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2013/08/24

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 18 恐るべき洋服の着こなし

M217_2
図―217

 悪口をいったり、変な顔をして見せたりした結果、熊に食われて了った男の子の話は、この親切と行儀のいい国には必要がない。日本の役人には我々の衣服をつける者がかなり多く、大学の先生のある者も、時に洋服を着るが、何度くりかえして聞いても、嘲笑されたり、話しかけられたり、注目されたりした者は、一人もいない。私は、若し私が日本人のみやびやかな寛衣を着て、米国の都会の往来――田舎の村にしても――へ出たとしたら、その時経験するであろう所を想像しようと試みた。日本人のある者が、我々の服装をしようとする企ては、時として滑稽の極である。先日私が見た一人の男は、殆ど身体が二っ入りそうな燕尾服を着、目まで来る高帽に紙をつめてかぶり、何番か大き過ぎる白木綿の手袋をはめていた。彼はまるで独立記念日の道化役者みたいだった。図217は彼をざっと写生したものである。彼はみすぼらしい男で、明かに上流階級には属していない。当地の博覧会の開会式の時には、最も途法もない方法で、欧米の服装をした人々が見られた。一人の男は、徹頭徹尾小さすぎる一着を身につけていた。チョッキとズボンとは、両方から三、四インチ離れた所まで来たきり、どうにもならず、一緒にする為に糸でむすんであった。かなり多くの人々は、堂々たる夜会服を着て、ズボンを膝まで来る長靴の中に押し込んでいた。この上もなく奇妙きてれつな先生は、尻尾が地面とすれすれになるような燕尾服を着て、目にも鮮かな赤いズポンつりを、チョッキの上からしていた。衣服に関しては、日本固有のものと同様、我々のに比べてより楽な固有の衣服を固守する支那人の方が、余程品位が高い。だが私は、我国の人々が、日本風に着物を着ようと企てる場合を思い出して[やぶちゃん字注:「風」の右に「*」。]、こんな変な格好をした日本人に大いに同情した。日本服といえば、私は大学で、教授のある者が時々洋服を着て来るのに気がついた。然し非常に暑い日や非常に寒い日には和服の方が楽だが、実験室では袂(たもと)が始終邪魔になるということであった。

[やぶちゃん注::「悪口をいったり、変な顔をして見せたりした結果、熊に食われて了った男の子の話」何かの教訓寓話らしいが、無学な私にはピンとくるものがない。何方か、どうか、御教授を。

「三、四インチ」約2・5~10センチメートル強。これはもうパンパンの域を遙かに越えている。「糸でむすんであった」というのが、やってくれちゃってる!

「日本風に着物を着よう」ここは原文が“to dress à la Japonaise”で、「日本風」をフランス語のイタリック体表記にしてある。これは所謂、ヨーロッパで見られた日本趣味「ジャポニスム」(フランス語 Japonisme)がフランスを中心として起こったことを半ば皮肉っている。

 以下、底本では注記は全体が一字下げのポイント落ちである。注記後にも有意な一行空きがある。]

 * かかる企ての一つを、其後我々はギルバートとサリヴァンの「ミカド」の舞台で見た。日本人にはこれが同様に言語道断に見えた。

[やぶちゃん注:『ギルバートとサリヴァンの「ミカド」の舞台』原文“on the stage in the Mikado of Gilbert and Sullivan”。その後とあるが、“The Mikado”は一八八五年三月十四日にロンドンで初演された喜歌劇(オペレッタ)。脚本はウィリアム・S・ギルバート(William Schwenck Gilbert)、作曲はアーサー・サリヴァン(Arthur Seymour Sullivan)。参照したウィキの「ミカド」(オペレッタ)によれば、当時、ロンドンのナイツブリッジで日本博覧会が人気を博し、イギリスでは空前の日本ブームが起きていた。「ミカド」はこのブームに乗じた一種のジャポニスムまたはオリエンタリズムの作品である。当時の英国の世相、わけても上流階級や支配階級に対する辛辣な風刺を含む一方で、作品の舞台を英国からできるだけ遠い「未知の国日本」に設定することで、「これは遠い国の話で英国とは関係ない」として批判をかわそうとしている、とある。日本は専横な「ミカド」の好き嫌いがそのまま法律となっている国でその首都は「ティティプー」、主人公で流しの旅芸人(実はミカドの皇太子)の名はナンキ・プー、劇中では帝が中国の皇帝のように振舞ったり、中国風の衣装を着た踊り子が登場したり、旅芸人ナンキ・プーは三味線をギターのように持って、素手で弾く場面があったりと、まあ、荒唐無稽噴飯物の梗概は、どうぞ、リンク先で。私は実は喜劇が嫌いである。]

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