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2013/08/28

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 2 人力車




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図―5

 朝飯が終るとすぐに我々は町を見物に出かけた。日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。――不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。我々にとって珍しからぬ物とては、足の下の大地と、暖かい輝かしい陽光と位であった。ホテルの角には、人力車が数台並んで客を待っていた(図5)が、我々が出て行くや否や、彼等は「人力車?」と叫んだ。我々は明瞭に要らぬことを表示したが、それにも拘らず二人我々について来た。我々が立ち止ると彼等も立ち止る。我我が小さな店をのぞき込んで、何かを見て微笑すると、彼等もまた微笑するのであった。私は彼等がこんなに遠くまでついて来る忍耐力に驚いた。何故かなれば我々は歩く方がよかったから人力車を雇おうとは思わなかったのである。然し彼等は我々よりも、やがて何が起こるかをよく知っていた。歩き廻っている内に草疲(くたび)れて了うばかりでなく、路に迷いもするということである。果してこの通りのことが起った。一歩ごとに出喰わした、新しいこと珍しいことによって完全に疲労し、路に迷い、長く歩いて疲れ切った我々は、よろこんで人力車に乗って帰る意志を示した。如何にも弱そうに見える車に足をかけた時、私は人に引かれるということに一種の屈辱を感じた。若し私が車を下りて、はだしの男と位置をかえることが出来たら、これ程面喰わずに済んだろうと思われた。だが、この感はすぐに消え去った。そして自分のために一人の男がホテルまでの道のりを一と休みもしないで、自分の前を素敵な勢で駆けているということを知った時の陽気さは、この朝の経験の多くと同様に驚く可きことであった。ホテルへ着いた時彼等は十セントとった。このために彼等は朝半日を全くつぶしたのである! かかる人々の驚く可き持久力はまさに信用出来ぬ程である。彼等はこのようにして何マイルも何マイルも走り、而も疲れたらしい容子もしないということである(図6)。乗客をはこぶに際して、彼等は決して歩かず、長い、ゆすぶる様な歩調で走るのである。脛(すね)も足もむき出しで、如何に太陽が熱くても、たいていは無帽である。時として頭に布切れをくるりとまきつけ、薄い木綿でつくった藍色の短い上衣を着、腰のまわりに下帯を結ぶ。冬になってもこれ以上あたたかい服装をしないらしい。涼しいには違いなかろうが、我々の目には変に見える。それにしても人力車に乗ることの面白さ! 狭い街路を全速力で走って行くと、簡単な住宅の奇異な点、人々、衣服、店、女や子供や老人や男の子の何百人――これ等すべてが我々に、かつて見た扇子に措かれた絵を思い起させた。我々はその絵を誇張したものと思ったものである。人力車に乗ることは絶間なき愉快である。身に感じるのは静かな上下動だけである。速度は中々大きい。馬の代りをなすものは決して狂奔しない。止っている時には、彼は荷物の番をする。私が最初に長い間のった人力車の車夫はこんな風に(図7)見えた。頭のてっぺんは剃ってあり、油を塗った小さな丁髷(ちょんまげ)が毛の無い場所のまん中にくっついていた。頭の周囲には白い布が捲きつけてあった。

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図―6


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図―7

[やぶちゃん注:「屈辱」この前後の原文は実は一文になっていて、“I, for one, felt a sense of humiliation in being dragged by a man and should have felt less embarrassed if I could have got out and exchanged places with the naked-legged human.”と、やや複雑である。さて、この「屈辱」に相当するのは“a sense of humiliation”で、確かにこの語は、「はずかしめられること」「屈辱」「不面目」の謂いでは。しかし乍ら、人に曳かれることに「屈辱感を覚えた」というよりは、ここはずっと後の大正一一(一九二二)年にアインシュタインが来日した際、人力車を『非人道的な奴隷労働』として乗車を拒否した気持ちと同じく、人間を馬のように用いた乗物に乗ること、人間が曳く乗物に乗車するということに対しての――「面目ないという感じ」「抵抗感」――を持ったという意味である。私には「屈辱」という訳語はちょっと戴けないという感じがするのである。]

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