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2013/08/29

中島敦漢詩全集 十六

  十六

 

 贈安田君 三首

 

平生獨訝閑人意

攀柳折花非我事

月夕花朝屑々過

壯年未識佳人涙

 

侃々悲歌慷慨人

※々諤々激聲頻

精根滿溢歎無事

可惜春來未識春

 

營々黽勉無他思

勤恪直言廉吏類

短矮無髯似少年

斯兒未習三杯醉

 

[やぶちゃん補注:底本解題に『「贈安田君」とあるのは横濱高等女學校時代の同僚である安田秀文氏のことで、昭和九年四月から十四年六月まで同校で國語を教へてゐた。同氏によれば、以下の同僚教師に宛てた漢詩』(後に続く十四・十九・二十一・二十二・二十五の漢詩五首を指す)『は、昭和十年末から十一年にかけて、折々に教員室で披見されたといふ』とある。安田秀文氏については現在のところ、これ以上の情報を入手し得ない(筑摩版新全集別巻には「中島さんと一緒に勤めて」という文章が載るが、私は所持しておらず、未見である。T.S.君も評釈の最後で述べておられるように、その文章の中に本詩を正統に解釈するための重要な何かが潜んでいる可能性はすこぶる高い。向後、機会を見て披見し、T.S.君と再考察しようと考えている)。]

[やぶちゃん字注:「※」=「口」(へん)+「如」(つくり)。本来は語釈で述べるところであるが、この漢字、「廣漢和辭典」にも所載せず、ネット上で検索をかけてみても、それらしいものが見当たらず、私には全くのお手上げ状態であった。但し、これではまず素読自体が出来ないのが癪に障る。そこでここについては、先にT.S.君による本字についてのみの考証を掲げ、これを誤植と判断し、T.S.君の推定に基づいた正しいと思われる(これならば素読して意味が分かる)ものに改稿した全首を再度掲げて進行させたいと考える。以下、当初の彼との遣り取りの来信から、T.S.君からの『※々」についての考察』を全文引用する(下線部や一部の鉤括弧等は私が施した)。

   《引用開始》

   「※々」についての考察

 まず口へんに如という字を、現代から古典にわたる中国語の中で調べてみましたが、見出すことができませんでした。そこで意味を推定してみました。前後の詩意や、直前の句と対を成すこと、などを考え合わせると、ここは『正論を吐いている安田君の勢いの盛んなさま』を表す言葉が来ると思われます。そこでもう一度辞書を眺めていると、似ている字形で「呶」nao2という字があり、重ねて「呶呶」nao2nao2 としても用いられることが判りました。意味は、「一文字で、やかましいこと」で、二つ重ねて「呶呶」とすると、「話がくどいさま」を表わします。この字の誤植ではないだろうかという疑念が脳裏を掠めます。「直情でまじめ一点張りの」正義漢も、度が過ぎると、「ごく軽い反感」と、「滑稽」と、「哀愁」さえ漂います。ただし、実はこんな安田君に対して、詩人は本当はどうも親しみと愛情を感じているらしいそうでなければ詩など贈らないでしょう)。従ってここで新たに、「やかましい」という負の感覚を付加したところで大きな問題はないと思われます。よくよく考えれば詩の内容から見て、何事も論理で「直線的に切り分け」たり、「義を基準にものごとの正否を裁断した」りし、それを「堂々と」主張するようなタイプと推察される安田君のことを、詩人は時に「やかましく」も感じたでしょうし、誰もが分かるような正論を長々と聞いていれば、「くどい」とも感じたでしょう。ですから、あくまで愛情が籠められているという条件で、この「呶呶」を用いることも許されると感じています。いかがでしょうか。

   《引用終了》

 私は以上のT.S.君の考証に全面的に賛同するものである。万一、この「※」の字が存在する、若しくは「呶々」の誤植ではなく別字の誤植であると主張される方があられる場合は、T.S.君と三者で検討させて戴きたく、まずは私藪野直史に御連絡頂きたい。よろしくお願い申し上げる。

 それでは、以下、改めて「呶々」とした形で、三首全文を示す。

 

 贈安田君 三首

 

平生獨訝閑人意

攀柳折花非我事

月夕花朝屑々過

壯年未識佳人涙

 

侃々悲歌慷慨人

呶々諤々激聲頻

精根滿溢歎無事

可惜春來未識春

 

