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2013/08/22

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 8 精密巧緻な工芸品の数々

 今日の午後、私はまた博覧会へ行き、そこに充ちた群集の中を、歩きながら、財布を押え続けたりしないで歩き得ることと、洋傘をベンチの横に置いておいて、一時間立って帰って来てもまだ洋傘がそこにあるに違いないと思うことが、如何にいい気持であるかを体験した。「草を踏むべからず」とか「掏摸御用心」とかいうような立札は、どこにも見られぬ。私は今後毎週二回ずつここへ来て、芸術品を研究しようと思う。今日私は漆(うるし)細工の驚く可き性質――漆の種類の多さ、製出された効果、黄金、真珠等の蒔絵(まきえ)、選んだ主題に現われる繊美な趣味に特に気がついた。

 装飾品としてかける扁額(国内用か輸出向きかは聞きもらした)は、いずれも美しかった。純黒の漆を塗った扁額には、海から出る満月があった。月は文字通りの銀盤だが、それが海面にうつった光は、不思議にも黄金色であった。我々をいらいらさせるのは、日本の芸術の各種に於る、このような真実違犯である。もっとも私は日本の絵画に、三日月が、我国の絵でよく見受けるように、逆に描かれたのは見たことがない。閑話休題、この扁額は、壁にかかっているのを一寸見ると、完全に黒く、真黒な表面が闇夜を表現し、月は実によく出来ていて、低くかかり、一部分は雲にかくれている。が、よく見ると海岸があって、数艘の舟が引き上げてあり、大きな戎克(ジャンク)が三つ海上に浮び、一方の側には遠方の岸と、水平線上の低い山とが見える。これ等の芸術家が示す控え目、単純性、及びそれに撞着するようではあるが、大胆さは、実に驚く可きである。誰が黒い背地に黒い細部を置くことを思いつこうぞ!――真黒な印籠の上の真黒な浪! これは思いもよらぬことであるが、而も日本人が好んでやる数百のことがらの中の、たった一つなのである。

M200

図―200

M201
図―201

 磁器でつくつた美事な花環、桜の花、色とりどりな茨(いばら)や小さな花もあったが、これ等に比べると古いドレスデンやチェルシイの製品も弱々しく、パテでつくったように思われる。あっさりした象牙の扇子に漆で少数の絵を、実に素晴しく描いたものが九十ドル。雪景色を画いた屏風が九十五ドル。金属製の花瓶が六百ドル(後で聞いた所によると、これ等はみな外国へ売るためにつくったものである)。品物の多くについている値段を見ていて面白く思ったのは、一セントの十分の一までが書き込んであることである。通貨はエン=ドル、セン=セント、リン=一セントの十分の一である。リンは我国の古い五セント銀貨とほぼ同じ大さの、小さな銅貨である。この博覧会にあった二脚の彫刻した椅子(勿論外国人向き)は八円三十三銭七厘としてあった。こんなに細く区分するのでは、貯金も出来るであろう。一つの扁額(図200)は、竹の額も何もすっかり金属で出来ていた。長さは二フィートで、扁額は活字の地金に似ていた(後で聞いたのだが、この金属は多分シャクドゥと呼ばれる、銅と金との合金であったろう)。蜻蛉は高浮彫りで銀、重なり合っている花や葉は金、銀、金青銅で出来ていた。これは実に精巧な出来で、値段は百三十五ドルであった。その他、非凡な扁額が沢山あった。ある一枚には貝類を入れた籠が低浮彫りで表してあった。籠から貝が数個こぼれていたが、「種」を識別することも出来る位完全に出来ていた。又別のには、秋の木葉をつけた小枝があった。異る色彩の縮緬(ちりめん)で浮き上らせてつくつたいろいろな模様は、自然そのままであった。杉板でつくつた十枚ひとそろえの懸垂装飾には、奇麗な小さい意匠がついていたが、その中のきのこの一枚は図201で示した。一組の定価が一ドル三十セント。この作品で人を驚かすのは、すべての意匠の独創と、自然への忠実と、それ等の優雅と魅力とである。我々はデューラーの蝕銅版画の草が真に迫っているのに感心し、彼の荒野の絵に夢中になる。だがこの博覧会には、あまり名前を知られていないデューラー何百人かの作品が出ている。漆と黄金と色彩とで、森林中の藪や、竹林や、景色を示した大型な衝立に至っては、美の驚異ともいうべきである。これ等は写生するには余りに込み入り過ぎていたので、最も簡単なものだけを書いた。大胆な筆致で色を使用して布に魚類を描いたものは、それ等の魚のとりまとめ方が実に典雅でよかった(図202)。最も顕著な出品の一つを図203で示す。これは木理を高く浮き上らせた樫の円盤で、樽の頭位の大さがある。その上に、縁に近く、黒い金属でつくった牡牛があり、背中に乗っている童子は、円盤の中央に書かれた何等かの文句を、口をあけ、驚いたような様子をして見ている。童子の衣服は真珠貝を切り取ったもの、手と顔と、牛の頸の上の紐は金。これは実に無比無双で、美麗であった。

M202
図―202

M203


図―203

[やぶちゃん注:個人的には種を識別出来るほど精巧な、貝を入れた駕籠の浮彫を、モース先生、絵に残しておいて欲しかったです!
「金青銅」原文“gold bronze”。合金ゴールド・ブロンズ。銅90%・亜鉛5%・鉛3%・スズ2%から成る。]

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