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2013/08/21

栂尾明恵上人伝記 58 明恵、北条泰時を喝破す

あまりのヒート・アップに冷房のない書斎での作業は僕もパソコンも難行苦行我慢大会状態――このシークエンスの明恵の不退転の毅然とした態度には憬れるものの……今夜、根性のない僕はこれを以て早々に退席致すこととと致します……すみませぬ、お上人さま……



 承久三年の大亂の時、梅尾の山中に京方(きやうがた)の衆(しゆう)多く隱し置きたる由聞えければ、秋田城介義景(よしかげ)此の山に打ち入りてさがしけり。狼藉(らうぜき)の餘り何とか思ひけん、大將軍泰時朝臣(あそん)の前にて沙汰あるべしとて、上人をとらへ奉りて、先に追ひ立てゝ六波羅へ參りけり。折節泰時朝臣物沙汰して侍に坐せられけり。軍勢堂上堂下に充滿せり。義景上人を先に立てゝ彼の前に至りて事の由を申す。泰時朝臣先年六波羅に住せられし時、此の上人の德を聞き及び給ひしかば、先づ仰天して、敬(うやま)ひ畏(かしこま)つて席を去つて上に居(す)ゑ奉る。此の體(てい)を見て義景謬(あやまち)し出しけるにやと興さめたる體なり。さて上人のたまひけるは、高山寺に落人(おちうど)多く隱し置きたりと云ふ沙汰の候なる、其はさぞ候らん、其の故は、高辨が有樣まま聞き及ぶ人も候らん、若きより本寺を出で處々に迷ひ行き候ひし後は、日比(ひごろ)習ひおき候ひし法文の義理の、心に浮かぶだにも更に庶幾(こひねが)はざる處なり。まして世間の事に於いては一度も思量(しりやう)するに及ばずして年久しく罷(まかり)成り候ひき。されば貴賤につけて、人の方人(かたうで)せんと云ふ心起ると云ふも、沙門の法にあるまじきことにて候。其の上かゝる心の一念萌(きざ)せども二念と相續することなし。何に依りてか、少しも人の方人する事候ふべき。又人の祈りは緣に付て、してたべと申す人も多く候ひしかども、一切衆生の三途(さんづ)に沈みて苦しみ候をこそ、先づ祈りて助くべくは祈り候はんずれ。是等を皆祈り浮かべて後こそ、浮世(うきよ)の夢の如くなる暫時の願をば祈りても奉らんずれ。大事の前に小事なしと返答して、更に用ひずして又年月を遙に積れり。されば高辨に祈り誂(あつら)へたりと申す人、今生界(こんじやうかい)の中によもあらじと覺え候。然るに此の山は三寶寄進の所たるに依りて、殺生禁斷の地なり。仍て鷹に追はるゝ鳥、獵に逃ぐる獸、皆爰に隱れて命を續ぐのみなり。されば敵を遁るゝ軍士のからくして命ばかり助かりて、木の本岩のはざまに隱れ居候はんをば、我が身の御とがめに預りて、難に逢ひ候はんずればとて、情(なさけ)なく追ひ出して敵の爲に搦(から)め取られ、身命を奪はれんことをかへりみぬことやは候べき。我が本師能仁(のうにん)の古は、鳩に替りて全身を鷹の餌となされ、又飢えたる虎に身をたび候ひしぞかし。其れまでの大慈悲こそ及び候はずとも、かばかりのことの無くやは候べき。隱す事ならば袖の中にも、袈裟の下にも隱してとらせばやとこそ存じ候ひしか。向後(かうご)々々も資くべく候。是れ政道の爲に難義(なんぎ)なる事に候はゞ、即時に愚僧が首をはねらるべしと云々。泰時朝臣此の仰を聞き給ひて、頻に感涙を流し、申し給ひけるは、子細も知らぬ田舍夷(いなかゑびす)どもの、左右(さう)無く參り候ひて、狼藉仕り候ひけること、返す返す不可思議に候。