フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 22 了 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 田草取 »

2013/07/12

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第六章 漁村の生活 1

 第六章 漁村の生活

M146 

図―146

 今朝我々の小実験所が出来上った。曳網の綱と、その他若干の品物とが届きさえすれば、すぐに仕事に取りかかることが出来る。私は戸に南京(ナンキン)錠と鐉(かけがね)とを取りつけた。仕事をしていると男、女、娘、きたない顔をした子供達等が立ち並んで、私を凝視しては感嘆これを久しゅうする。彼等はすべて恐ろしく好奇心が強くて、新しい物は何でも細かに検査する。現に今もこうして書いていると、家の女が三人、おずおず入って来て私が書くのを見つめている。日本人の物の書きようが我々にとって実に並はずれに思われると同様、我々の書きようも珍しいのである。彼等は筆を垂直に持って書くが、行はページの上から下へ到り、ページの右から始めて左の方へ進行する。我々はペン軸を傾けて持ちへ釘のようにするどい金属の尖点を使用して、彼等の濃く黒い印度(インド)インクに比べると水っぽいインクで物を書く。日本のインクは、書くごとに、墨をすってつくらねばならぬのである。これ等の女は、私の机の上の物の一々に就いて、吃驚したような評論を与えた――瓶、壺、顕徴鏡はまだしも、海泡石のパイプは、彼等の小さな、金属の雁首を持つパイプに比べたら、象みたいに大きく思われるに違いない。

[やぶちゃん注:以下、明治一〇(一八七七)年七月二十六日、一時的なものではあったが、モースが「太平洋岸で唯一の動物学研究所」と喜んだ日本最初の臨海実験所の落成の日であった(磯野前掲書)モースらは早速、採集を始めようとしたが、前章末に示した通り、大型台風が接近しており、それどころではなく、折角、配置した諸実験器具も岩本楼へ避難させなくてはならなくなり、モースは一夜にして実験所が波浪に流されてしまう虞れをさえかなり本気で抱いていた事実が分かる。]

M147 


図―147

 戸に南京錠をつけた後、我々はアルコール二罐、私が横浜で買った沢山の硝子(ガラス)の壺、曳網その他、実験所用の材料を運び入れた。この建物は石の海壁のとっぱなに建っていて、前を小径が通っている。図146は江ノ島の略図である。四方すべて高く切り立っているが、只本土に面した方の鳥居を通りぬけて狭い砂洲に出る場所はそうでない。ここ迄書いた時、嵐は叫び声をあげる疾風にまで進んだ。私は実験所がいくらか心配になって来たので、雨外套を着て狭い往来を嵐と戦いながら降りて行き、その下の方では舟をいくつも乗り越した。その付近の家の住民達は、すべて道具類を島の高所にある場所に移して了った。我々の建物の窓から見た光景は物凄かった。大きな波が、今や全く水に覆れた、砂の細長い洲の上に踊りかかっている。その怒号とその光景! 危険の要素が三つあった。実験所の建物が吹き飛ばされるかも知れないこと、故にさらわれるかも知れぬこと、石垣が崩れるかも知れぬことである。我々が番人として雇った男がどうしても実験所で寝ることを肯じないので、彼及び他の人々の手をかりて、我々はその朝荷を解いて並べた壺を沢山の桶につめ込み、アルコール、曳網その他動かせる物を全部持って、やっとのことで本通りへ出、そして私の泊っている宿屋へ持って来た(図147)。床に入った後で、吹きつける雨が、戸がしまっているにも拘らず、私の部屋に入って来たので卓子(テーブル)その他を部屋の反対側へ動かした。私は畳の上に寝ていたが、まるで地震ででもあるかのように揺れ、夜中の間に嵐が直接に私を襲いはしまいかと思われる程であった。目をさますと嵐は去っていたが、海は依然として怒号を続けていた。実験所へ行って見た結果、この建物が、こんなに激しく叩きつけられても平気でいる程、しっかり建てられていることが判った。建物の両側の石垣は、所所流されていたが、幸にも我々の一角はちゃんとしていた。道路の低い場所は、四フィートの深さに完全に押し流されて了った。波は依然として、島と本土とをつなぐ砂洲を洗っているので、人々は両方から徒渉し、背中に人を背負ったのもいた(図148)。向う岸で巡礼の一隊が渡るまいかと思案していたが、大きな笠を手に、巡礼杖を持ち、小さな青旗をヒラヒラさせた所は、笠と杖とが盾と武具とに見えて、まるで野蛮人の群みたいであった。今使者が入って来て、実験所宛にいろいろな品が着いたが、波のために島まで持って来ることが出来ぬと告げた。波が鎮まったら初めて手に入れることになるだろう。

M148

図―148

[やぶちゃん注:「四フィート」約1・2メートル。]

« 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所 22 了 | トップページ | 鬼城句集 夏之部 田草取 »