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2013/07/10

蕪村俳句の一考察 萩原朔太郎

 先年、第一書房から出版した僕の『郷愁の詩人與謝蕪村』について、俳壇の人々から、意外に好意ある賞讚や批評をうけたが、書中

 戀さまざま願の糸も白きより

 の句に關する僕の評繹について、「ぬかご」の安藤姑洗子氏から、七夕の句であることを啓蒙注意された。「願の糸」が七夕の祭具であつて、現に歳時記にも載せられてゐるのを、僕が知らずに居たといふのは、いかに門外漢とは言ひながら、無知も甚だしく汗顏羞恥の至りであつた。しかし姑洗子氏のこの句に對する解釋も、僕には納得できない不充分のものであつた。同書にも書いた通り、この句は古來難解の句と稱され、多くの註釋家を惱ましてる蕪村句中のスフインクスで、未だ一として定説づけられた正解がないのである。それ故僕も極めて用心深く、遠慮しながら自分の獨斷的の直感を敍べておいたが、それも自分ながら不安心で、内心びくびくして居た次第であつた。

 その僕の評繹といふのはかうであつた。

[やぶちゃん字注:以下の引用は底本では全体が二字下げ。前後に行空け。『「さまざま」は』の後に読点があるが、『郷愁の詩人與謝蕪村』にはない。それ以外は忠実な引用である。]

 古來難解の句と許されて居り、一般に首肯される解説が出來て居ない。それにもかかはらず、何となく心を牽かれる俳句であり、和歌の戀愛歌に似た音樂と、蕪村らしい純情のしをらしさを、可憐になつかしく感じさせる作である。私の考へるところによれば、「戀さまざま」の「さまざま」は、「散り散り」の意味であらうと思ふ。「願の糸も白きより」は、純潔な熱情で戀をしたけれども――である。(下略)。

 つまり私は、これを失戀の句と解したのである。しかし現實のレアリスチツクな實感ではなく、遠い日の昔に過ぎ去つた、果敢なく侘しい失戀の追懷への、子守唄に似たノスタルジアの抒情詩と解したのである。

 所で最近、ふと「徒然草」の一節を反讀して、偶然にも蕪村の句の出所につき、はたと思び當る所があつた。

 徒然草の第二十六段に

[やぶちゃん字注:以下の引用は底本では全体が二字下げ。前後に行空け。引用の和歌は、底本では、示したところの上句と下句の有意な間隙とは別に、各字の字間に有意な空けが存在している。]

 風も吹きあへず、移ろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、あはれと聞きし言の葉毎に忘れぬものから、わが世の外になりゆく習ひこそ、亡き人の別れよりまさりて、悲しきものなれ。されば白き糸の染まむことを悲しび、道の巷の別れむ事を歎く人もありけむかし。堀川院の百首の歌の中に、

  昔見し妹が垣根は荒れにけり つばなまじりの菫のみして

 さびしきけしき、さること侍りけむ。

 この章の文意は、昔ちぎつた男女の、後に戀がさめ、心變りして生別れしことを、後日になつて侘しく思ひ出した感慨を抒したのである。

 文中の「白き糸の染まむことを悲しび」といふのは、支那の文獻の故事から引用したのださうであるが、人の心の變り易く、移ろひ易きを言つてるのである。上例の蕪村の句が、この徒然草の文章からモチーヴの暗示を受けてることは、殆んど想像するに難くない。姑洗子氏の教へる如く、「願の糸」が七夕の祭具とすれば、その七夕の日に、神への願ひを捧げる可憐な少女の姿を見て、昔の純潔な戀を思ひ、またその過ぎ去つた果敢ない少年の日のことを侘しがつてゐるのである。

  妹が垣根三味線草の花咲きぬ

といふ蕪村の句も、やはりこれと同想のものであつて、上述の文中にある歌「昔見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりの菫のみして」からヒントを得たものにちがひない。

 かう考へて見ると、「戀さまざま」の句に關する僕の解釋にも根據があり、充分の自信が持てることになる。

 蕪村の俳句の大部分が、過ぎ去つた過去の日への追憶であり、時間の遠い彼岸に對する、魂の侘しいノスタルジアであることは、既に前の著書で詳説した通りであるが、讀者は此等の句を玩味することによつて、さらに深く知る所があると思ふ。

[やぶちゃん注:『句帖』第二巻第九号・昭和一二(一九三七)年九月号に掲載された。太字「はた」は底本では傍点「ヽ」。初出と十箇所の異同が認められるが、総てが誤りの補正と認め得るものであるので、今回は校訂本文を用いた「郷愁の詩人與謝蕪村」の「戀さまざま願の糸も白きより評釈に対する批評を受けて書かれたものであるが、朔太郎の筆鋒は安藤姑洗子の歳時記的凡百批評の鈍刀(なまくらがたな)をチャッと返して、まっこと、小気味よいではないか。

 俳人安藤姑洗子(あんどうこせんし 明治一四(一八八一)年~昭和四二(一九六七)年)は臼田亜浪『石楠』創刊に参加、長谷川零余子の『枯野』に入る。零余子歿後は同誌を『ぬかご』と改題して主宰した(思文閣「美術人名辞典」に拠る)。

 「徒然草」第二十六段について簡単に注しておく。

・「風も吹きあへず、移ろふ人の心の花に」花びらをここぞと散らしてしまう風さえ吹くか吹かぬかという前に、あっという間に色褪せそそくさと散ってしまう花のようはな、移ろいやすい人の心に。「古今和歌集」春の紀貫之の、

   櫻のごと疾く散るものはなしと人の言ひければ、よめる

 櫻花疾く散りぬともおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ

及び同じく同集春の小野小町の、

   色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける

などを踏まえる。

・「白き糸の染まむことを悲しび、道の巷の別れむ事を歎く」「蒙求」上から生まれた墨子と楊朱の故事成句「墨子悲糸楊朱泣岐」(墨子は糸を悲しみ、楊朱は岐に泣く)に基づく。以下に示す。

〇原文

墨子悲糸、楊朱泣岐。

淮南子曰、「楊子、見逵路而哭之。爲其可以南可以北。墨子、見練糸而泣之。爲其可以黄可以黑」。高誘曰、「憫其本同而未異」。

〇やぶちゃんの書き下し文

 墨子、糸(し)を悲しみ、楊朱、岐(き)に泣く。

 「淮南子」に曰はく、「楊子、逵路(きろ)を見て之に哭す。其の、以つて南すべく、以つて北すべきが爲(ため)なり。墨子、練糸を見て之に泣く。其の、以つて黄(くわう)にすべく、以つて黑にすべきが爲なり。」と。

 高誘(かういう)曰はく、「其の本(もと)同じくして、末(すゑ)異(こと)なれるを憫む。」と。

「高誘」は後漢の「淮南子」の注釈者。

・「堀川院の百首の歌」堀河天皇の康和年中(一〇九九年~一一〇四年)、藤原公実・大江匡房(まさふさ)・源俊頼ら十六人の廷官が題を決めて一人百首計千六百首を詠んで献呈された和歌集。「昔見し……」の和歌は公実の作。「つばな」はイネ科チガヤ Imperata cylindrica、茅(ちがや)の花のこと。]

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