剩(あまつさ)へ、尊體(そんたい)をさへ是れまで入れ申し候條、其の恐れ少なからず候。今度若し無爲(むゐ)に上洛仕り候はゞ、最先(まつさき)に參上仕り候うて生死の一大事を歎き申すべきの由、深く心中に插(はさ)み存じながら、此の悤劇(そうげき)に障へられ候うて、今に其の義なく候ひつるに不思議に御目に懸かり候、然るべき三寶の御計らひかと存じ候。其に付きては如何してか生死をば離れ候べき。又此の如く、物沙汰(ものさた)に聊かも私なく理のまゝに行ひ候はゞ罪には成るまじきにて候やらんと云々。上人答へ給ひけるは、少きも理に違(ちが)ひて振舞(ふるま)ふ人は後生(ごしやう)までもなく今生(こんじやう)にやがて滅ぶる習ひなり。其は申すに及ばず、縱(たと)ひ正理のまゝに行ひ給ふとも分々(ぶんぶん)の罪脱(のが)れぬことあるべし。生死の助けとならん事は思ひも寄らぬことなり。山中に嘯(うそぶ)く僧侶すら猶佛法の深理(しんり)に叶はざれば、輪廻の苦しみ免れ難し。况んや俗塵(ぞくじん)の境に心を發して、雜念(ざふねん)に覊(ほだ)されて佛法と云ふことをも知らずして明かし暮さん人をや、世に大地獄と云ふ物の現ずるは、只其等の御樣なる人の墮て煮返(にへかへ)らん料にてこそ候へ。無常の殺鬼(せつき)は弓箭(ゆみや)にも恐れず、刀杖(たうぢやう)にも憚らざる者なり。只今とても引きつり奉りて行かん時は如何し給ふべき。實(げ)に生死を免れんと思ひ給はゞ、暫く何事をも打ち捨てゝ、先づ佛法と云ふことを信じて、其の法理(はふり)を能々辨(わきま)へて後、せめて正路に政道をも行ひ給はゞ、自ら宜しきことも候ふべしと云云。泰時大に信仰の體(てい)に住(ぢゆう)して、殊に思ひ入れる樣なり。さて御輿(みこし)用意して召させ奉りて、門のきはまで自ら送り出し奉りけり。其の後、世聊かしづまりて常に彼の山に參詣して法談なされけり。
[やぶちゃん注:「承久三年」西暦一二二一年。承久の乱はこの年の五月十四日に勃発、ちょうど一ヶ月後の六月十四日に京方は敗走、幕府軍が京へ侵攻して終わり、戦後に京都守護に代り新たに六波羅探題が設置され、幕府軍総大将北条泰時(当時三十九歳)が六波羅探題北方として就任し(南方には同じく大将軍として上洛した叔父北条時房が就任)、朝廷の監視及び西国武士の統率に従事していた。
「秋田城介義景」これは秋田城介安達義景の父で同じく秋田城介であった安達景盛の誤り。詳しくは講談社文庫「明惠上人伝記」の平泉洸の考証(二一三~二一五頁)を参照のこと。
「能仁」釈迦如来。以下の叙述はその前世での逸話。
「資く」「たすく」と訓じている。救援する。
「少きも」「すこしきも」と訓じ、少しでも、の意。
「世に大地獄と云ふ物の現ずるは、只其等の御樣なる人の墮て煮返(にへかへ)らん料にてこそ候へ」「御樣」は「おんさま」、「墮て」は「おちて」、「料」は「れう(りょう)」と読む。――この宇宙に大地獄というものが厳として現われるのは、ただそのような人々(前文の「少きも理に違ひて振舞ふ人」から「俗塵の境に心を發して、雜念に覊されて佛法と云ふことをも知らずして明かし暮さん人」までの、仏法から少しでも外れた行いをする人から仏法そのものを全く知らずに欲に執心して奔放に生きている人まで総てを指す)が堕ちて永く何度も何度も煮られるために他ならぬので御座る――というのである。]

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