フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 7 | トップページ | 耳嚢 巻之七 修驗道奇怪の事 »

2013/07/15

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 8

使用フォントの関係上、明朝で示す。



 人はみな煙管(きせる)に火をつけるのに火打石と火打鎌とを使い、台所には必ず火打箱がある。私がこの国で見たマッチはスウェーデン製の安全マッチである。


M153_2

図―153

 我々は何艘もの舟とすれちがった。釣をしている者も、網を手操り込んでいる者もあったが、皆裸体で、黒く日に焼けた身体と黒い頭髪とからして野蛮人みたいであった。舟の艫(とも)に坐って、船頭四人がいい機嫌で笑いながら調子をそろえて前後に動き、妙な歌を唄って力強く艪を押すのを見ることは実に新奇であった。図153は舟と、仕事中の漁夫が如何に見えたかの大体を示している。

M154_2

図―154

 私のコックが、私のシャツに、焼け穴をつくつて了った。彼は悪気のないニタニタ笑いをしながら、炭火の入った土器とその上に透しのある竹籠の底を上にして被せた物とを見せて、事件を説明した。この籠の上に乾かそうと思う衣類を、図154のようにかけるので、自然炭が跳ねて衣類に焼けこげが出来る。私は一番薄い下着しか着ていないので、これ等はしょっ中洗っては乾かし、洗っては乾かしている。

[やぶちゃん注:伏せ籠(ご)である。]

M155



図―155


M156

図―156


M157

図―157

 ここに出した写生図は、宿屋に於ける私の部屋の三方の隅を示している。図155は私が食事をする一隅である。食卓にお目をとめられ度い――これが大工の外国人のテーブルに対する概念である。椅子は旅行家用の畳み椅子を真似たのであるが、畳めない。テーブルは普通のよりも一フィート高く、椅子は低すぎるので食事をする時、私の頭が非常に好都合にも、皿と同じ高さになる。だが食事をしながら、私は美しい入江と、広い湾と、遠方の素晴しい富士山とを眺める。景色は毎日変るが、今やこの写生をしている時の光景は、何といってよいか判らぬ位である。日没の一時間前で、低い山脈はみな冷かな薄い藍色、山脈の間にたなびく細い雲の流れは、あらゆる細部を驚く程明瞭に浮び出させる太陽の光線によって、色あざやかに照らされ、そのすべてにぬきん出て山の王者が聳えている。部屋の話に立ちかえると、テーブルが非常に高いので、肘をそれにのせぬと楽でない。隅には私の為に棚がつられ、その一つに私は木髄の帽子と麦藁帽子とをのせた。テーブルには朝飯の準備が出来ているのだが、多くの食事の為の食品も全部のっかっている。まるで野営しているようだ。その次の写生(図156)は私の執筆兼仕事テーブルで、塩の瓶に洋燈(ランプ)がのっている。その上の棚には私の顕微鏡が一つ、アルコールの壺、及びパイプ、煙草等を入れた箱が置いてある。床にあるのは予備の曳網を入れたブリキ箱で、私はこれに足をのせる。テーブルの左にのっている瓶には殺虫粉、右の方のにはアルコールが入っていて、夜飛び込んで来る甲虫その他の昆虫を――時に蚤を――つかまえて入れる。この写生図(図157)は、私がここへ来てから混乱皇帝が君臨し続けている(私がいよいよ立ち去る迄はこの通りであろう)一隅である。この世界には、詰らぬことに気を使うべく、余りに多くの仕事がある。写生図は完全にごちゃごちゃな私の大鞄、私が眠る時使う日本の枕、蚊帳(かや)にかぶせた筵、箱に入った双眼鏡、椅子にのせた日本の麦藁帽子を、示している。この帽子は二十五セントだが、八ドルもする木髄製のナポレオン帽よりも遙かに遙かに楽でかぶり心地がいいから、私はしょっ中これをかぶっている。この上なしの目覆になるから、夜でも物を書く時にほかぶる。その上の棚には素晴しい六放海綿(ほっすがい科)を、いくつか入れた箱がのっている。その若干は箱から外につき出ている。