營々黽勉無他思

勤恪直言廉吏類

短矮無髯似少年

斯兒未習三杯醉

 

○やぶちゃんの訓読

 

 安田君に贈る 三首

 

平生(へいぜい) 獨り訝(いぶか)る 閑人(かんじん)の意

攀柳折花(はんりうせつくわ) 我が事に非ず

月夕花朝(げつせきくわてう) 屑々(せつせつ)として過ぐ

壯年たるも 未だ佳人の涙を識らず

 

侃々(かんかん)として 悲歌慷慨の人

呶々諤々(だうだうがくがく) 激聲(げきしやう) 頻(ひん)たり

精根(せいこん)滿溢(まんいつ) 無事(むじ)を歎ず

惜しむべし 春 來るも 未だ春を識らざるを

 

營々(えいえい)たる黽勉(びんべん) 他思(たし)は無く

勤恪(きんかく)たる直言(ぢきげん) 廉吏(れんり)の類(るゐ)

短矮(たんわい) 無髯(ぶぜん) 少年に似(に)たり

斯(こ)の兒(じ) 未だ三杯の醉(ゑひ)を習(し)らず

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

「閑人」字義からいえば暇な人のことであるが、ここでは季節の移ろいや人生の様々な出来事の中で、折に触れ自ら進んで美しいものを愛でては、その感興に浸るような人を指す。

「攀柳折花」字面からは、柳によじ登り花を折る、となるが、ここでは「閑人」と同様、季節を愛で、美しいものを積極的に味わう態度のこと。

「月夕花朝」中国語で「花朝月夕」といえば佳節の美景を指す。また文字通り解釈すれば、月の夜と佳き日のことである。しかしここは、その時々の美しさに満ちた季節の移ろいのことであろう。

「屑々」バタバタと忙しい様子。

「佳人涙」広義に捉え、恋愛の情趣そのものと解釈したい。

「侃々」話が理にかない、勢いがよく、堂々としているさま。

慷慨」義憤に燃えて激昂すること。

・「呶々」底本は「※々」〔「※」=「口」(へん)+「如」(つくり)〕。[やぶちゃん注:「呶々」とした経緯や意味については前掲のT.S.君の『「※々」についての考察』を参照されたい。]

「諤々」直言するさま。

・「營々」行ったり来たりするさま、齷齪するさま。

「黽勉」努力。

「勤恪」慎み勤しむさま。

「廉吏」清廉潔白な役人。

・「三杯醉」表面上は酒を三杯飲んだだけで酔うこと。もともとは、すぐに酔ってしまうというニュアンスを籠めた言葉である。ただしここでは、単に酒に酔うことであると解釈してよいだろう。なお、「三」は、特に深い意味はないものの、数としての切れの良さと言い回しの快さのために使われやすい数字である(日本にも「駆け付け三杯」などという言い回しもあることが想起される)。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

 安田君に贈る 三首

 

風流生活 そんなの知らない

花鳥風月 カンケイなさそう

節季や節句も 変わらず多忙

いい歳なのに 恋も識らない

 

言葉は真直ぐ 嘆いて怒って

いつでも口から 熱いほのお

やる気満々 二の腕をさすり

春が来たって 気にも留めず

 

願いはいつも たゆまぬ努力

勤勉 正直 まさに模範官吏

髯無しちびっこ まるで少年

この男 いまだに酒を知らず

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 今更ながら思う。

 中島敦……なんという自由な明るい詩魂であろうか。

 中国古典に取材した幾篇かの小説によって彼を識った私にとって彼の肖像は、運命の嵐に翻弄されながらも歯を食いしばって自分の足で立つ人間、そんな人間の、か弱いけれども崇高な魂を讃える者のそれであった。さらには、持病の喘息と闘う悲壮感に満ちた漢学者のそれであった。

 ところが、この詩を見よ!

