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2013/07/30

耳嚢 巻之七 幽靈恩謝する事 その二

   又

 多喜安長へ隨身(ずゐじん)なしける醫師、安長世話致、松浦(まつら)家へ貮拾四歳にて抱(かかへ)に成りしが、無程(ほどなく)痛疽(つうそ)の病にて身まかりぬ。病中も安長厚(あつく)世話致(いたし)、療治不屆(とどかず)相果(あひはてし)故不便(ふびん)に思ひ居(をり)しに、或夜安長が許へ出入藥種屋藤藏、彼(かの)醫師相果し事しらず、與風(ふと)道中にて右醫師に行合(ゆきあひ)にける。扨々久々にて對面なしたり、我も病氣にて久々引込居(ひきこみをり)たり、扨安長に數年世話にも成り、松浦家へも右口入(くちいれ)にて抱られ、病中も厚世話に成(なり)、誠に其恩可謝(しやすべき)に限(かぎり)なし。何卒安長へ至りなば、我斯(かく)申遣(まうしつかは)しと厚(あつく)咄し禮謝しを賴入(たのみい)る由申(まうし)けるにぞ承諾して立別(たちわかれ)、其日にもや明日にや安長方へ至りしに、彼醫師に行逢(ゆきあひ)しに言傳(ことづて)禮の趣(おもむき)語りければ、其者はいついつ相果ぬると語りければ、右藥種屋も大きに驚き、安長方にても何れも驚きしは、忘念(ばうねん)殘りてかゝる事もありしや、哀(あはれ)なる事也(なり)。いづれも袖をぬらしけると也。

□やぶちゃん注
○前項連関:亡魂謝礼譚その二。
・「多喜安長」不詳。名前からしても医師である。
・「松浦家」肥前国平戸藩。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年夏であり、そうすると「甲子夜話」で知られた第九代藩主松浦清(静山)がまさに隠居した年である。「耳嚢」と並ぶ画期的な随筆集「甲子夜話」(正篇百巻・続篇百巻・第三篇七十八巻)はこの十五年後の文政四(一八二一)年十一月の甲子の夜に執筆が開始されている。……ここをかりて何気に申しておくと、近い将来、私はこの「甲子夜話」の全テキスト化を始めようと目論んでいる。……
・「痛疽」前章注で述べた通り、文字通りならば、背中などに出来る激痛を伴う悪性の腫れ物、癰(よう)の類を指そう。但し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『瘴疳』とし、前章の注で示した通り、長谷川氏によるとバークレー校版は「*」[やぶちゃん字注:「*」=「疒」+(「降」-「阝」)。](「★」[やぶちゃん字注:「★」=「疒」+「争」。]とも見える字)『を書き瘴と訂正している』とある。「瘴疳」とはやはり前章注で示した通り、「傷寒」で高熱を伴う疾患をいう。
・「禮謝しを」底本では「しを」の右に『(ママ)』注記を附す。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『厚く咄し禮謝しを賴入(たのみいる)」由申けるにぞ』とある(引用に際して正字化した)。
・「忘念」底本では右に『(亡念)』と訂正注記を附す。

■やぶちゃん現代語訳

 幽霊の恩謝する事 その二

 医師多喜安長(たきあんちょう)殿に弟子として従って御座った医師某(ぼう)は、安長殿がお世話致されて、松浦(まつら)家へ二十四の歳にてお抱えの医師となったが、ほどのう、痛疽(つうそ)の病のために身罷ったと申す。
 病中も師安長殿が厚く世話致されたが、薬石効なく、相い果てて御座ったゆえ、安長殿も殊の外、不憫に思っておられたと申す。
 ある夜のことで御座った。
 安長の許へ出入致いておる薬種屋藤蔵(とうぞう)なるもの――彼は、かの医師が既に相い果てて御座ったことを知らなんだ――、ふと往来にて、かの医師に行き合うたと申す。
 すると亡くなったはずの、かの医師は、
「これは、藤蔵殿! さてさて久々に対面(たいめ)致いた。我らも病気にて久しく引っ込んでをりましたゆえ。……さても、安長さまには、まっこと、数年来お世話になり、松浦家へもかくの如くご紹介戴いて、目出度く抱えられもし……かの病中にも、厚きお世話を頂戴致いて――まっこと、その恩、謝すべきに限り御座らぬ。……何卒、安長さまの元へ参らるることが御座いましたら、我らがかく申して御座ったと、くれぐれも宜しゅう……礼謝のほど……きっと、お頼み致しまする……」
と、申したによって、請けがった上、そこ場は別れたと申す。
 さて――その日か、その翌日のことか――藤蔵、安長方へ参ったによって、
「○○さまに往来にて行き逢いまして――」
と先の言伝(ことづ)ての趣きを語り出だいたところが、安長殿、
「……その者は……いついつ……とおに……相い果てて御座るが……」
と語ったればこそ、この薬種屋藤蔵も、安長殿も、孰れも大きに驚き、
「……死後の魂の念が、これ、残って御座ったものか。……このようなこともあるのじゃのぅ。……いや、全く以って哀れなることじゃ……」
と、二人して袖を濡らいたと、話に聴いて御座る。

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