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2013/08/28

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 3 町屋の景


M8


図―8

 

 誰でもみな店を開いているようである。店と、それからその後にある部屋とは、道路に向って明けっぱなしになっているので、買物をしに行く人は、自分が商品の間から無作法にも、その家族が食事をしているのを見たり、簡単なことこれに比すべくもない程度にまで引き下げられた家事をやっているのを見たりしていることに気がつく。たいていの家には炭火を埋めた灰の入っている器具がある。この上では茶のための湯が熱くされ、寒い時には手をあたためるのだが、最も重要な役目は喫煙家に便利を与えることにあるらしい。パイプと吸い口とは金属で、柄は芦みたいなものである(図8)。煙草は色が薄く、こまかく刻んであり、非常に乾いていて且つ非常にやわらかい。雁首には小さな豆粒くらいの煙草のたまが納る。これを詰め、さて例の炭で火を点けると、一度か二度パッと吸った丈で全部灰になって了う。このような一服でも十分なことがあるが、続けて吸うために五、六度詰めかえることが出来る。またお茶はいつでもいれることが出来るような具合になっていて、お茶を一杯出すということが一般に、店にきた人をもてなすしるしになっている。かかる小さな店のありさまを描写することは不可能である。ある点でこれ等の店は、床が地面からもち上がった、あけっぱなしの仮小屋を連想させる。お客様はこの床の端に腰をかけるのである。商品は――可哀想になる位品数の少ないことが間々ある――低い、段々みたいな棚に並べてあるが、いたって手近にあるので、お客様は腰をかけた儘手を伸ばして取ることが出来る。この後で家族が一室に集り、食事をしたり物を読んだり寝たりしているのであるが、若しこの店が自家製品を売るのであると、その部屋は扇子なり菓子なり砂糖菓子なり玩具なり、その他何であろうと、商品の製造場として使用される。子供が多勢集ってままごとをやっているのを見ているような気がする。時に簟笥(たんす)がある以外、椅子、テーブルその他の家具は見当らぬ。煙筒(えんとつ)もなし、ストーブもなし、屋根部屋もなし、地下室もなし、扉(ドア)もなく、只すべる衝立(ついたて)がある丈である。家族は床の上に寝る。だが床には六フィートに三フィートの、きまった長さの筵(むしろ)が、恰(あたか)も子供の積木が箱にピッタリ入っているような具合に敷きつめてある。枕には小さな頭をのせる物を使用し、夜になると綿の充分入った夜具を上からかける。

[やぶちゃん注:「誰でもみな店を開いているようである。」原文は“Everybody seems to "keep shop."”。――どこの家も店も『店を開いている』ように見える――の謂いである。

「簡単なことこれに比すべくもない程度にまで引き下げられた家事をやっているのを見たりしていることに気がつく。」この部分の原文を前から続いて示すと、“The shop and the room back are wide-open to the street, and as one stops to barter he finds himself rudely looking beyond the stock in trade to the family at supper, or going through their rounds of domestic work, which is reduced to the last expression of simplicity.”である。どうもこの部分だけ生硬な印象を受ける。――極めて単純明快の極致とも言うべき、その始源にまで降りに降りて行ったところの家事が、彼らの私的な空間で進行しているを見たりしていることに気づくのである。――といったニュアンスであろうか。

「すべる衝立」“sliding screens”。言わずもがな、障子や襖のことである。]

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