[やぶちゃん注:ここで断っておくと、先に示した通り、明治9(1876)年の為替相場で1米ドルは0.98円であり、当時レートはほぼ1ドル=1円の等価であったから、こうした文脈では、モースは「〇円〇〇銭」を「〇ドル〇〇セント」と言っていると(モースもそのつもりで書いていると)考えてよいことになる。
「木髄の帽子」「きずい」と読んでいるものと思われる。原文“
my pith hat”。所謂、僕等が探検家というと即座にイメージするあの帽子、ピス・ヘルメット(Pith helmet)のことである。“Pith”とは木本類の「髄」を指し、原型が南アジア原産のマメ目マメ科マメ亜科に属するAeschynomene aspera 、ソーラ(sola )と呼ばれる植物の髄から作られたことに由来する。それにしても8円もするというのは法外な値段である。

「その次の写生(図156)は私の執筆兼仕事テーブルで、塩の瓶に洋燈(ランプ)がのっている。」原文は“The next sketch (fig. 156) shows my writing and work table with the lamp perched up on a salt jar.”でちょっと不親切な訳。「塩を入れた円筒状の瓶の上に据え置いた洋燈がのっている」である。

「この写生図(図157)は、私がここへ来てから混乱皇帝が君臨し続けている(私がいよいよ立ち去る迄はこの通りであろう)一隅である。」原文は“The sketch (fig. 157) shows a corner where disorder has reigned since I have been here and will remain so until I pack up for good.”である。「混乱皇帝」は石川氏の洒落たお遊びのようである。「完全なる無秩序が支配している一角である」の意。

「六放海綿(ほっすがい科)」原文“glass sponges (Hyalonema)”。海綿動物門六放海綿(ガラス海綿)綱両盤亜綱両盤目ホッスガイ科ホッスガイHyalonema sieboldi のこと。英名は“glass-rope sponge”とも。柄が長く、僧侶の持つ払子(「ほっす」は唐音。獣毛や麻などを束ねて柄をつけたもので、本来はインドで虫や塵などを払うのに用いた。本邦では真宗以外の高僧が用い、煩悩を払う法具)に似ていることに由来する。深海産。この根毛基底部(即ち柄の部分)には「一種の珊瑚蟲」、刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目イマイソギンチャク亜目無足盤族 Athenaria のコンボウイソギンチャク(棍棒磯巾着)科ヤドリイソギンチャク Peachia quinquecapitata が着生する。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑別巻2 水生無脊椎動物」のホッスガイの項によれば、一八三二年、イギリスの博物学者J.E.グレイは、このホッスガイの柄に共生するヤドリイソギンチャクをホッスガイ Hyalonema sieboldi のポリプと誤認し、本種を軟質サンゴである花虫綱ウミトサカ(八放サンゴ)亜綱ヤギ(海楊)目 Gorgonacea の一種として記載してしまった。後、一八五〇年にフランスの博物学者A.ヴァランシエンヌにより本種がカイメンであり、ポリプ状のものは共生するサンゴ虫類であることを明らかにした、とあり、次のように解説されている(アラビア数字を漢数字に、ピリオドとカンマを句読点を直した)。『このホッスガイは日本にも分布する。相模湾に産するホッスガイは、明治時代の江の島の土産店でも売られていた。《動物学雑誌》第二三号(明治二三年九月)によると、これらはたいてい、延縄(はえなわ)の鉤(はり)にかかったものを商っていたという』。『B.H.チェンバレン《日本事物誌》第六版(一九三九)でも、日本の数ある美しい珍品のなかで筆頭にあげられるのが、江の島の土産物屋の店頭を飾るホッスガイだとされている』とある。深海産であること、モースがドレッジを始めて数日しか経っていない(少なくともここまでは)ことに加えて、モースが日々行き来した江の島参道の土産物屋にこれらが売られていたことから、この数個体は総てモースがその江の島の土産物屋で買い漁ったものである(生物標本としては外国人学者にとっては非常な希少価値を有するものであった)。……因みに……私は三十五前の七月、ちょうど今頃のことだ……恋人と訪れた江の島のとある店で、美しい完品のそれを見たのを記憶している。……あれが最後だったのであろうか。……私の儚い恋と同じように……(ホッスガイの画像は例えばこちらをご覧になられたい)。]

« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 7 | トップページ | 耳嚢 巻之七 修驗道奇怪の事 »