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2013/08/09

谷上不死 (老子について) 萩原朔太郎

 谷上不死

        (老子に就いて)

 

 谷神死セズ 玄(ゲン)ノ玄(ゲン) 牝(ヒン)ノ牝(ヒン) 之レヲ玄牝(ゲンピン)卜謂フ。 (老子 道德經)

 

 老子「道德經」の中に、右のやうな一句がある。谷神とは山嶽の神であつて、永遠不滅の時空に實在する、大自然の像を象徴したもの。また「玄」は玄妙不思議の玄であり、「牝」は牝牛(めうし)等の牝(めす)で、すべて生命の母胎、萬物の生れ出づる母を意味する言葉ださうだ。

 僕は深山に登つた時、いつもこの老子の言葉を表象する。高山の頂上に立つ時、遠く眼界するものは、山脈と山脈との連峰する谷ばかりである。そこには人間の姿がさらになく、鷄や家畜の聲さへも聞えない。周圍はひつそりとして、森嚴な大自然の雄姿が、永遠不滅の時空を語つてゐる。谷に、峰に、雲に、空に、呼べば遠く反響する不死の時空がひろがつてゐる。「谷神不死!」實にこの言語が表象するほど、大自然の幽玄を語るものがどこにあらうか。永遠に不滅の時空、宇宙の無限的な生命、それがこの四字の表現で立體的に浮んでくる。

「玄牝(げんぴん)」といふ言葉が、また不思議に幽玄の意味を感じさせる。「玄」は暗く大きいところのもの、神祕的な混沌を含蓄してゐる言語であるが、實際山嶽の層重してゐる大自然の印象は、どこか巨大な牝牛が寢てゐるやうな、混沌とした、怪しく神祕的な幻想を感じさせる。深山の峰に立つて、低く山脈や谷やの雲表に層重してゐる大自然を見る時、人はだれでも一種の幻想的な氣分――崇高のやうな、物恐ろしいやうな、或る異常な氣分――を感ぜずに居られない。世界多くの民族によつて語られてゐる古來の山嶽ローマンスが、すぺて皆特殊な浪漫感とグロテスクな怪奇感とをもつてるのも、實にこのために他ならない。しかし僕等がさうした大自然に對するとき、最も適切に感ずる表現は、この「玄牝」といふ言語よりない。その言語の表象するところには、谷や峰や森林やの見渡す大自然の神祕の中で、暗く影をひいた巨大の動物が横たはつてゐる。そして實に、それが宇申永遠の時空における、一切の本質の母胎(牝)である。

 

 老子學者の説によると、この右は「道德經」の祕密であつて、容易に公開を許さない鬼語密教として、古來から神祕視されたものであるさうだ。思ふにこの句は、言語が概念として語る字義以外に、上述のやうな象徴思想が暗示されてゐるからだらう。たしかにこの句は、老子哲學の最も幽玄な本質を語つてゐる。老子は自ら辨明して、自分の眞理は言語で説明さるべきものでない。言語は概念である故に、之れによつで語る限りは、絶對の眞理を説くことができない。自分の言語はすべて眞理を盡してゐないと斷わつてゐる。

 されば老子五千言の中で、眞に彼の思想の本質を語るものは、思ふにこの象徴的な一句であり、他はそれに盡されてゐるものか知れない。老子の他の章句、たとへば「道ノ道トスべキハ常ノ道ニ非ズ」と言ふ如きは、言はば一種の論理(ロヂツク)であり概念であつて、單に思想の抽象された言語にすぎない。此等の章句によつて、吾人は老子哲學の概念を知ることはできるけれども、彼の眞に意味する虛無思想の肉體感――即ち絶對としての眞理――に觸れることはできない。然るに「谷神不死」のこの一章は、一切の抽象や概念を捨て、直接言語の象徴によつて語られてる。この章句によつて、老子思想の本質たる虛無觀や無爲觀やが、どんな情操の上に立脚してゐるかが、眞に具體的に理解される。彼の思想の根柢とするものは、實に東洋的自然主義の極致である。この特殊な「情操」からして、彼の特貌な「思想」が辨證されてることを考へれば、老子經の眞精神を誤りなく捉へることができるだらう。

 

 そんな考證はとにかく、かうした老子の思想や感情が、あの原始的な大山嶽に圍まれてゐる、支那大陸の自然から生れたものであるのは明らかだ。人間の思想や感情やが、環境の自然によつて影響されることは、改めて言ふ迄もなく人の知る所であるけれども、老子の場合に於て、僕は特にそれを痛感する。「谷神不死、之レヲ玄牝卜謂フ。」といふ如き觀念は、あの大陸的な高山の連峰に圍まれてゐる、支那の自然に育つた人にのみ、始めて浮んでくる原始的な心像だ。日本のやうな箱庭的な島國からは、決してこんな混沌雄大な思想は生れない。老子哲學の眞の意味は、思ふに日本人に理解することはできないだらう。日本に傳はつた老子教は、いつでも心學的のいぢけたものか、さもなくば過去の自然主義の文學みたいに、惡く納まつた似而非無爲思想に化してしまふ。

