロフに最もマッチするこの2001年以降でまだ世紀の初頭といったら
(去年のマヤ暦じゃあないが)、

2013年をおいて――他にはない――と思うのである。

恐らくここまで読んでこられて、がっくり来られた方が大半であろう。如何にもかも知れぬ。それも僕は何だかしみじみと感じるのである。

今日から後――ちょうど――13日後――である。

言っとくが、巧んだものじゃあない。今、数えてみてちょいと慄然としたもんさ……

2013年8月7日――もし――動物たちが――自然が――遂に人類を滅ぼさんとする反乱を起こしたとしたら……

……その僕ら人類を救ってくれるアトムを――僕らは持っていない――のである……

僕はただ――それだけを言いたかったのである……

……ここまで付き合ってくれた奇特なあなたを――僕は全力で――抱きしめる……ありがとう――

« 岡崎武志「昭和三十年代の匂い」 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 蝙蝠 »