 同僚の人となりを、肩の力を抜き、ごく軽い揶揄を籠めて軽妙に描写している。悲壮な漢学者の面影はほとんど見られない。

 さらには、図らずも露わになった人生に対する詩人の態度にも注目したい。

 安田君に欠けている、と詩人が判断するものは何であろうか。

 それは、花鳥風月を愛でる心、恋、酒の三つである。

 対する詩人は、魂を痺れさせるところのそれらの味を、十二分に知っている。それらの何事にも換え難い価値も、また知っている。詩人はこれらを識ることの意味や大切さを、漢詩中で大胆にもしっかりと肯定的に表明しているのである。

 実は私にとっても、これら無しの人生など考えたくない。

 百歩譲って酒や花鳥風月は措くとしても、恋のない人生など、想像しただけで恐ろしい。私は信じる。中島敦も同様であったと。なぜなら、魂の深みを覗き込む恋という深刻な体験がなければ、人間の弱さと強さを同時に描く彼の鋼のような文学は到底生まれなかったはずだから。

 

 しかし誤解してはならない。

 詩人は決して安田君を批判しているのではない。憐れんでいるのでもない。人がこれらを知るべきだなどという不遜な言葉を、彼は決して口にしない。

 人生を彩る(というよりも、人生の謎さえ内包する)これらの体験から生まれる喜びには、それ以上の哀しみが、必ず付き纏うであろう。

 これらを知らないままに義や理想を熱く語る安田君に対して、詩人はかすかな羨望を抱きながら(と言い切ってしまっても、いいかもしれない)、彼の姿を清清しく捉えるのだ。

 読者は、行間から立ち上る、かの同僚に対する暖かい思いを感じないであろうか。私には詩人の微笑が目に見える。

 

 この詩に接して即座に思い出される歌がある。読者の多くも必ずや想起されたに違いない。

 

 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

(与謝野晶子「みだれ髪」)

 

 これは女性の歌だからであろうか、生殖を司る不思議な艶かしい力や、哺乳類の体温を、どこか強く感じさせる。

 男性にとっての恋は、往々にしてこれとは異なるものだ。

 いわば観念の世界で完結してしまいがちなのだ。

 この漢詩も例外ではない。

 男性の言及する恋らしく、どこか観念的に勝ったものを感じさせる。

 とはいえ、だからこそであろうか、私自身は与謝野晶子よりも中島敦により強く共鳴してしまうことを自白する。

 男性と女性の差異を簡単に総括してしまうことに対して、首を傾げる方もおられよう。それでは、この一首を現代女性が詠じたものも挙げておこう。

 

 燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

(俵万智「チョコレート語訳みだれ髪」)

 

 男性は決してこんな風に歌わない。

 歌いたくても、歌えないのである。

 それでも乱暴だとおっしゃる方のために、最後に男性による強靭なる応援歌を頼もう。

 

 それ程女を見縊(みくび)つてゐた私が、また何うしても御孃さんを見縊る事が出來なかつたのです。私の理窟は其人の前に全く用を爲さない程動きませんでした。私は其人に對して、殆ど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗教だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じてゐるのです。本當の愛は宗教心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐるのです。私は御孃さんの顏を見るたびに、自分が美くしくなるやうな心持がしました。御孃さんの事を考へると、氣高い氣分がすぐ自分に乘り移つて來るやうに思ひました。もし愛といふ不可思議なものに兩端(りやうはじ)があつて、其高い端(はじ)には神聖な感じが働いて、低い端(はじ)には性慾が動いてゐるとすれば、私の愛はたしかに其高い極點を捕(つら)まへたものです。私はもとより人間として肉を離れる事の出來ない身體(からだ)でした。けれども御孃さんを見る私の眼や、御孃さんを考へる私の心は、全く肉の臭を帶びてゐませんでした。

(夏目漱石「こゝろ」より。引用は藪野先生作成になる同初出版「心」の「先生の遺書(六十八)」を用いた)

 

 私が男だからであろうか。私は、中島敦の言う『佳人の涙』を、「こころ」の先生の言うところの意味において明確に想像できるのである。

 

 ところで愛すべき安田君は、この後、どのような人生を過ごしたのであろうか。いつの日か、ついに恋を覚えることになったであろうか。酒の味にも親しんだであろうか。彼をも例外なく待ち受けていたであろう人生の悲哀によって、彼の心はささくれ立つこともあったであろう。その心の傷口に、花鳥風月が沁み入る陶酔の機会は、果たして巡ってきたであろうか。

 彼はこの詩を贈られて、どう感じただろう。温かみを持つ適確な指摘に苦笑したことだろうか、それとも密かに顔を赤らめたであろうか……。私は中島敦から詩を贈られた安田君に対し、僅かながらではあるが、嫉妬を禁じえないのである。彼が中島敦を回想した文章というものがあると聞いた。いつか読む機会があれば、と願っている。

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