 今日の老子學者の中には、老子の思想が佛教と類似する故を以て、その實在を懷疑し、或は老子を印度人と解する者があるやうだ。僕はそんな方の學者でないから、むづかしいことは全くわからないけれども、谷神不死といふやうな章句から考へても、老子が支那人であることは明白だと思ふ。印度の佛教思想は、やはやその熱帶の自然に影響されてる。そして老子が支那的であるやうに、佛教の思想は印度的である。僕は老子の比喩や言語から、支那の南畫的自然を聯想することができるけれども、印度の熱帶地方を聯想することはできない。

 元來、老子の思想は佛教と大いにちがつてゐる。之れを類似と見るのは、思想の情操する本質――概念に現はれない肉感性――を見ないで、單に概念の抽象觀を見るからである。老子哲學の本體は、純粹に支那風な自然主義の情操に基づくもので、印度哲學の人間的で陰鬱なものとは、根本的に色合がちがつてゐる。佛教は陰鬱な森林の中で、人間的苦悶から冥想されたものであるのに、老子教は大自然の高きに登つて、原始の雲と谷とにかこまれた、超人間的な明るい山嶽思想である。

 佛教はあくまで「人間的」であり、老子教はあくまで「自然的」である。ヒユーマニズムとナチユラリズムとは、兩者の思想に、著るしいコントラストを示してゐる。老子教は、決して佛教の敷衍でない。

 

 老子の思想を思ふ毎に、僕はツルゲネフの散文詩を考へる。特にあの有名な「山」の散文詩――二つの山が欠伸をしてゐる一瞬時に、人間の歴史の數千年が過ぎてしまふ。――は、不思議なほど老子の情操と符節してゐる。老子の谷神不死を近代風の散文詩に飜譯すれば、丁度あの通りのものになるだらう。ただ、「玄牝」といふやうな漢語の幽玄な情趣と、その簡潔にして意味の深い手法だけは、支那文學の特色であつて外國語に飜譯できない。ツルゲネフの散文詩は、この點やや説明的――したがつて小説的――であるのを免がれない。

 しかしとにかくツルゲネフは、西洋人として最も老子的な情操を本質してゐた詩人であつた。同じ西洋の自然主義作家でも、ゾラやモーパツサンのそれと、ツルゲネフのそれとは全く本質を別にしてゐる。ゾラやモーパツサンのは人間主義(ヒユーマニズム)の自然主義だが、ツルゲネフのは眞の自然的自然主義だ。それにつけても、僕は常に言語の不便と僞瞞性とを考へる。同じ「自然主義」といふ言葉の中に、全で本質のちがつた別箇の思想を、現にいくつ概括してゐることだらう。それからして常に批判の混亂と不正とが生じてくる。「虛無思想」とか「浪漫主義」とかいふ言語にも、すべてこの同じ批判の混亂がある。畢竟老子の言ふ如く、言語は概念であつて具體性のないものだから、言語による思想はすべて眞實を誤つてゐる。

 

 トルストイの晩年の思想は、一般に老子の影響を受けたものだと言はれてゐる。成程、思想の表面上にはさういふ所が見えるけれども、根本の人生觀は兩者全く反對である。トルストイはどこまでも基督教的で、執念深いほど人間主義(ヒユーマニズム)の正義觀に立脚してゐる。ああした基督教的の感情から、老子の思想が理解されるとは思はない。僕はトルストイの思想を讀むと、それのあまりに非東洋的であることから、一種の民族的反感をさへ抱かされる。老子とトルストイとは、世に「似て非なるもの」の好例だらう。露西亞人ではツルゲネフやソログープの中に、最も韃靼人の遺傳的な血を發見する。

 

 野原に寢ころんで、空の悠々とした白雲を眺めてゐると、いつも老子の「谷神不死」が思ひ出される。雲といふものは、何かしら時間を超越した、太古的の自然感があるものだ。雲を見てゐる時には、人間的なあらゆる我執や功利感を忘れてしまふ。さういふ時だけは、僕も老子と共に「悠々自然に自適する」虛無の絶對境にひき込まれる。けれども僕の人間的な性格は、氣質上にも思想上にも、老子の自然主義と共鳴できない。僕は老子を崇拜もしないし、況んや彼の教徒にならうとも思はない。要するに老子の思想は、僕にとつて興味ある他山の石である。

 

[やぶちゃん注:『文藝俱樂部』第十二巻第五号・昭和二(一九二七)年五月号に掲載された。底本は筑摩版全集第八巻の校訂本文を用いた。太字「ひつそり」は底本では傍点「ヽ」。文中、萩原朔太郎が言及するツルゲーネフの「散文詩」の中の詩は、以下の「会話」と題する詩である。中山省三郎電子テクスト散文詩」(全)から私の注も含めて引用しておく。

 

 會話

          ユングブラウもフィンステラールホルンも

          未だ嘗て人跡をしるせしことなし!

