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2013/08/20

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 5 第一回内国勧業博覧会で(1)

M192

図―192

 

 昨日私は人力車夫を月極(つきぎめ)で雇ったが、非常に便利である。彼は午前七時半にやって来て、一日中勤める。私が最初に彼の車に乗って行ったのは、上野の公園で開かれたばかりの産業博覧会で、私の住んでいる加賀屋敷からここ迄、一マイルばかりある。公園に着いた我々は、立派な樹木が並ぶ広い並木路を通って行ったが、道の両側には小さな一時的の小舎(こや)或は店があって、売物の磁器、漆器其他の日本国産品を陳列している。入場券は日曜日は十五セントで、平日は七セントである。入口は堂々たる古い門の下にあり、フィラデルフィアの百年記念博覧会の時みたいに、廻り木戸があった。大きな一階建ての木造家屋が、不規則な四角をなして建っている。美術館は煉瓦と石とでつくつた、永久的建築である。図192は農業館の入口を簡単に写生したもので、これは長さ百フィートの木造建築である。内には倭生の松、桜、梅、あらゆる花、それから日本の植木屋の面喰う程の「嬌態と魅惑」との、最も賛嘆すべき陳列があった。松の木は奇怪極る形につくられる。図193はその一つを示している。枝は円盤に似た竹の枠にくくりつけられるのだが、どんな小枝でも、根気よく枠にくくりつける。面白い形をしたのは、まだ沢山あったが、時間がないので写生出来なかった。ちょっとでも写生しようとすると、日本人が集って来て、私が引く線の一本一本を凝視する。この写生をやり終るか終らぬかに、丁寧な、立派ななりをした日本人の役人がやって来て、完全な英語で「甚だ失礼ですが、出品者の許可なしに写生することは、禁じてありあります」といった。私は元来写生をする為にやって来たのだから、これには閉口したが、知恵をしぼって、即座に米国の雑誌に寄稿することを決心し、この全国的博覧会の驚くべき性質を示す可く米国の一雑誌へ挿画入りの記事を書こうとしているのだと云った。これで彼は大分よろこんだらしく、次に私に、それは商業上の目的でやるのかと質問した。そこで生れてから一度も、松の木も他の木も育てたことが無く、またこの年になって、そんな真似を始めようとも思っていないというと彼は名刺をくれぬかといった。私はいささか得意になって Dai Gakku(偉大なる大学)と書いた名刺を一枚やった。すると彼の態度は急変し、それ迄意匠を盗む怪しい奴と思われていた私が、すくなくとも一廉(ひとかど)の人間になった。彼はこの件を会長と相談して来るといった。一方私は、会長がどんな決議をするか知らぬので、大急ぎで各館をまわり、出来るだけ沢山の写生をした。

 



M193


図―193

 

[やぶちゃん注:「産業博覧会」明治一〇(一八七七)年に上野公園で開催された政府主催の第一回内国勧業博覧会。既に注したようにモースは、この八月二十一日の同開会式に出席後、これから見るようにそこに出品された工芸品にいたく感動し、磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、『帰国するまでに少なくとも八回訪れ』ているとある。これは同書の注記から本書後文の「第九章 大学の仕事」の中で『博覧会が開かれてから、私は都合七回見に行き、毎回僅かではあるが、写生をして来ることが出来た』とあるのに加えて、その後の「第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚」の終わりの方で、モースが一時帰国をする送別会が行われ、その晩餐後に『一同で展覧会へ行った』という一回を加えているものと思われる。

「私の住んでいる加賀屋敷」「加賀屋敷」は原文でも“Kaga Yashiki”とある。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の「11 加賀屋敷と一ツ橋」によれば、『当時一般の外国人は定められた居留地、たとえば横浜居留地とか東京の築地居留地のなかに住まなければならなかったが、御雇い外国人は勤め先の近くに住むことを許されており、官庁では専用の宿舎を与えることも多かった。東京大学の場合、御雇い外国人教師用の教師館(宿舎)は、本郷加賀屋敷の医学部キャンパス内にあった、江ノ島から戻ってきたモースは、以後二年間その教師館五番館に住』んだとある。同章は十二頁に亙って、地図を交えてこの当時の教師や校舎、さらには当時の教授陣や講義内容を詳述しておられる。是非、御一読をお薦めするものである。その地図と現在の地図を比較するとモースの五番館は安現在の安田講堂の西北西一〇〇メートルほどの、工学部の建物が建つ辺りにあったもので、同書(一〇二~一〇三頁)によれば、『美しい花園に囲まれた平屋建』で『棟ごとに構えが異なり、どれもしゃれた造りで、内部も相当広』く、モースの五番館は『居間、食堂、書斎、二寝室、それに台所、浴室などと、使用人用の二部屋が付属し』、本文に出るお抱え人力車を用いて神田一ツ橋にあった法理文三学部の校舎(現在の学士会館附近)まで往復していたとある。

「1マイル」約1・6キロメートル。

「フィラデルフィアの百年記念博覧会」前年の一八七六(明治九)年、アメリカ建国百年を記念して開かれたフィラデルフィア万国博覧会のこと。因みにこの博覧会には日本の教育に関する歴史・教科書。教具などが出品されている(「国立公文書館デジタルアーカイブ」でその米国博覧会出品本邦教育物品臚場写真が見られる)。

「廻り木戸」原文“turnstiles”。人だけが通って牛馬の通れないような、また劇場や駅の入り口に一人ずつ人を通すために設ける回転式改札口。当時の日本では極めて珍しいものであったろう。]

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