 

 アルプスの高嶺(たかね)……ただうち續く峨々たる嶮崖……。山脈(やまなみ)のまつただ中。

 山々の上にひろがる淺緑の、明るい、物いはぬ空。身に沁みわたる嚴しい寒氣。さんらんたる堅雪(かたゆき)。雪をつきぬけて聳える、氷にとざされ、風に吹きさらされた磊々たる岩塊。

 地平線の両端にそば立つ二つの大山塊、二人の巨人、ユングフラウとフィンーステラールホルンと。

 ユングフラウは隣人に向つていふ、「何か新しいことでもあつて? あなたには、わたしよりはよく見えるでせうね。あの、麓には何がありませう?」

 幾千年は過ぎる、瞬く間(ひま)に。すると答へるフィンステラールホルンの轟き、

 「叢雲(くも)が地を蔽うてゐる……。しばらく待て!」

 また幾千年は過ぎる、ただ一瞬にして。

 「さあ、今夜は?」ユングフラウが訊ねる。

 「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまに、水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。それらの周圍には今もなほ、てんたうむしがうごめいてゐる。ほら、あの未だ、君や僕を穢すことのできなかつた二足動物がさ。」

 「それは人間のことなの?」

 「うん、人間だ。」

 何千年かは過ぎてゆく、たちまちにして。

 「さあ、今度は?」ユングフラウが訊ねる。

 「てんたうむしは前より少ししか見えないやうだ。」

 フィンステラールホルンは轟く、「下の下は、はつきりして來た、水はひいて、森はまばらになつた。」

 更にまた何千年かは打ち過ぎる。霎(しば)しの間(ひま)に。

 「あなた、何が見えますの?」ユングフラウがいふ。

 「僕たちの身のまはりは綺麗になつたやうだ。」フィンステラールホルンが答へる、「けれどあの遠く谿間にはやはり斑點(しみ)がある、そして何だか動いてゐるよ。」

 「さあ、今度は?」と、また幾千年かがたちまちにして過ぎ去ると、ユングフラウが訊ねる。

 「今度はいいぞ、」フィンステラールホルンが答へる、「どこもかしこも、さつぱりして來た、どこを見ても眞白だ……、ここもかしこもこの雪だ、一面に、それにこの氷だ……何もかも凍つてしまつた、今はいい、ひつそりしてゐて。」

 「いいわね、」ユングフラウがいひ出した、「ところで、おぢいさん、あんたとずゐぶんお喋りをしましたね。もう一寢入りする時分です。」

 「さうぢやな。」

 大きな山々は眠つてゐる、緑いろの、澄みわたつた空も、永遠におし默つた大地のうへに眠つてゐる。

   一八七八年二月

 

□やぶちゃん注

◎ユングフラウ:スイスのベルン州ベルナー・オーバーラント地方にあるアルプス山脈の高峰(ユングフラウ山地の最高峰)。四一五八メートル。ドイツ語“Jungfrau”は、 「乙女」「処女」の意である。初登頂は一八一一年に成されている。

◎フィンステラールホルン:“Finsteraarhorn”はユングフラウと同じくスイスのベルン州ベルナー・オーバーラント地方の最高峰。四二七四メートル。アルプス山脈三番目のピーク。公式な初登頂記録は一八二九年。ドイツ語の“Finster”は、「暗黒の」「不機嫌な」「不気味な・はっきりしない」という意。詩冒頭のエピグラフはそれ以前の誰かの謂いであるか、若しくはどちらもたかだか六七~五〇年程前までは未踏峰であった事実を踏まえての、この詩全体が太古の時間を幻視しているツルゲーネフ自身の思いの現われであることの表明なのかもしれない。

◎嶮崖:「けんがい」と読むが、中山氏は単に「がけ」と読ませたいのかも知れない。険しく切り立った崖(がけ)のこと。

◎さんらん:「燦爛」。鮮やかに輝くさま。

◎磊々たる:「磊々(らいらい)たる」と読む。多くの石ころが積み重なっているさま。

◎「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまに、水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。……」:この部分、先行する昭和二一(一九四六)年八雲書店版では「今度は見える。下の方はまだ、もとのままだ、まばらに、こまごまと。水は青み、森は黑み、累々たる岩石は灰色に。……」となっている。私は同格で並列される語句のバランス及び和文脈の自然さから見て、ここは先行する「こまごまと。」で句点で終止するのがよいと思う。]

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